ハーフノートの夜

めずらしく音楽の話。

ハーフノートの夜 (紙ジャケット仕様)

ハーフノートの夜 (紙ジャケット仕様)

昔、ニューヨークのハドソン通りとスプリング通りという二つの通りが交差する場所に、ハーフノートという有名なジャズのクラブハウスがあった。イタリア人の父子が経営する店で、ジャズの演奏のほか、ミートボールサンドイッチも名物だったらしい。
1950年代の終わりごろ、この店を拠点にして東海岸のジャズシーンで活躍していたのが、ズート・シムスとアル・コーンという二人の白人テナーサックス奏者である。
この二人は、もともと西海岸の有名なビッグ・バンド、ウディ・ハーマン楽団に在籍して、スタン・ゲッツなどとともに「フォー・ブラザース」と呼ばれる伝説的なサックス・セクションを形成し、多大な人気を博していた。
それが、バンドを離れたのち、東海岸に移って活動することになったのだ。当時のアメリカのジャズの世界、とくにハードバップと呼ばれるジャンルでは、東海岸は黒人のミュージシャンが主流、西海岸は白人の有名ミュージシャンが多いという区分が、かなりはっきりしていたと思う。たとえば一時のマイルス・デイビスのように、東海岸の黒人ミュージシャンが西海岸に行って活動することはいくらかあったが、逆のケースというのは珍しかったはずだ。そういう時代に、シムスとコーンの二人はニューヨークに移って活動する道を選んだのだ。
どういう理由だったんだろう。


話を戻すと、このアルバムは、そのハーフノートというジャズクラブでの、シムス&コーンクインテットのライブの模様を記録したものである。録音は59年。
50年代のジャズのライブ盤のなかでも傑作といわれているが、ぼくももう二十年以上聴いていて、一番好きなジャズのアルバムじゃないかと思う。
このライブは、どこが素晴らしいかというと、とにかく基本的に誰も演奏を聴いてない。
非常にクリアな録音で、店内の話し声や笑い声、グラスの音などがはっきり聞こえるのだが、演奏中も進行に関係なくずっとにぎやかなままだ。ふつう、ソロ・パートが終わると客席から拍手が起こるものだが、ジャズ史上に残りそうな凄いサックス・ソロが終わっても、誰一人拍手する人はなく、脇役のピアノ・ソロが終わったところで、思い出したように一人か二人が気のない拍手をするのみ、といったふうである。冒頭に司会者(?)によるメンバー紹介があるのだが、これも滅茶苦茶反応がうすい。


モンクやミンガスがクラブで演奏をしていた頃、客が誰もついていけず、居眠りしたり野次を飛ばしたりするのに対して、聴衆を無視してすごいプレイを続けたり、客席と敵対的になったりという逸話が多く残っているが、この場合はそういう緊張感もなく、当たり前みたいに淡々と自分たちの好きな音楽をやってるという雰囲気が面白い。


全部で四曲入ってるが、ぼくは2曲目の「IT HAD TO BE YOU」での二人のソロがとりわけ絶品だと思う。シムスのとめどもないスイング感のあるアドリブも、モダンジャズの醍醐味を感じさせるものだが、コーンのうとうとと眠ってるみたいな暖かいテナーの音は、一生このまま聴いていたいと思うほどだ。
どういうジャンルの音楽でも、ぼくはこのタイプの音にはめちゃめちゃ弱い。写真から受ける印象もそうだが、アル・コーンという人は、ちょっとアドルノっぽい内省的な感じがある。


鬱気味で音楽を聴く気がしない音楽好きの人に、自信をもってすすめたい一枚である。