われらが心の内なるイスラエル

村上春樹さんの「エルサレム賞」受賞に、一ファンとして言っておきたいことhttp://d.hatena.ne.jp/fujipon/20090127/p1

ある目的を果たすための道は、必ずしもひとつではないし、人にはそれぞれ、自分のやりかたがあるのです。


それが他者に致命的なほどの痛みをもたらすものでないかぎり、誰かの「抗議」のやりかたが自分の意にそまないものだからという理由で、「人として批判されてるのです」なんて言うのこそ、「イスラエル的」じゃないの?


「正義」とか「大義」って怖いよ。


イスラエル的なものは、世界のあの場所にだけあるんじゃなくて、僕たちの心のなかにいまも息づいているのです。


「他者に致命的なほどの痛みをもたらす」どころか、現実にガザではたくさんの他者の命が奪われ続けてるわけですよね、今も。
そして、いま「イスラエル的」という形容詞を使うとすれば、その意味以外にはありえない。これは、イスラエルの人たちに対するぼくたちの責任においても、そう言えるわけです。
今の状況で「イスラエル的」という言葉を、「パレスチナ人という他者に対する虐殺を公然と行って正当化するロジック」という意味で用いず、「他人の抗議のやり方を人格的な非難に結びつけて糾弾する物言い」というような意味に変容させて用いるというのは、事実的なものと観念的なものとのそのすり替え自体がまさにイスラエルが行ってきた手法だろうけど、イスラエルの(「ユダヤ系」とされる)人たちに対しても、あまりに冷淡でしょう。


重大な問題について、ある人の抗議の仕方が自分から見て不十分に思えた時、そしてその相手が社会的・政治的に相当な発言力と地位を有していると考えられ、さらにその人物にそのような抗議の機会が与えられてると考えられる場合には、その抗議の不十分さを非難したり罵倒したりすることは、正しいことですよ。
ぼくは村上さんという作家には特別な期待をまったくしていませんので、今回彼がどういう態度をとったとしても、せいぜい「ああやっぱりかと、がっかりする」ぐらいのものでしょうが、この賞をすんなり受けた場合に考えられる政治的な影響の大きさを真面目に考えるなら、その場合やはり村上さんは断然非難されるべきだ、ということが言えるわけです。
繰り返しになりますが、そういう非難のあり方を封じるような物言いこそが、イスラエルが行ってきた手法であり、まさにおっしゃるとおり、それは『僕たちの心のなかにいまも息づいているのです』。