国場幸太郎の伝説の名著ともいわれる『沖縄の歩み』が、今年6月、岩波現代文庫から修正を加えて再版された。この本は、施政権返還から間もない1973年に、牧書店というところから、青少年向けのものとして出版されたそうだが、平易な文章でありながら重厚な内容である。
題名の通り、古代からの沖縄の歴史を書いてるのだが、冒頭の二章に沖縄戦を置き、それ以前とそれ以後の歴史を書き継いでいくという異例の構成だ。沖縄にとって、歴史とはどのようなものとして存在するのか、そして、それは沖縄だけにあてはまることなのか、このことからだけでも考えさせられよう。
73年の初版時に書かれた「まえがき」で、著者の国場は、こう書いている。
『沖縄を見る目は、日本を見る目をするどくすると、よくいわれます。沖縄の歴史を知ることは、沖縄の現実を理解し、沖縄の将来を考えるのに必要なだけではありません。それは、また、日本の真実の姿に照明をあて、日本の前途を考えるためにも必要なことです。
私は、そう考えて、この本を書くことにしました。(pⅲ)』
つまり、呼びかけられているのは、私たち日本の民衆でもあるのだ。
本書の最大の特徴は、なんといっても、沖縄が歴史のなかで常に日本(ヤマト)の植民地主義の暴力にさらされてきた、という視点の一貫性だ。
最近、首里城の消失に際して、琉球王国の繁栄が想起され、明治の「琉球処分」がそれを無残に潰したことも語られたが、本書を読むと、それに先立つ薩摩藩の(構造的には日本全体による)琉球への支配こそが全ての始まりだったことがよく分かる。
明治以後、アジア侵略に向かう日本帝国の(戦後は日米の同盟による)政策の下で、そうした支配からの脱却を求めた沖縄の人々の歩みを、著者は(自身の米軍機関による拉致・拷問の体験をも交えながら)書いていくのだが、そこでとくに印象的なことは、あくまで内側からの批判の目を失わずにしっかりと見つめる姿勢だ。その捉え方が、よく示されている箇所を引用しよう。
これは日本復帰運動が始まった1950年頃の沖縄の状況に関するくだりだが、当時も一部にあった反対派(「独立派」)の「日本に復帰したのでは、被差別と搾取の現実が再来し、沖縄戦の悲劇が繰り返されるだけだ」という主張に対して、復帰派の人びとが「われわれが復帰しようとしているのは、かつてのような天皇中心の日本ではなく、国民中心の民主主義的で平和愛好国家の日本なのだから、そんな心配は杞憂に過ぎぬ」という趣旨の応答をしていたことについて、こう書かれている。
『これでは、問題の答えになっているとはいえません。なぜかというと、ここにえがかれている日本の姿は、現実の日本の姿ではなく、日本復帰を主張する人びとの胸のなかにある理想の姿でしかないからです。もし、当時の日本が、ここにえがかれているように理想どおりの民主的な平和愛好国家になっておれば、沖縄を日本から分離して、アメリカの軍事基地にすることに、日本政府が賛成するはずはありません。
しかし、事実は逆に、日本政府は、日本の独立を回復してもらい、資本主義経済を立てなおしてもらう代償に、沖縄をアメリカの軍事占領支配にゆだねたのでした。第二次大戦の末期に、アメリカ軍の本土上陸を引きのばし、本土決戦を避けるための捨て石にされた沖縄は、こんどは、日本が敗戦の憂き目から立ちなおるための質草として、アメリカにゆずり渡されたのです。そして、沖縄の住民が「八千万同胞」と親しく呼びかけている日本国民も、一部の人びとをのぞいて、沖縄のことにはほとんど関心がありませんでした。それでも、なお、沖縄の人びとは、理想の「祖国」を思いえがいて、日本復帰運動をつづけました。それ以外に、アメリカの軍事占領支配からぬけ出す道を見つけることができなかったのです。(p224~225)』
著者は、上記の反対派の言い分が「杞憂」に終わらなかったことが明白となった、1973年の時点に立って、これを書いているのである。
結局、日本の(あるいは日米の)植民地主義的な支配から脱却し、解放されようとする沖縄の人々の歩みは、一面では、つねに、理想化された強い他者(清国・祖国日本・米国など)に依存しようとしては裏切られるものだった。このことは、一見「解放」とは逆のベクトルを持つように見える「日本化」「皇民化」の願望の底にも、共通して見出される、沖縄の人々の苦しみのあり方であり、桎梏そのものだったともいえよう。
国場(著者)は、そうした理想化された他者への依存という心性から脱して、自分たちの足下から解放への道筋を作り上げていくことの大事さを、この本で語っている。
そして、その実践の生きた証として、とりわけ第二次大戦後の沖縄の人々の、米軍の軍事占領に対する抵抗の積み重ねを見ようとするのである。それは、ひたすら「本土なみ」になることを求めてきた戦前の沖縄の姿と対比する時、自分たちと同様に外国の植民地支配の暴力に苦しんできたアジアの人民との連帯を目指すという、まったく新しい心のあり方を示しているからだ。
このような国場の眼差しは、天皇(そして米国)という理想化された依存の対象に、またしても耽溺しつつある私たちをこそ、鋭く打つものであろう。