『インタビュー術!』

インタビュー術! (講談社現代新書)

インタビュー術! (講談社現代新書)

有名なフリーライターである著者が、インタビューとは何かを考え、自身の具体的なインタビューの手法を詳しく解説した本。
著者は、まえがきのなかで次のように書く。

インタビューがわかれば、世界がわかる。インタビューがどのようにおこなわれていて、私たちの身のまわりにある情報がどう作られているかがわかれば、メディアへの接し方もわかってくる。情報の読み方がわかってくる。わかってくれば、かわってくる。自分で考えて行動するためには、インタビューのことをもっと知らなければならない。(4ページ)


これはまあ、現代の情報化社会をリテラシーをもって生き抜くためにインタビューのことをよく知ろう、といった話で、たしかにそういうことは重要であるにちがいない。実際、インタビューが持つ虚構性や、編集や構成の恣意性を強調することは、著者のインタビュー論の出発点であるのだが、著者の「インタビュー」によせる思いは、じつはもっと深いものだといえる。
それは、目の前の他人が話すことを聞く、という行為に人間同士の関係性の根っこを見ようとする態度である。
それは、たとえば次のような文章に示されている。

しかし、たとえ言葉は紋切り型の言い回しであっても、話している人はいま目の前にいて、その人がしてきた体験や感じたこと、思ったことは本物だ。言っていることに思い違いや誇張や嘘もあるかもしれないが、そうしたことを一切ひっくるめて、何かを話し、伝えようとしている人が目の前にいる。(6ページ)


語られた意味ではなく、人が目の前で話す「言葉」そのものを見つめようとする著者の熱い思いが伝わってくる。それが、インタビューの醍醐味ということにつながるのだろう。
著者が実感するその醍醐味の一端にふれることができるのは、たとえばインタビューの途中で生じる「沈黙」の重要さを語る、次のような一節を読むときだ。

最近でこそ私もある程度の沈黙の重要さを認識するようになったが、はじめのころは沈黙が怖くてしかたなかった。(中略)
 もっともそういうインタビューは、あとでテープを聞き返すと、まだ相手が考えている途中なのに、こちらがあわてて次の質問に移ってしまって、話の引き出し方が不十分であったり、もっと話の引っ張りどころがあったのにと悔やむことが多い。落ち着いて冷静にインタビューしていれば、相手の回答からさらに質問を継ぎ足し、イモヅル式に言葉を引き出していけるのに。その意味では、冷静さと聡明ささえあれば、下調べなど不要なのだといういい方もできる。(42ページ)


これは仕事としてのインタビューについての文章だが、ぼくたちの日常での会話においても、これほどの「冷静さと聡明さ」、他人への思いやりと緊張感をはらんだ細心さがあれば、言葉をとおした他人との関係は、ずっと豊かなものになるはずだ。
人の話を聞くということは、本当に難しくまた奥の深いものであることを、この一節は実感させてくれる。


著者にとってインタビューとは、人が人と言葉によって関係を切り結びながら生きていくことの、核心を表現する営みとしてとらえられているようだ。本書は、言葉と人間についての、そういう生々しい感覚や認識を、豊富な実践例をともなって叙述したものだといえよう。
また、編集の実例として引用されているいくつかのインタビュー原稿も、それだけを読んでもたいへん興味深いものだ。


ところで第3章では、多くのインタビュー本を評することを通して、著者のインタビューについての考えが述べられているが、そのなかで特に印象的だったのは、『ピーコ伝』での糸井重里の聞き手としての態度を賞賛するくだりである。
野球をめぐる小さなことがらについてのやりとりのなかで、ピーコが「その理由を話すと、少し長くなるんだけど、いい?」と聞いたのに答えて、糸井はこう言ったというのだ。

「いいですとも。あなたの時間なんだから」

 インタビューの時間はインタビュアーの時間ではなく話し手の時間である、ということを明確にしているのだ。あなたの時間なんだから、あなたは自由にふるまい、自由に発言していいのだ。いや、自由な発言こそ私が求めるところのものなのだ、ということを糸井はさりげなく示す。(203〜204ページ)


糸井のこうした態度は、相手に鋭く切りこむものとしてのインタビューの本道からは、やや外れているかもしれないが、話をする目の前の他人を最大限に尊重する気持ちの表現として、忘れがたい印象を残す。
それはまた、他人とその言葉の生に対する、著者永江自身の気持ちのあり様にも通じるものだろうと思う。