靖国問題

靖国問題 (ちくま新書)

靖国問題 (ちくま新書)

靖国問題は、靖国神社儀礼から特殊日本的要素を取り去り、それと結びついた近代日本の戦争の歴史の特殊日本的な性格を取り去ってしまえば、戦争をする国家に共通の戦没者祭祀―「追悼」と言われようと、「慰霊」と言われようと―の問題になってくる。(197ページ)

こうして見ると、それぞれの国で宗教的背景や世俗化の度合いなどに違いはあるが、そうした各国の特殊性を削ぎ落としてみれば、ここにあるのは、各国が自国の戦争を正戦(もしくは「聖戦」)とし、そのために死んだ自国の兵士を英雄として褒め讃え、他の国民にも後に続くことを求める「英雄祭祀」の論理そのものである。この論理は、西欧諸国と日本との間で共通しているだけではない。日本の首相の靖国神社参拝を批判する韓国や中国にも、このようなシステムは存在する。
(中略)たしかに、靖国神社が正当化している侵略戦争と、中国の抗日戦争や韓国の義兵闘争のような防衛戦争とでは、戦争の性格が異なる。戦争の性格の相違は、それぞれの施設の特殊性をなす要素のひとつとなっている。しかし、戦没者追悼と英霊祭祀のシステムに注目すれば、侵略戦争よりも自衛戦争を記念する場合のほうが、「祖国のために死んだ」兵士を讃えようというベクトルは強まるであろう。(200ページ)


本書の著者高橋哲哉は、靖国神社の存在を「特殊日本的」な文脈においてばかりでなく、近代の国民国家すべてに共通する「英霊祭祀」と「戦没者追悼」のシステムのひとつであるとの視点からも批判している。
そこでは、侵略戦争自衛戦争の区別は相対的なものでしかなく、死を意味づけ国民を戦争へと動員する国家のシステムが、現代世界に普遍的に存在するものとして批判されているといえるだろう。
「戦争をする国家」に対するこの批判の態度は、それ自体としては徹底したものである。


ところで、ここで「特殊日本的」といわれているのは、植民地主義の国として拡大を続けた日本という近代国家のあり方をさすのであって、前近代までさかのぼって「日本的」といえるような同一性を見出しているわけではない。
そうした同一性を見出すことは、「靖国問題」を政治的に利用されやすい文化相対主義の議論へと移行させてしまう危険があると、著者は考えているらしい。
靖国問題」は、文化ではなく政治の問題である、というのが著者の基本的な立場だろう。
ぼくも著者のこの立場に賛成である。
ではところで、著者は文化や伝統の問題、特に追悼という文化的行為に関して、どのような考え方をとっているか。彼はそれを軽視しているのだろうか。
そうとはいえない。ただその議論には、やや分かりにくい点がある。


以下の文章には、文化や伝統についての著者の考えがよく示されていると思う。

もちろん私は、日本の伝統は靖国的なものではなく、怨親平等、敵味方供養だなどと言っているのではない。中世・近世のすべての戦死者供養が、怨親平等、敵味方供養であったわけではない。事実は、『記紀』『万葉』の時代から靖国に至る、死者の遇し方の一貫した伝統などは存在しない、日本的な死者との関係の一義的な伝統などは存在しない、ということであろう。(175ページ)


ここで著者がいいたいことは、伝統は存在するが、一貫したもの、一義的なものとしては存在しない、ということではないか。
時代に応じ、他者や異文化との関係に応じて、多様な死者との関係が存在し蓄積した。その蓄積のうえにぼくたちが生きているとはいえるが、この蓄積は決して「ぼくたち」だけに関わるもの、属するものではない。まして「日本人」や「日本国民」にだけ属するわけではない。
まあ、そういうことではないかと思う。ぼくであれば、そのように考える。


だが、著者の考えが、こうすっぱり割り切れるものかどうか、自信がない。
著者の「追悼」についての考えは、つまり死者との関係についての考えということだが、集団的なものと個人的なものとの間で、ゆれているように思える。
第5章のなかの「個人による追悼、集団による追悼、国家による追悼」と題された節には、この面でとりわけ興味深いことが書かれている。

私は、追悼や哀悼について必ずしも「個人主義」の立場をとるものではない。追悼や哀悼の行為は、ごく個人的な営みでもありうるし、家族や親族による営みでもありうる。家族や親族による慰霊行為はすでに集団的なものであり、これらを否定すべき理由は見当たらない。(中略)
集団的な追悼や哀悼の行為が、それ自体として「悪いこと」だとは私は思わない。しかし問題は、追悼や哀悼が個人を超えて集団的になっていけばいくほど、それが「政治性」を帯びてくるのは避けられないという事実である。(210ページ)


集団的な追悼を決して否定しないと繰り返すこの文章に、ぼくは逆に「集団的な追悼」に対する著者の微妙な距離をみる。
哀悼や追悼の行為が、「ごく個人的な営みでもありうる」という一句に、著者の基本的な立場が示されているように思う。著者は、集団的な要素のまったく介在しない追悼の可能性を理想として追求しようとしているのではないか、というのがぼくの受け取り方だ。
それにもかかわらず、著者がここで集団的な追悼の行為そのものを否定しないのは、次のことと関係があると思う。
それは、旧植民地出身者の遺族からの靖国神社に対する合祀取り下げ要求に関することである。

ところで、死者の死を真っ先に悼む者、追悼する権利を持つものは、なんといってもまず遺族であろう。一般に遺族が遺族として死者を追悼する権利を否定することは誰にもできない。(98ページ)


ここでは、この遺族の当然の権利を侵害するがゆえに、靖国=国家は悪である、という批判が展開される。
ここでは、家族や遺族という集団性は、「戦争をする国家」の権力や暴力から守られるべき、私的な「自然な」心の領域を保障するものになっているのではないかと思う。


だとすると、引用した210ページの文章から読み取れるのは、著者にとって家族や遺族という単位が、両義的なものととらえられていることである。
つまりそれは、国家の権力から守られるべき私的な心の領域を保障するものであると同時に、集団的であることによって「政治性」を呼びこむ契機ともなってしまうものである。


家族や遺族という私的で血縁的な集団性の強調は、文化や伝統の、そして共同体の同一性を重視する考えにつながるおそれがある。
だが、個人の「自然な」感情のあり方を重視する著者の立場では、そうした集団性のポジティブな側面も認めざるをえない。
著者は、この揺らぎのなかにいるのではないかと思う。


著者のスタンスに対するぼくの根本的な疑問は、著者が文化や多様な伝統の蓄積から切り離されたものとして、個人の心を考えているのではないか、ということである。
著者が拠り所にしようとしている個人の心の領域が、同一的でない文化の蓄積や共同体のあり方とどう結びつくのか、それが明示されなければ、この論理は同一的なものの幻想に逆に呑みこまれてしまう怖れもあると思う。
それが予感されるのはたとえば、まるで宣長の文章のような、次の一節を読むときである。

もしそうだとすれば、靖国信仰から逃れるためには、必ずしも複雑な論理を必要としないことになる。ひと言でいえば、悲しいのに嬉しいと言わないこと。それだけで十分なのだ。まずは家族の戦死を、最も自然な感情にしたがって悲しむだけ悲しむこと。十分に悲しむこと。本当は悲しいのに、無理をして喜ぶことをしないこと。悲しさやむなしさやわりきれなさを埋めるために、国家の物語、国家の意味づけを決して受け入れないことである。(51ページ)