菅孝行さんの講演を聞いて

14日、大阪市内のPLP会館というところであった集会で、菅孝行さんが講演されたのを聞いた。行って良かったと思った。


集団的自衛権など現状の動向と、安倍政権の全体像を分析した菅さんのお話は、とても僕にはまとめることはできない。ここでは、自分が一番印象深かった部分について、自分が感じたことだけを書いておく。
菅さんの発言のなかで大事だと思ったことの一つは、安倍晋三は、ある意味で大衆そのものだ、という指摘だった。この言葉は、本質をついていると思った。
敗戦時、天皇が免責されたことにより庶民全体も免責され、加害責任がどこまでも希薄化されて被害者意識だけが肥大化した、日本の大衆社会。その総決算として登場したともいえる安倍政権。だから安倍の内面や思考は、日本の大衆社会そのものだとも言える。まったく、この政権は生まれるべくして生まれたのだ。
かりに、安倍が政権から滑り落ちたとしても、彼を権力の座に押し上げた「安倍的なもの」をわれわれ自身が払拭できなければ、大枠では何も変わらず、戦争に向かう流れは止まらないであろう。菅さんは、そう言っていると思えた。
だが以上のようなことは、僕の受け取り方であって、菅さんの言葉は、これほどには断定していなかったと思う。むしろ、いくつかの論点について、(いい意味で)非常に柔軟な考えを示されていたと思うのだが、それはここでは書かないことにする。


さて、上のような分析を経て、講演の最後に「われわれがこれからなすべきこと」として語られた話に、僕は感銘を受けた。
菅さんは、戦後最悪の政権である安倍政権の最大の特徴を、立憲主義の否定ということに見る。そのうえで、立憲主義とは何かについて考えるところから、闘争の長期的なヴィジョンを提出する。
菅さんによれば、立憲主義とは、民主主義の暴走(かつて選挙によってナチス政権を誕生させたような)に対する歯止めだという。いわゆるブルジョア民主主義は、民主主義と立憲主義をセットにすることで、この「多数による暴走」を制御しようとしてきた。安倍政権が破壊しつつあるのは、この歯止めなのだ。
だが、それに対決するべき左翼(プロレタリア民主主義)の側にも、果たして権力の暴走をとめるこのような歯止めは、あったといえるだろうか?結局のところ、社会主義国家においても、少数者や弱者・声なき者たちは抑圧されてきたのが現実だろう。
だから、本当に必要なことは、今の日本社会や資本主義社会を批判する側が、こうした抑圧を持たないような仕組みを、自分たち自身の中に作り上げるということだ。そのヴィジョンを明確に掲げることによってだけ、われわれは「安倍的なもの」や資本主義社会との長期的な闘争に勝利できるだろう。
本当に勝つためには、敵の似姿であっては駄目である。社会主義諸国は、経済競争や軍拡・技術競争で勝利できなかったから「負けた」のではなく、資本主義・帝国主義というはるかに巨大な敵と闘うのに、その敵と同じ弱者抑圧のシステムしか作ることが出来なかったから「負けた」のだ。
これはおそらく、世界中の左翼が、20世紀初頭からの長い歴史を通じて学んできた、最大の教訓なのだろう。菅さんの話を聞いて、僕はその希望のエッセンスに触れた思いがしたのだ。