「太陽の男たち」

ハイファに戻って/太陽の男たち

ハイファに戻って/太陽の男たち

過去十年の間、彼のしたことはただ待つことだけであった・・・おまえはなけなしの樹々、おまえの家、青年時代、故郷の村すべてを失ったことを認めるのに、空腹な十年もの歳月を必要としたのだ・・・この長の十年の間に人々はそれぞれ自分の道を切り拓いてきたが、おまえときたら賤しい主家の老いぼれの犬のように、ただ坐りこんで無為の日々を送ってきたのだ・・・散散待ち侘びて何があったというのか。(p14)

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希望の卵

モジモジさんの記事を読んで知った、村上春樹氏のエルサレム賞授賞式についての報道。

http://www.asahi.com/culture/update/0216/TKY200902160022.html

村上さんは、授賞式への出席について迷ったと述べ、エルサレムに来たのは「メッセージを伝えるためだ」と説明。体制を壁に、個人を卵に例えて、「高い壁に挟まれ、壁にぶつかって壊れる卵」を思い浮かべた時、「どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側に立つ」と強調した。


 また「壁は私たちを守ってくれると思われるが、私たちを殺し、また他人を冷淡に効率よく殺す理由にもなる」と述べた。イスラエルが進めるパレスチナとの分離壁の建設を意識した発言とみられる。

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文学・宗教・政治

村上春樹氏への働きかけを批判する人って、たいていはイスラエルの行動に「苛立ち」だの「憂慮」だのを抱いているらしいが、その人なり(要は自分なり、ということであろう)のやり方というものがあったり、行動できない事情がある場合もあるのだから、その行動なり非行動の自由を束縛するのはおかしい、という言い分のようである(こっちは、束縛するつもりはないんだけど。)。
ところが、この人たちは、村上氏に働きかけることがこの問題の解決(改善)のための「有効な方法だ」と思ってる人たちの行動や発言の自由だけは認めたがらないようなのだ。
変なの。

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われらが心の内なるイスラエル

村上春樹さんの「エルサレム賞」受賞に、一ファンとして言っておきたいことhttp://d.hatena.ne.jp/fujipon/20090127/p1

ある目的を果たすための道は、必ずしもひとつではないし、人にはそれぞれ、自分のやりかたがあるのです。


それが他者に致命的なほどの痛みをもたらすものでないかぎり、誰かの「抗議」のやりかたが自分の意にそまないものだからという理由で、「人として批判されてるのです」なんて言うのこそ、「イスラエル的」じゃないの?


「正義」とか「大義」って怖いよ。


イスラエル的なものは、世界のあの場所にだけあるんじゃなくて、僕たちの心のなかにいまも息づいているのです。

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『光州の五月』

光州事件に深い関わりをもつ人物でもある作家の手になるこの小説は、たんに歴史の事実に材をとったというだけのものではなく、社会や個人にとっての「暴力」という複雑で壮大な主題に肉薄した文学作品になっている。

光州の五月

光州の五月

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