だいぶ日にちが経ってしまったが、GWの頃に大阪九条のシネヌーヴォで、没後20年をむかえたドキュメンタリー作家小川紳介(と小川プロ)作品の特集上映があり、見に行った。
http://www.cinenouveau.com/sakuhin/ogawa/ogawa.html
小川紳介については、よく映画を見ていた8、90年代頃から名前だけはよく聞いていたが、作品を見たことがなかった。
フィルムの劣化や16ミリの映写機材の関係から、このような特集上映は今回が最後になるかもしれないとの噂を聞いた。また、ネットで調べた限りでは、DVD化などもあまりされてないような感じである。この機会を逃すと、なかなか見ること自体難しいのかもしれない。
それで、急に思い立って見に行くことにしたのだが、諸般の事情から、結局三本しか見られなかった。有名な三里塚の闘争を記録した6〜70年代の連作などは、一本も見れなかった。
上に書いたような事情で、作品に興味を持っても見ることが難しいのでは、ここに書く意味がどれほどあるのか考えてしまうのだが、せっかくなので感想を書き留めておくことにする。
見たのは、70年代前半の横浜寿町の寄せ場を舞台にした『どっこい!人間節〜寿・自由労働者の街』(75年)、山形の農村に集団で移住してからの映画で、小川の名が世界的に知られるきっかけとなった『ニッポン国古屋敷』(82年)、それに集大成ともいわれる怪物的な大作『1000年刻みの日時計〜牧野村物語』(86年)の三本である。
まず『どっこい!人間節』だが、これは当日映画館に行くまで、内容をまったく知らなかった。というか、プログラムを把握してなくて、作品名自体、行ってみてはじめて知ったのである。
この映画は、さきに書いたように、70年代前半の寿町の寄せ場に集まり、そこに暮らす人たちの姿を撮っている。当時から寿町は、山谷、釜ヶ崎と共に「日本三大寄せ場」の一つと言われてたそうである。
小川プロの若い作家たちが、そのなかの宿泊施設に一年間泊り込んで撮った映像を、小川たちが構成・編集して作品にしたものだそうだ。
さまざまな事情から、この街に集まってくることになった人たちが、カメラの前でその生い立ちや、寿という街と今の社会全体への思いを語ったりする。
登場する人たちはみんな総体に「若い」、という印象を受ける。それは年齢的なこともあるが、社会全体を変えていきたいという夢や願望のようなものが、語りや表情の底に息づいているという感じがあるのである。
これは、70年代前半という時代を表わしているのかもしれない。この頃、ぼくはまだ子どもで、世の中全体はそんなに元気がある感じではなかったと思うのだが、社会のなかで生きている人たちにとっては完全な閉塞という感じではなく、抑圧されつつあるという怒りや不満と、それでも世の中を良い方向に変えて行けるという集団的な感覚とが、せめぎあっているような時代だったのかもしれない。
この映画に登場する人たちの声と姿からは、そんなことを感じる。
映画は、そういう人たちの姿を、それこそ非常に生々しく伝えている。
インタビューの場面を見ていて驚くことは、語っている人たちの多くが、カメラやマイクを意識していて、サービスしたり演じようとしているように見えることである。
これは普通なら、証言の映像としては欠点になりかねないものだろう。だがここではそのことが、映画を撮っている人と、撮られている人との、過剰なほどの親密さを感じさせると共に、登場する人たちの人間らしさ、人間臭さのようなものの表現として成立している、と思った。
そして、それは同時に、映画を撮っている人たちの人間臭さを露呈させるという効果をも産んでいる。被写体を撮ることをとおして、逆に映画を撮る側の人間たちの、人間臭さ(人間性とか人間らしさ、という言葉よりも卑俗なもの)がフィルム上に曝け出される。これは、小川プロ作品の、一貫した特徴であり魅力になってるのではないかと思う(各作品でナレーターを務めている小川紳介の、どこか、いかがわしささえ感じさせる親しみやすい語り口からは、とくにそういうものを感じる)。
登場人物たちは、カメラの前でサービス精神や韜晦や誇張を交えて語ることがあるかもしれないが、その虚実を越えたところで、はじめて伝わってくるような人間の生の実像というもの。そうしたものをこそ、小川たちの映画は伝え、社会に広めていこうとしていたのではないか。そんなことさえ考えてしまうのである。
実際、「語り」と「騙り」、ドキュメント(証言)とフィクション(物語)の境界の融解は、この後も小川たちの作品の最大の特徴になっていったと思える。
特に印象深かった箇所。
ある夜、在日朝鮮人の青年(字幕では「朝鮮の人」と出る)が、この街で育った16歳の少年と口論になる (画面では、青年の方の顔は映されない)。
青年は、寿の人たちと警察との衝突に触れて、どんな理由があっても暴力はよくないと強調するのに対して、少年は、差別を受けてきたこの街の人間には、権力に対抗して暴力を使わざるをえないときがあるのだ。それは、ひとくくりにして否定されるようなものではないと反論し、口論になる。
間に入った久保さんという若い人、この人は映画の重要な登場人物で、小学校を出てから、少年院と刑務所の中だけで育ってきた、非常に思慮深い人なのだが、この人が少年を諌めて、「お前には、この人の気持ちが分ってない。差別を受けたといっても、お前はまだ一代じゃないか。自分が努力すれば何とかなることだ。この人が受けてきた差別は二代だぞ。」と怒鳴る(このやりとりの中で少年は、自分が沖縄に出自があるということを口にする。)。
このあと、久保さんは、自分がかつて朝鮮人の一家と一緒に暮らした体験を語り、朝鮮人の青年に向って、「あんたも、嘘を言っている。本当は、今の自分の生活をそのまま持って、自分の国に、もし帰れるなら帰りたいと思ってるはずだ。あんた、自分の感情を殺してないか?」と問い詰める。
すると青年は小さな声で、「殺してます。」と答える。
この久保さんだが、いわゆる越冬闘争の最中、上司のような人から、こういう闘争をどう思うかと聞かれて、「ほんとうは、こんな闘争をしなくても、人間が普通に生きていける社会になればいいと思う」という意味のことを答える。
だがそういう方向に世の中は進まず、かえって景気が良くなると、寿町には(食い詰めてやってくる)人間が増えてしまうように思える、とも語る。 その逆説的な言葉に、上司の人は、ひどく感心する。
重度の筋ジストロフィーの障害を持っている男性が、やはり重要な人物として出てくる。
インタビューされても、自分の思いを打ち明けない感じで、とくに「寿町をどう思うか?」という問いには、なかなか答えようとしない。
「寿町は住み良いところですか」と何度も聞かれると、「はい、住み良いところです」というのだが、また、「だんなさんたちが頑張っている間は、ぼくも頑張りますよ」という風に言う。
この町にも、社会一般と同じ差別や権力関係があることが、言外に示されている場面だろう。
だがこうしたやりとりの全体にわたって、やはり(自分自身にも対する)演技や韜晦の印象がつきまとうのだが、そうしたことをひっくるめて、生死のぎりぎりのところで生きているこの男性の姿がカメラに捉えられている。
この人が、自分の夢のようなものを語るシーンがある。
それは、日本の政治を根本からひっくり返すということである。
「女であっても、男であっても。拳をあげて」という風に言う。
そのことが実現するのをこの目で見てから死にたいと思っていたのだが、どうも間に合いそうにない感じだ。それだけが悔しい、と呟く。
次に『ニッポン国古屋敷』だが、これは4時間近い大作である。
山形県の山深い農村「古屋敷」の厳しい自然環境と、そこに生きる人々の記憶を扱ったこの映画は、前半が五年に一度は冷害に見舞われるというこの村の、ある夏の稲の被害の実情とその原因の究明を克明に描いた科学映画、そして後半では数少ない村人達の暮らしぶりの活写と共に、その人々の「語り」(証言、と呼ぶよりもこの語の方がふさわしい)を通して「ニッポン国」の近現代史の実像を浮き彫りにする内容となっている。
一般には後半の語りと歴史を扱った部分が、特に評価が高いと思うのだが(たしかに、内容、構成ともに卓越している)、ぼくは特に前半の科学映画的な部分に圧倒された。
この地域は、五年に一度ぐらいの間隔で冷害に襲われてきた。それは、海の方から山々を越えて流れてくる「しろみなみ」と呼ばれる霧に関係して起こるらしいのだが、映画の作り手たちは、村人の協力を得て、そのメカニズムを徹底的に調べ上げ、映像化していく。
誰も名を知らないだろう山奥の農村の、稲の被害の実情と原因を科学的に究明するだけでなく、人々(観客)に分りやすく伝えるために行われる、驚くべき工夫。
文字通り稲の一本一本、稲粒の一粒一粒まで、予備知識のない観客にできるだけ具体的なイメージをもってもらい、客観的に実情を把握してもらうための素材として、最大限の工夫を施されてフィルムに映し出される。
そして、生き生きとした人物達の会話によって(かなり演出も施されてると思うが)、さらに観客の心に内容が刻み込まれていく。
「ドキュメンタリー=未加工の現実を映すだけのもの」とか、「科学=上からの啓蒙」とかいう固定観念が、完全に否定される。
そこには、実証的な科学的知識を、人々へと分りやすく伝え共有することによって、はじめて現実の力にしようとする、「民衆の科学」とでも呼ぶべき情熱が息づいているように感じられた。
後半の、生活と歴史に関する語りの部分ももちろん見事である。
ひとつ印象的だったのは、「立派な道路が出来たことで、この村は生活がかえって苦しくなった」という老人の述懐だ。
ここには70年代以降如実になった、日本の近代的な政治・社会システムの歪みが示されていると思った。
それは、取り残され近代化の犠牲のようにされた地方や過疎の地に、その代償として橋や道路を作るというシステム(田中角栄の「日本列島改造論」の発想だ)、もっと一般化して言えば、近代日本的な再分配の思想だと思うが、それが実際には地方(弱者、犠牲者一般)に実質的な「豊かさ」ももたらさなかった、という現実である。
それは、今、福島でも沖縄でも、明白になっている事態ではないかと思う。
これは、『どっこい!人間節』のなかの、「景気が良い時ほど、寿には(仕事を失ってやってくる)人が増える」という言葉にも、どこか通じるものではないかとも思う。つまり、犠牲の代償(見返り)として再分配されているはずの「豊かさ」が、かえって生活を破壊していくのだ。
同時にそれは、この映画のずっと後の方で出てくる、一番下の階級の兵士として太平洋戦争に従軍した老人の、「戦争というのは、ごく一部の人にだけは利益があるのだろう」という言葉にもつながるものだろう。自分たちのような末端の立場に近くなるほど、得られるものはどんどん少なくなり、命も完全な使い捨てということにされた。そして、戦争にだけは絶対に反対だと、この老人は叫ぶのである。
だが、使い捨てにされるだけなのは実は、「末端」の人たちだけではない。世間一般の多くの人も、そのことに直面しないような仕組みに取り込まれて、管理されているというだけで、利用されるだけという実態は同じである。ただ、末端に近い人だけが、その仕組みの虚妄に気づかざるをえない位置を生きている。だからこの人たちの叫びは、時として、それ以外の人々を苛立たせたり蔑みの感情を抱かせたりすることもあるだろう。
そういう虚妄の仕組み、冷酷な管理の装置を突き破るような道はあるのか?
この映画は、そんなことも考えさせる。
最後に、『千年刻みの日時計』。
やはり4時間前後にも及ぶ大作。
山形県牧野(まぎの)村という農村にプロダクションの人たちと移り住んでからの10数年間に撮り貯めたものを映画にした、という説明だったが、実際は二つの長い劇をはじめ、フィクションとドキュメンタリーが混交した、複雑な構成の映画である。
現在の農作業の科学的な検証と実践の、詳細な記録にはじまり、土地の人たちが語る昔話から見えてくる、近代や近世や古代の人々の暮らし。そこに登場する考古学者や歴史学者の、魅力的な人柄。
村人や、学者達の、人間臭い「語り(騙り)」の要素が、次第にドキュメンタリーという領域を侵犯し、フィクションとの混交状態になだれ込んでいく。
この制作上の一種の猥雑性というか、反禁欲性のようなものが、小川紳介のドキュメンタリーの大きな特質になってると思うのだが、『千年刻みの日時計』は、まさにその極致と呼ぶにふさわしい作品である。
その「反禁欲性」がよく現われているのは、父親が農作業の途中に「陽物神」(男性器の形状をした石で、古代から信仰の対象になった)を掘り出した、一人の農民が、その経緯を、父親や20年前の自分自身の役を演じながら語っていく場面だろう。
この農民ばかりでなく、その妻や、隣人、神主たちまで、当時の自分自身を演じて、当時の状況を再現する。 そこには、事実の生真面目な証言とも、真剣な演技とも趣を異にする、人を喰ったようなユーモラスな感じが漂う。
語られる対象が陽物神だけに、それは卑猥さを含んだ場面でもある。
映画全体を通して言えるのだが、事実を客観的に「語る」ということと、演技し「騙る」ということとの境が曖昧で、易々と踏み越えられる。ただ、その境界を横断する生のエネルギーのようなものだけは、フィルムに正確に焼き付けられる。
その荒々しいほどの力に満ちた生の全体を、この作品は、特に意識して記録しようとしているように感じた。
映画のハイライトは、250年ほど前に起きた一揆を、その子孫である現在の村人達が演じる歴史劇の部分だろう。
田村高広、石橋蓮司、河原崎長一郎というプロの俳優たち(この映画には、他にも豪華な俳優陣が出演している)が演じる役人達による、威圧的な取調べ(吟味)、拷問と卑劣な手法を交えての尋問に対峙する、牧野村の現在の村人たちの、堂々たる演技。
とりわけ、一揆の場面で次々と要求を読み上げる村人たちの姿は、まるで自分たち自身が一揆を起こして中央権力に対峙しているかのように生き生きして、喜びと力強さにあふれている。
これはとても、たんなる「演技」などというものではない、と感じざるをえない。
そこに、この東北の一農村を空間的な舞台として、現代と過去をつなぐ重層的な時間性を対象とした、本物の「ドキュメンタリー映像」が成立している、とも考えられる。
実際、小川たちが描きたかったのは、そういうものではなかっただろうか。