春の野遊び

この日曜日、二人の若い友だちと一緒に、京都と大津の境、いわゆる逢坂の関の跡に近いところに住んでいる友人一家を訪ねた。朝、来る途中に百貨店に寄って、グルジア産の赤ワインを土産に買い、ぶら下げていった。
友人の一家は、若い夫妻と、女の子の赤ん坊だ。この子は、4月のはじめの花見のときにも顔を見たが、今回会うとそのときより一回り大きくなった感じだった。最初、静かでおとなしい印象だったが、一緒にいるうちに、すごく表情が豊かであることに気がついた。会った当初は、赤ん坊の方も緊張してるんだろう。こちらをじっと見つめてくる表情が、すごくかわいい。


この夫妻の、男性の方は、国際的に活躍する美術作家であるらしい。「あるらしい」というのは、ぼくは美術の世界のことをよく知らないからだ。雑誌に作品が紹介されて載っていたので、見せてもらう。興味深い内容なので、是非実物を見たいものだと思った。まだ国内では展示されていないらしい。
というか、この作品にはぼくの姿も映っている可能性があるのだ。


昼過ぎにぼくたちが着くと、玄米カレーを振舞ってくれた。玄米に人参など色々と混ぜて炊いており、東南アジアのカレーみたいで、たいへん美味しかった。ただし、東南アジアのカレーを食べたことはない。ともかく、すごく健康な気分になる味だった。
部屋の窓からは、向かいに緑がうっそうと茂った山肌が見渡せ、せせらぎの音も聞こえる。また、鶯など野鳥の囀るのも聞かれた。実に環境のいいところだ。
部屋でビールなど飲みながら少し談笑した後、大きなバッグに数本のワインとチーズや和え物などの食べ物を詰め、このために買ってきたという分厚いシートと人数分の座布団を携えて、近くの森の中へみんなでピクニックに繰り出した。
晴天とはいかず曇り空だったが、五月といえばピクニックであろう。渓流沿いの比較的平たい場所を見つけて、シートを広げ、ワインのコルクを抜き、食べ物を並べる。飲んだり食べたりしながら、わいわいと喋り、笑う。
映画や絵画のなかの人物になったかのようで、開放的でもあり、たいへん楽しかった。自然のなかで、親しい人たちと一緒にいる時間というのは、本当にいいものである。
欧米や韓国の映画を見ていると、友達同士や家族で野原や川原に行ってピクニックのようなことをしている場面がよくあるが、日本では、花見以外はそれほど野外での遊びというのをやらないようだ。
地べたになにかをしいて物を食べたり飲んだりということに、やや抵抗があるのか。でも、昔から「野遊び」という言葉もあり、元来はみな普通にやっていたのだと思うが、いつごろからそうではなくなったのか。

春の野にすみれ摘みにと来しわれそ
野をなつかしみ一夜寝にける

万葉集にある、この山部赤人の歌が昔から好きである。


グルジア産のワインは、ぼくの非常に好きなもので、久しぶりに飲んだが、やはり美味かった。ただ、飲んでいる最中に、友だちの一人が笑い転げて、白い服の上にワインをこぼして、汚してしまったのは気の毒だった。渓流で洗ったり、塩をすり込んだりしていたが、よく落ちないようだった。


夕方になって気温が下がってきたので、部屋に戻ることにした。
山あいなので日が暮れるのも早いらしく、暮れてくるとだいぶ肌寒くなる。
夜、かなり遅い時間まで、色々と話をした。社会のこと、人生のことと、色々突っ込んだ話になるのはいつものことだが、ぼくは正直この頃になると、昼間飲んだワインが利いてきたのか頭がボーっとし、ややぐったりしてきた。集中力というか、元気が長時間はもたないのだ。これは、年齢のせいもあるのか。
それでどうしても口数が少なくなる。もう少し色々考えられ、話せればとも思うが、無理に話さなくてもいいような気もする。比較的真面目な話を他人がしているとき、話すべき内容が本当はないのに、無理に何かを話そうとするようなのが、ぼくは嫌である。話せることがないときは、できるだけよく聞くことを心がけたい。というか、ぼくにはそれしかできない。それにこのときは、薄着していったので、少し肌寒かったし。
と思っていたら、若い夫妻の女性の方が、饅頭の入ったスープを作って出してくれた。これはありがたかった。やはり、すごく美味しい。この友だちは、実は料理が上手だということを発見した。
一緒にいた人たちのおかげで、楽しい一日を過ごすことができた。だがそれ以上に、一緒にいた人たちが楽しい時間を過ごしてくれていれば、ぼくにとっては喜ばしいことである。


夜遅く帰宅してテレビを見たら、NHKマイルはラインクラフトが勝っていた。ぼくは、この馬は絶対無理だろうと思っていたので、もし馬券を買っていたら外してただろう。まあ、買わないでよかった、というところか。