私が理解できないこと

新聞をみてると、今回行われた日米首脳会談について、「日中・日露の関係が緊迫するなか、日米関係を強化したいところだが、沖縄の基地移設問題がネックになっている」という論調になってるのには唖然とする。


これが、「沖縄から基地を無くしていきたいのは山々だが、今は日中・日露がこういう状況なので、それがネックになって思うようにいかない」という言い分であれば、同意するわけではないけど、まだ理解が出来る。
だがそうではなく、日米関係の強化が至上命題なのに、沖縄が基地をすんなりと受け入れないから、それがネックになって事が進まない、という言い分なのだ。
つまり、自分たち(日本国民である)の安全(というより安心?)とか権益とかプライドの保持のためには、沖縄が犠牲になるのは当たり前だということだろう。


鳩山政権当時、沖縄の基地の問題に全国的な関心が集まっていた頃は、かならずしも「左翼」的でない、どちらかといえば国民主義的な民主党支持層の人の中にも、「同じ国民」でありながら沖縄にだけ基地の負担が押し付けられるのはひどい、という感想(義憤)をもつ人が少なからず居たと思う。
その人たちは、いまこの問題をどう思ってるのだろう*1
中国やロシアの圧迫がマスコミで騒がれ出して、自分たちの利害が危ういとなると、もう「沖縄の負担軽減」などということはどうでもよく、アメリカとの関係を強化するためには沖縄が基地を受け入れ続けることが当然だと考えてるのだろうか?
そうであれば、それは国民主義とかナショナリズムとか呼べるようなものでさえなく、たんなる「自己中」だ。


「国民平等」というようなスローガン(このスローガンを一応認めたとして)も、結局は自分たちの利益だの安全・安心だのプライドだのの前では、捨て去られてしまう程度のものだったのか。
現状では、そう思わざるをえないではないか。
私は、沖縄だけに負担を強いないために自前の軍事力を確保しようというナショナリストの主張は、そういう発想が沖縄に大きな被害をもたらしてきた歴史があるのだから決して認めないけれど、それにしても自分たちの利益や安全を犠牲にしてまで「平等」(沖縄への差別の撤廃)にこだわって日米安保の見直しを叫ぶ主張には真摯さが含まれていると思っていたが、どうもそれは買い被りだったらしい。
所詮、この人たちが叫んでいた国民主義ナショナリズムというスローガンの内実は、その程度のものなのか。



菅政権がこのようにアメリカとの関係強化をアピールするということには、それによって支持層の一部をつなぎとめられるという判断があるのだろう。
全体的に言って、こういう人たちが何を考えてるのかが、私には分からない。
沖縄に基地を押し付けることで犠牲を強いたり、軍事力を強化することによって保証され成立するような社会は、「民主的」という名に値するか?
たしかに、そういう形(差別と軍事化)で「民主主義」を守っていると強弁しているイスラエルのような国もあることにはあるだろう。
そういう社会を本気で目指してるわけか?


前回の総選挙で民主党に票を入れた人たちの考え方が、この点において変わらない限り、日本の政治と社会の現実は、差別と暴力の危険に満ちた、今のような状態から抜け出せないだろう。

*1:そんな人は少数かも知れないが、大事な少数だと思うから、ここに書くのだ。