荒井信一『戦争責任論』

戦争責任論―現代史からの問い (岩波現代文庫)

戦争責任論―現代史からの問い (岩波現代文庫)




この本では、「戦争責任」という観念が、二度の世界大戦とベトナム戦争や旧ユーゴ内戦、湾岸戦争などの20世紀の経験を通して、世界の民衆がその構築へと向かっていった平和のための世界秩序形成の過程と不可分のものとして説明されている。
それは「無差別戦争観」から「違法戦争観」へとか、「核による平和」から「人権を基礎とする平和」へ、というような言葉で表現される過程である。
これは、国際的な意味での民衆史観、ないしはカント的な世界市民史観とでも呼べるような考え方で、ベルサイユ条約から、ニュールンベルクと東京の両裁判を経て、戦後の国連(特に非欧米諸国)を中心とした平和と人権の確立のための努力へと、限界や問題をはらみながらもひとつながりの流れとして、根本的には肯定的に語られる。これは制度的には、国連主義の立場と言ってよいであろう。
ニュールンベルクと東京の両裁判に関して言えば、それらはたしかに「勝者による裁き」ではあったが、そのことを通して平和のための公正で普遍的な法へと人類が向かっていく一つの契機として重要なものだった、とされる。
また、特に東京裁判については、それが植民地宗主国各国による法廷であったが故に、また同時にアメリカの「冷戦の論理」に左右されるものとなったが故に、とりわけ日本のアジア侵略や植民地支配に関してはきわめて不十分な究明と処罰しか行えず、それ故に日本社会の軍国主義的な体質を温存してしまったという、致命的な欠点が明確に批判されているのだが、それでも法廷の場を通して日本の戦争犯罪の一端が明らかにされ断罪されたということは、世界史的な観点から見ても意義深いことであった、という結論になっている。
日本は、そもそもこの平和に向かう民衆的な努力の過程の発端である第一次大戦をめぐる戦争処理の過程にほとんど関与しておらず、また第二次大戦後も、平和と人権を否定して再び戦争の時代をもたらそうとする反動的な勢力(自民党など)の攻勢に抗することが出来なかった。こうしたことから、国際社会における「平和」「人権」や「戦争責任」についての考え方との間に、国家レベルでは大きな齟齬が生じることになった。
ここに、今日の日本の抱える外交上の困難の理由もある。著者の主張は、おおむねこうしたものではないかと思う。


こうした著者の見方に、大枠では異論はないのだが、それでも戦後の日本の政治や社会に対する見方、とくに95年の単行本出版から10年を経た文庫版の出版時に付加された「補章」の内容には、少なからぬ疑問を持たざるをえない。
それは一言でいえば、反動的な勢力に圧されて戦争責任の問題に一度も自力で対処することが出来なかった日本が今日(この本の出版当時すでに)抱えている困難が、たんに外交上のもの、つまり国際社会との認識上の齟齬とか、被害当事国である周辺国との立場の違いといったようなものとしてしか扱われていないように思われる、という点である。
たとえば、歴史教科書問題や靖国参拝問題などをめぐって悪化していた2003年当時の日韓・日中関係について、「補章」では次のように書かれている。

これらは新しい状況に即して歴史問題を再定義しようという(中韓からの)サインであったと解される。しかし日本側の反応は鈍かった。むしろ歴史教科書問題と繰り返される首相の靖国神社参拝が対置されたとさえみえ、これまで蓄積された政治的資産の破棄をさえおもわせた。歴史問題の再定義といっても、共有されてきた政治的含意の蓄積を無視することではない。そのあたりに日本の読み違いがあった。(p323)


もし、日本が「読み違って」いなかったらどうなったのだろう。日本の政治は、現在のように極右化へのカーブを切らずに(いや、アクセルを踏まずに)すんだのであろうか。到底、そうは思えない。
これは「認識」の問題ではなく、「歴史問題」を自分たちに都合のいいように強引に再定義(修正)することで、軍事国家を何が何でも再興しようとする者たちの「意志」の問題だ。中韓ナショナリズムには、この日本側の邪悪な意志に反応したという側面があるのであり、こうした現実の権力的な側面を捨象して、冷静な議論と交渉による相互理解の積み重ねのようなものを第三者的に期待するのは、いくらなんでも甘すぎる。


とはいえ、この本は日本の現在の状況を考えるにあたっても、多くの貴重な示唆を与えてくれるものであることは確かだ。
とくに二点だけ書いておきたい。
ひとつは、敗戦時の状況に起因して、戦後の日本が帝国(植民地宗主国)的な意識を払しょくできずに来た、という指摘である。

あらゆる植民帝国が最終的には軍事力によって支えられていたのは当然としても、日本の帝国支配は非公式の植民地であった満州国やアジアの占領地域をも含め、軍隊の力に依存する度合いがとくに強かった。このことが一九四五年に「全日本国軍隊の無条件降伏」(ポツダム宣言)とともに、日本の植民帝国が突如崩壊した大きな理由であった。
 日本の「脱植民地化」が軍事的敗北の結果として他律的に行われたことは、それ自体としては国民の自意識に深刻な影響を及ぼさなかった。脱植民地化は苦痛にみちた葛藤の過程ではなく、敗戦の結果、突如もたらされた空白として意識された。(p228)

・・、日本の場合には脱植民地化が軍事的崩壊とともに他律的に行われたために、本国国民の自意識にトラウマティックな影響を残すことは少なかった。そのことは挫折した帝国時代の政治エリートばかりでなく、一般大衆の間でのかつての植民地支配にたいする責任意識を希薄なものとした。反面かつての帝国意識が強く残存することとなった。(p231)


ただ著者は、こうした傾向は敗戦直後、1950年代前半までの日本には顕著だったが、その後はある程度自律的な戦争責任への取り組みがなされたという考え方のようなのだが、どうもそれは疑わしいと思う。
なぜかというと、通常、帝国の崩壊は、「高所からの転落」の感覚や、「自信の喪失」をもたらし、人々に「アイデンティティの危機」をもたらすものであると書かれてるのだが、こうしたことは、現在の日本国民に生じているものだとも思えるからである。
ということは、われわれ日本人は戦後一貫して、自意識においては帝国(植民地宗主国)の臣民だったということであろう。
著者は、80年代に強まった反動化の傾向(帝国主義的な「無差別戦争観」への国家的回帰)を批判し、一方で海部‐小沢政権における「普通の国」としての湾岸戦争への協力に国連主義的な立場から一定の意義を認めているようなのだが、帝国的な意識を払しょくしないままで目指される「普通の国」というものが、実際には帝国の復活しか意味しないことは当然ではあるまいか?
植民地主義の問題について、著者がこれほど鋭い批判を展開していながら、反動的な傾向を戦後の日本国家にとって偶有的な現象のように見なしていることが、やはり僕には理解しにくいのである。


いま書きながら思ったことだが、80年代、中曽根政権の時代になって、弱肉強食の帝国主義的な無差別戦争観が、国家によって復権せしめられたこと(それは例えば、司法の場において戦災者に「受忍」を強要するような国家の意志である)は、やはり新自由主義の潮流とつながるものなのだろう。
戦争観や戦争責任というものが、いわゆる戦時にとどまらないわれわれの社会のあり方全体とリンクするものであることを実感させてくれるのは、本書の大きな長所だと思う。


そこで、現在の状況に関連して、書こうと思ったことの二つ目だが、それはたいへん大雑把な言い方になるけれども、歴史の複合性がよく分かる、という点である。
ナチスの歴史に例を見ないようなシステマティック的な絶滅の思想と呼べるもの、日本のアジア・民衆蔑視と軍事的な体質の度し難い根深さ、米英の冷酷無残な合理主義的思想、それらの重なり合いとして、現在につながる歴史の流れを捉えること。といっても、それらはそれぞれのローカリティに帰せられるべき属性ではなく、近代という大きな力の諸要素が、その時々に様々な場所に複合的に現われる、ということなのであろう。
たとえば、サンフランシスコ講和条約に関して、

ここでケナンが主張したような冷戦的思考は、講和条約の捕虜にたいする償いに示されるように、とくに民間人やアジアの人々にたいする人権的、人道的配慮を欠落させた。それは前文に示された条約締結の論理とは明らかに矛盾するものであった。そしてこの矛盾が、とくに人権・人道の視点にたつ戦後処理の課題を今日にまでもちこしたことは明らかである。(p216)


ナチスについての指摘も、本書を読んでとりわけ教えられることが多かったのだが、なかでも衝撃的だったのは、次の箇所である。

ガス殺はすでにナチスによってドイツ国内で広く実行に移されていた、もっとも有名なのは、一九三九年一〇月にヒトラーが命令した「安楽死」作戦である。この作戦は作戦本部のおかれた街の名前からT4作戦とも呼ばれ、戦争遂行に不用と思われた約七万人の知恵遅れ、精神障害者をガス殺によって「安楽死」させた。「安楽死」作戦は形をかえて戦争末期まで続けられ、最終的には「反社会分子」、犯罪者、精神病質者、ホモセクシャル、戦争ショックによるヒステリー患者、消耗による労働不能外国人労働者、寝たきり老人までも「安楽死」施設へ送られた。そして重要なことは「精神障害者に対するこの絶滅作戦行動と東欧における人種戦争とが密接につながっていた」ことである。(p141)


かつてナチスが体現した、こうした「絶滅」の思想が、上記の日本的な「受忍」の国家論理や、新自由主義的な弱肉強食の論理ともあいまって、今日では他のどの国にもまして、この日本をこそ覆いつつあるものだという事実を、誰も否定できないはずである。