『ハメット』

ハメット [DVD]

ハメット [DVD]

ヴィム・ヴェンダースが撮った『ハメット』という映画の紹介を書こうと思うのだが、もう15年か20年ぐらい前に見た映画で、内容をほとんど忘れている。
ただ、ジョン・バリーによる主題曲が素晴らしかったのと、次のようなシーンだけをいまでもおぼえている。


主人公である作家ダシール・ハメットは、かつて探偵社で働いていた頃の同僚の突然の訪問を受け、危険な人探しの仕事を依頼される。ことわろうとする主人公に、この元同僚は何十年も昔の出来事をもちだしてくる。
探偵になりたての頃、ハメットは度胸がなく、現場で撃ち合いになって身体がすくんでしまい絶体絶命になったことがあった。そこに居合わせたこの元同僚は、その窮地を救ってやる。ハメットは感謝して、将来困ったことがあったら何でも言ってきてくれ、恩返しにかならず助けるから、と言ったのだった。
その回想を語ったあと、元同僚はハメットに言う。
「今がその時だ。俺を助けろ。」


このひと言に吸いよせられるようにして、主人公は事件の深い霧のなかに踏みこんでいく。


「俺を助けろ」という元同僚の言葉が、どうして主人公を突き動かしたのか、合理的に理解することはむずかしい。この元同僚とハメットは、ずいぶん長く連絡もとっていなかったし、信用のできる男でもないようにみえる。何十年も前にあった出来事が、本当にいま命の危険を冒してまであがなうに値するほどの恩義なのか、疑わしくさえあるのだ。
だが、ハメットにとっては、この要請の言葉はことわることのできないものとして届いた。それは、本人にしか分からないことなのだろう。
そういう、他人に説明することがむずかしい、一人の人が生きていくなかでのぎりぎりの倫理みたいなものを、このシーンは描いていたと思う。


同じ世界を、ハメット原作の作品をはじめ、世界中のフィルム・ノワールと呼ばれる映画が描いてきた。


ところで、ハメットの私生活でのパートナーだった女流劇作家リリアン・ヘルマン回顧録が『ジュリア』(フレッド・ジンネマン監督)のタイトルで映画化されたのは、この映画が製作される5年前のこと。
『ジュリア』は、第二次大戦前に主人公がユダヤ人の親友から、反ナチ運動の資金をヨーロッパに届けるたいへん危険な仕事を依頼される、政治的な物語だ。
この二本の映画の主題は、重なっていると思う。