宮沢賢治『フランドン農学校の豚』

なんだか妙な具合になってきたとは思ってたが、まさかこんなわけだとは思わなかった。
フランドン農学校で飼育されていた豚は、自分の運命に気づいて愕然とするのである。
それなりの幸福感さえ感じながら暮らしていたある日、校長が死亡承諾書に印をとりつけにやってくる。この国の法律では、家畜自身の同意がないと家畜を殺せないことになったからだ。

「いやですいやです。」豚は泣く。
「嫌だ?おい。あんまり勝手を云ふんじゃない。その身体は全体みんな、学校のお陰で出来たんだ。これからだって毎日麦のふすま二升亜麻仁二合と玉蜀黍の、粉五合づつやるんだぞ、さあいい加減に判をつけ、さあつかないか。」
なるほどこう怒り出して見ると、校長なんといふものは、実際恐いものなんだ。


ショックで食欲を失った豚を十分に太らせるため、縛りあげられた豚の口のなかに管が差し込まれ、食べ物が強制的に流し込まれる。
十分に肉がついたある朝、豚は校舎の外に連れ出されて撲殺され、その場で解体される。


この話には、宮沢賢治の童話の特徴である(時に超越的な権力の介入によってもたらされる)予定調和による救済が訪れない。
それは、肉を食べるために動物を飼育するという行為を、賢治が批判的にとらえていたためだろうか。
しかし、朝の光の中で豚が殺されていく場面の、即物的な描写は圧巻である。予定調和による結末を拒否し、人間と人間が食べる動物との関係を正面から描いた作品として、この童話は賢治の文学のひとつの極限を示すものではないかと思う。
もっとも忘れがたい作品である。