『ティエリー・トグルドーの憂鬱』

あんまり期待しないで見たんですが、この映画は、びっくりするぐらいの秀作だった。
一方で、この作品はフランスで記録的なヒットになったそうだが、こういう映画がそれほどの観客動員をするというのは(最もホットな社会問題を扱っているとはいえ)、日本では考えられないとも思う。
http://measure-of-man.jp/


主人公は会社をリストラされて1年半も職探しをしている中年か初老ぐらいの男。
妻と、障害のある(脳性まひだと思う)息子と三人暮らしなので、生活はたいへんひっ迫している。
前半は、その日常を、ドキュメンタリーのような淡々とした調子で、しかし非常に丁寧に描いていく。こういう描き方は、ケン・ローチやタルデンヌ兄弟など、欧州の映画では見られるが、合衆国の映画では見たことがないなあ、と思った。マイケル・ムーアの映画(あれはドキュメンタリーだが)とかとは全然違う。日本の映画でも、似たものはあるが、ここまで現実に即している感じのもの、それでいてしっかりと作られているものは、ちょっと思い浮かばない。
困難を極める職探しと、日々の生活のやりくり、そのなかで少しでも人間らしい暮らし(市民的なものだが)を求めようとする主人公の姿。
特に印象的だったのは、面接の訓練をする教室のようなところで、主人公が面接官の質問に答える様子について、他の生徒たちから、とことんダメ出しをされる場面。人格がどんどん否定されていくのだが、乾いたユーモアも感じさせる。
見ていると、新自由主義の経済による労働者の生存の危機という大枠の情勢は日本と同じでも、壊されようとしている土台の部分がずいぶん違うことも分かってくる。社会の土台がずっと頑強に出来ているのだ。だからこそ、今年になってから労働法制の改悪をめぐる大規模なデモが頻発しているように、大きな抵抗もあるのだろう(もちろん、デモや抗議についての考え方の違いも大きいだろうが)。


こうして、前半は何のドラマ性もないのだが、まったくあきさせず、後半の緊迫した展開に引き込んでいく。
主人公は、前職を生かした就職をあきらめ、巨大スーパーの保安係の仕事につく。
数十台のカメラで、客だけでなく、店員の動きが細かく監視される環境。同僚を疑い、追い詰めていくようなその職務のなかで、主人公の心はどんどんすり減っていくのだが、それを決して表面には出さない演出と演技がされていて、その抑制がとても効いており、鮮烈なラストへとつながっていく。あの終わり方は、スクリーンの中と同じ現実を生きている観客個々に、解釈を迫るようなものだったと思う。
こんな見事な映画を見たのは、ほんとに久しぶりだ。
難解さは全くないのだが、観客に媚びるところも皆無。欧州の映画文化と社会の、底力みたいなものを感じた。
お勧めです。