死の文化その3 魯迅

おとといのエントリーの続き。

鵜飼哲さんの書いていた「死の文化」ということから、ぼく自身のなかの、武士の文化や土俗的な死生観の存在の可能性を考えてきた。そうしたものが、現在の社会に見られる、自分や他人の生命に対する冷淡な態度のひとつの根になっているのではないかと考えたからだ。ここでは、いわゆる「新自由主義」や「近代」そのものといった世界的な要素(別の根)は、とりあえず括弧に入れている。
このことにぼくが関心を持つのは、いまの社会の風潮と思われるものに、たんに危機感を抱いているからだけではない。
もし、ぼくが考えているように、このいわば「伝統的」な根というものが、ぼくの中や社会全体に存在するとすれば、それを目の前にしっかり対象としてとらえた上で、いまの社会の問題、たとえば就労ばかりでなく政治・社会や結婚、人間関係に対しても「自発的」になれない人たちが増えているというふうな事柄への対処は、個人的にも制度的な問題としても、不十分なものに留まってしまうのではないかと思うのである。


それで今日は、前回書いた近世の日本の土俗的な死生観、それは死を身近なものと感じさせることによって、自分や他人の生命の価値、いや「生き抜こうとする」という行為の価値を人々に軽視させる効果を、時々の社会のなかで果たしてきたのではないかと考えるのだが、それに対比させる意味で、竹内好が『魯迅』で書いている、別種の死生観の可能性を考えてみたい。
竹内はこのなかで、李長之という中国の文芸評論家の魯迅観を紹介している。それは、次のようなものだ。

魯迅は性格上では内向的である。・・・むしろ孤独を欲し『群』を喜ばない。」
「(前略)彼は人生に対して、あまりに近づき過ぎており・・・余裕がない。我慢できないと、憤然として立去るか、隠れてしまう。これでは、小説を書く態度として不利である。」
「だが彼が農村を描くのに成功したのは、それが昔の印象であり、彼の心情にかかる環境憎悪がまだ染み込んでいなかったからである。」
魯迅は理知的であるよりも遥かに感情的である。彼がその感情を過度に発揮する結果は・・・人に病態と思われることがある。」
「敏感すぎるために多疑に陥りやすい。」
魯迅は多疑であるが・・・人間はこの上もなく善良である。」

これは、数年にわたる隠棲と激しい論争や闘争とに明け暮れた魯迅という人物に関して、実に的確な見方であると思う。だがこれを読んでいても、竹内の魯迅論を読んでいても、最終的に残る疑問は、「なぜ魯迅は最後まで生き抜いたのか」という一事なのだ。
魯迅は56歳で病没している。これは若死と思われるかもしれないが、上に書かれたような魯迅の性格と、論争に明け暮れたその後半生、また何度も死地を潜り抜けていることなど考え合わせると、自殺ではないにしても、もっと早く死と折り合いをつけて世を去るか、社会と折り合いをつけて実質上文学者としての生命を終えていても不思議ではないのだ。
竹内もまた、魯迅について、次のように明快に断じている。

(前略)かれの現在的意識は、つねに自己が自己に不満であるという、暗黒との絶望的な抵抗感から離れることはできなかった。

悪に対抗するものとしての善を、魯迅は信ずることができない。世界に、善はあるかもしれないが、ともかくかれ自身はそれではない。かれが悪と戦うのは、自分と戦うことであり、自分をほろぼすことによってかれは悪をほろぼそうとする。これが、魯迅において生の意味であり、したがって、かれの唯一の希望は、次代が自分に似ぬことである。

これを読んでも、魯迅の生の根底にはニヒリズムが、激しい否定性があったことは間違いないようである。
だが、魯迅は上記のどちらの道(死との折り合い、社会との折り合い)もとらず、戦い抜いて死んだ。それは、どうして可能だったのか。つまり、自己への強い否定性を抱きながらも、戦い続けるという生のあり方は、何によって可能になったのか。
それについて、竹内好は李長之の考えを紹介しながらこう書く。

魯迅における、このような強靭な生命力の根源は何か、という問題について、李長之という若い文芸評論家は、「人は生きねばならぬ」という素朴な生活的信念にあるとしている。そして、この生物学的、自然主義哲学的信念がかれに形成されたのは、若いころの教養の土台となった進化論からの影響が大きいと見ている。これは卓見ではあるが、まだ十分に魯迅のモラルの中核を明らかにしてはいない。私はそれを、原始孔子教の精神にまで遡って跡づけることが可能ではないかと思う。

ぼくは直感的に、この竹内の考えに同意する。魯迅の「生きねばならぬ」という信念の根底にあったのは、彼の近代的な自己意識を越えた土俗的といえるような死生観だったのではないか、と想像するのである。
これは、必ずしも特定の地域(中国)の、特定の死生観ということでなくてもよい。まったく単独にある個人が、このような生に対する信念を持つようになるということは、日本であっても、欧米やどこの国であっても、ありうると思う。理由は分からないが、ありうる。ナショナルな枠組み、ローカルな限定は、絶対的なものではない。
重要なのは、生命と死を意味づける強固な枠組みが存在し、それがここでは個人の生に対する努力を支える方向に働いた、ということである。


前回述べた、死を日常の生活世界にとって身近で親しいものだと考えさせる、日本の土俗的な、おそらく「産土」的といえる死生観と、魯迅が体現していたような、(竹内によれば)原始儒教的な死生観と、どちらが「人間的」かとか「ポジティブ」かといって比較することは無意味だろう。
それは、ある時代のある社会のなかで、それらの死生観がどんな役割を果たしていたかによる。「産土」的な死生観が、必ず生への努力を阻害する方向に働くとはいえない。
ただ、どのようなものであれ、人間は生と死についての枠組みを必要とする。どの社会にも、特に支配的な枠組みというものがあるはずであり、それを広義の「宗教性」と呼んでもいいのではないか、と思う。日本の場合、「無宗教社会」などといわれるが、土俗的であるこの枠組みは過去もいまも強力に働いていて、権力と結びつくような形でわれわれを支配しているのではないか、というのが、ぼくの考えである。それはこれまでの社会においては、人が「生き抜く」ことの価値を過小に考えさせる方向に機能してきたのではないか。
その枠組みを克服しようとするにせよ、ポジティブに活用しようとするにせよ、その実在をはっきり意識することが、社会全体を根本的に変えていくには重要なのではないか、と思うのだ。もちろん、土台はあくまで、自分自身と周囲の人たちの人生なのだが。


この話題、またいつか続くかも。

魯迅 (講談社文芸文庫)

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