郵政民営化と小泉人気

今日、自分と同年齢だと分かった人。
宇梶剛士前原誠司


うーん、どうなんだろう。


きのうのエントリーについて、郵政民営化って要するにリストラで、民間ではいくらでもある話なのに、どうしてそんなに大げさに考えるのか、といったご意見をいただいた。
たしかに、郵政民営化自体については、社会全体を経済的によくしていくためにはやむをえないという意見の人が多いかもしれない。小泉首相が言ったように「郵政民営化是か非か」だけを選挙の争点と考えるなら、これに反対票を投じる人が少ないというのは分かる。
ただ、ぼくは郵政民営化の本当の狙いは、10日の記事で紹介した『拒否できない日本』(関岡秀之著)に書かれていたように、自国の保険業界の強い意向を受けたアメリカ政府のもとめに応じて郵便貯金や簡易保険の金を海外の資本が使えるようにする、もっとはっきりいうと明け渡すことに目的があったのだと思っている。
選挙期間中、堀江貴文は、郵政民営化の最大の眼目が郵便貯金や簡易保険の金にあることをはっきり認めて力説していた。もちろん彼は、それが「外資が使えるようにするため」といったわけではなく、誰もが自由に使えるようにする、という意味で言ったのだと思うが。
堀江のように、郵貯簡保の資金が既得権益をもっている一部の政治家や官僚が悪用するのに使われるだけの現状よりは、民営化して自由化したほうがいいではないか、という意見の人も多いだろう。
ぼくはそうは思わないが、いまはそんなことを議論してももうはじまらないだろう。


郵政公社をスリムにすることで、社会全体の風通しがよくなり、経済が回復に向って国の財政も持ち直す、という政府の説明に納得して自民党に投票した、という人たちが多かっただろうというのは、現象としては理解できる。
でも、そもそも郵政民営化だけを争点にして国政選挙を戦うというやり方は、政治のひとつの手法ではあるだろうが、やはり怖い手法だ。何より、その政府の言い分をマスコミがそのまま是認した報道しかしなかったことが怖ろしい。
第一、参議院での法案否決を理由にして、その法案を衆議院に送り返すこともせず、衆議院を解散してしまうというやり方は、憲法違反の疑いさえある強引過ぎるやり方なのに、それに対する批判もほとんど聞かれなかった。
マスコミの多くが、正常な批判や分析の力を失って、政権の主張に沿った報道を繰り返すだけであった今回のような状況がずっと続いたらとかんがえると、やはり「怖ろしい」という言葉しか出てこないのだ。


今回の圧勝によって、小泉首相の権力はますます強大になり、独裁的なものに近づいていることは間違いないと思う。
ぼくは、いまの政治のあり方を「ファシズム」だと言って片付けるのは、ちょっと違う気がするが、ただ独裁的な政治に向っていることはたしかだと思う。しかも、批判が許されないという点で、全体主義国家に似てきている。
抵抗するものを次々に打ち倒していく強いリーダーにあこがれる心理、その強さとかっこよさに酔いしれ、それに引っ張っていってもらいたい、という心情が、いまの小泉人気の底にあるのではないかと思う。
そういう気持ちはぼくにも分かるが、そしてそういう夢を見たいという気持ちは死に至ってもまだ消え去らないものかもしれないと思うが、ぼくはやはりそんな全体的な夢からはさめていたい。