数字の暴力・分断の暴力

おとといも書いたことだが、今回の選挙では小選挙区制度の特徴が極端にあらわれて、自民党民主党など野党との議席数の開きが、得票数の開きよりもはるかに大きくなった。
この毎日新聞の記事にも、そのことが書いてある。
http://tinyurl.com/d7lo5

要するに、議席の数に表れたほど、多くの割合の人が自民党に入れたわけではないということだ。小選挙区の場合、自民党に投票した人は、全体の47・8%であった。ちなみに公明党は1・44%。つまり、自公を足しても過半数には届かない。
それが、「自公両党で3分の2」という大変な議席数になってあらわれたのは、小選挙区制という制度のためである。
とはいっても、この変わった制度のおかげで恩恵を受けた人たちが今の議会で絶対多数を占めることになったのだから、当分この制度の見直しが国会で議論されることなどなかろう。
だが、報道される獲得議席数を見るとき、得票数や得票率を同時に見る習慣をつけておかないと、国民の意見の趨勢を見誤ることはたしかだろう。
議席数の差となってあらわれたほど、「圧倒的多数」の国民が自民党を支持したわけではなかった。これは、客観的な事実である。


なぜ、こんな繰言めいたことをくどくどと書いてるかというと、たとえばお父さんが郵便局に勤めている家の人などは、今回の選挙結果を見て、自分たちが国民の圧倒的多数から見捨てられたみたいに感じるのではないか、と思うからだ。
もっと大きく言うと、国民全体が「弱者切捨て」の改革を支持する多数派と、それに抵抗する少数派とに二分されているかのような、切迫した雰囲気が社会に蔓延するのが怖い。
実はこのことが、今回の選挙の大勢が決したときに、最初に思い浮かんだことだった。


「数の力」というが、今回の場合は、「数字の力」、「数字の暴力」ということが実感を帯びる。小泉政権自民党の方針に反対や懸念を持つ人の多くは、自民だけで300議席近く、与党両党で3分の2という圧倒的な数字を見て、孤立感や絶望感にかられるだろう。
そこから、国民のなか、有権者のなか、社会のなかに、亀裂が生まれ、憎しみや対立が生じてくる恐れが強い。その殺伐とした雰囲気こそ、新自由主義や「ファシズム」的なものにもっとも力を与えるだろう。
実際には、世論の趨勢そのものは、「圧倒的」とか「一色」といったものではないということを、まず確認する必要がある。


さらに言えば、今回「改革」を支持し、自民党に投票した人たち一人一人のなかにどういうそれぞれの事情や考え、心の動きがあったか。小泉改革に「反対」した人たちと同様に、「賛成」した人たちも、決して「一色」ではない。
「改革」を望んだ、あるいは望まざるをえなかった、多くの人たちの心や事情について、できるだけきめ細かく個別に考えていくという努力を放棄しては、人々の間の亀裂につけこむ「改革」の圧倒的な暴力に対抗することは難しいだろう。