『殺人の追憶』

以前から見たいと思っていた韓国映画『殺人の追憶』を、ようやく劇場で見ることができた。

殺人の追憶 [DVD]

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この映画は、去年のキネマ旬報のベストテンでは、『ミスティック・リバー』に次いで外国映画部門の第二位にランクされていた。実際に見て、たしかに犯罪映画としても、またある国のある時代における人々と社会のあり方を描いた「人間ドラマ」としても、第一級の作品だと思った。
また、『ミスティック・リバー』と対比しても、色々なことを考えさせる。
ストーリーについては、すでに多くのところで語られていると思うし、上のURLにも詳しく書いてあるので、ここではあまり触れない(でも、以下の文は滅茶苦茶ネタバレです)。


映画のはじめに、この映画が、民主化運動の激しかった86年から91年までの時期に、韓国のある農村で起きた実際の連続強姦殺人事件の顛末を題材にしたものであるという説明がスクリーンに映される。これは、日本語版だけのものだろうか。たしかに日本の観客にとっては、この説明が付されていることによって理解が大きく助けられる部分が、この作品にはあるとおもう。

80年代後半の日本から見た韓国

この時期というのは、88年にソウルオリンピックが行われるなど、韓国が経済発展の時代に突入した時代というイメージが、ぼくにはあった。韓国の民主化運動というと、70年代の激しい動きや、80年に起きた光州事件などの印象ばかりが強く、この時期には一区切りついていたように思っていたのだが、そうではなかったらしい。
なぜこんな思い込みをしていたかというと、日本のその時代が、もう完全に経済一色の時代になっていたからだろう。ぼく個人の記憶としても、ぎりぎり光州事件までは、テレビや新聞の扱いにしても、社会の雰囲気の面でも、韓国の学生運動朝鮮半島の情勢を日本のそれと重ね合わせてとらえることが出来ていたように思う。それは、薄い重ね合わせ方だったが、なんとなく「ああ、あちらでもやっている」とか、「あっちはどうなってるのか」とか、よく見えない隣の土地のことを気にするような感じがあった。
村上龍に『海の向こうで戦争が始まる』という題の小説があったけど、ちょうどその言葉のような感じで、ぼんやりとだが想像することができそうな感じがあった。これは、いまの「韓流」ブームの気安さとは違うものだ。あの同質性の感じはなんだったのだろう。


ここはロマンティックな要素を極力除去してかんがえると、アメリカを軸にした政治的・軍事的な相互関係のなかに二つの国が共にとりこまれて存在しているという現実が、80年ごろまではまだしも実感できていたということだと思う。
その実感が80年代に入って失われていった理由は、70年代から80年代中ごろにかけて日本での「民主化運動」にあたる可能性をもつものが徹底的に押さえ込まれていったということもあるが、それと同時に日本が経済的にアメリカより優位に立ったことによって「アメリカの影」を日本人が意識しなくなったことが大きかったのではないか。「バブル経済」の政治的・社会心理的な効果は、絶大であったと思う。

時代の変容と自己への迷い

いずれにせよ、この映画の舞台となった80年代後半には、日本では、この韓国の社会に対するある意味で実感的な感じは、まったく消えていた。もう、経済のことしか見えなくなっていた。
その頃、韓国では実際には民主化運動が依然として戦われ、農村では連続殺人事件が、遅々として捜査が進まないなかで発生していたのだ。
この映画で執拗に描き出されるのは、この時代の韓国の警察組織の末端の、拷問と証拠捏造による犯人でっち上げが常態化したかのような、ありさまである。デモや運動家に対する苛酷な弾圧と、民間防衛本部による夜間灯制が繰り返される社会の雰囲気のなかで、警察の強権的な体質は強固だった。
そのために、この連続殺人事件の捜査は難航を極めるはめになるのだが、印象深いのは、民主化運動の漸進的な勝利によって警察のこうした体質が批判にさらされるようになって、現場で拷問や捏造を行ってきた末端のしかも(農村部の、学歴の低い)刑事たちが、上層部によってトカゲの尾のように切り捨てられていく哀れな姿の描写である。一つの時代の社会の体制の末端で歯車として非人間的な役目を負わされ、時代の変化と共に切り捨てられていく人々の悲哀と憤懣を、この作品は見事に描き出している。


この映画は、まさに時代の変容ということ、あるいは変容の時代というものを主題にした作品であるともいえるだろう。
映画のクライマックスで、ソン・ガンホの演じる中年の刑事が、有力な容疑者の青年(パク・へイル)に投げかける、「俺にはもうわからん」という台詞は、この事件の真相に関してだけ言われている言葉ではないだろう。
これまで自分が信じてきたものの虚偽と、これからやってくる時代の不透明さ(サイコ的な犯罪と容疑者)とのはざまで、信じられるもの、確固たるものがすべて失われた深い闇のなかで、一筋の光に希望を託そうとするように、目の前の一人の若者に投げかけられたその次の言葉は、「メシは食ってるのか」だった。この一言に、この映画のメッセージのすべてが集約されているといってもいいだろう。

黒澤の『野良犬』と、『殺人の追憶

ところで、この映画を見た日本の映画監督阪本順治は、「黒澤明の孫が、韓国に生まれた」という賛辞を述べたという。
おそらく、黒澤の傑作『野良犬』のことが念頭にあったのだろう。ぼくも、とらえどころのない犯人を追い求める刑事たちの人間像の力強い描き方に、あの作品を思い出さずにはいられなかった。
1949年に作られた『野良犬』と、『殺人の追憶』が共通しているのは、追う側と追われる側とが、急激な時代の変容がもたらす混沌のなかで、どこか重なり合い、ときには交じり合いさえするような危うい姿である。『野良犬』の三船敏郎は、戦場での体験を経て、自分が追いかけている当の犯人が、自分自身であってもなんら不思議はなかったのだという、奇妙な思いから逃れることができない。この切迫した迷い、同一性の混乱のようなものは、三船が木村功を捕えて野原の中に倒れこむ伝説的なシーンで頂点に達する。
一方、『殺人の追憶』でも、犯人を追うソン・ガンホキム・サンギョンの二人の刑事は、共に自分自身が精神的な危機に見舞われていき、その混乱のなかで二人の刑事は対照的な自己回復の道を選ぼうとすることになる。それが、あのトンネルのシーンだとおもう。


だが、さらにこうも思うのだ。『殺人の追憶』では、事件は結局迷宮入りする。映画の最後では、ソン・ガンホが警官を辞めてビジネスマンとなり、妻や子どもたちと平凡な家庭を築いている2003年現在の姿が描かれる。彼はあるとき、15年前に自分が死体を発見した現場を偶然通りかかって、再び、すでに忘れていたであろうあのときの「深い闇」、自分と社会に対する迷いに直面することになる。その迷いの生々しさを提示して、この映画は終わっている。
一方、『野良犬』でも、最後の場面で入院している志村喬を見舞った三船は、再び自分と社会に対する深い迷いを口にする。志村が、秩序は取り戻され社会はかならずいい方向に前進するという希望を口にするところで、あの映画は、やや曖昧に終わっていた。
韓国のことはともかくとして、1949年以後の日本の場合、三船が体現していたあの自己への迷いの生々しさ、真実さは、果たして維持されたであろうか。トンネルの中に銃弾を放ったキム・サンギョンのように(あれは、わざと的を外したということかもしれないが)、この国の社会では不幸な「自己回復」が行われ、人間が体制の外で生きる可能性の芽は、摘み取られ埋められてしまったのではなかったか。
ぼくがいま、自分自身に向かって問いたいのはそのことである。


はじめに書いた80年代の話に戻って言うと、ぼくが生きた80年以後の時代では、それまでかすかに見えていた、韓国と日本という二つの社会のつながりが、なぜ見えなくなったのか。その空虚さに抗議したい気持ちがぼくにはある。
自分が生きてきた時代の大半において、いや全部かもしれないのだが、ある時期以降は特に、当然目の前に見えているべき現実が隠されてしまったということがあり、その喪失の感覚は、ぼく自身の生が持つ喪失や空虚さとどこかで重なっている気がするのだ。
ぼくが、韓国の映画をよく見るのは、自分にとっての失われたものを探す手がかりが、そこにあると直感しているからだと思う。
『野良犬』の三船が木村功に感じていたように、その失われた何かは、ここ(自分)ではなくあそこ(相手)にある。ぼくにはそう思えるのだ。