『物語による日本の歴史』




武者小路穣石母田正が協力して、この本を書いて出版したのは、1957年だそうだ。
石母田に代表されるように、「国民」や「民族」の歴史を、民衆中心に肯定的に捉えなおすことで民主的・国際協調的な国家・社会を作っていこうとした、(いま思えば大変問題含みでもある)当時の歴史学の雰囲気のようなものがよく伝わってくる。
とりあげられている神話や物語の現代語訳を担当したのは武者小路で、子ども向けに書かれたその文章は、たいへん平易でありながら、工夫を凝らされていて、感心させられる。
また、巻末に付された石母田による作品と歴史の解説は、非常に明快であり、学ぶところが多い。


印象深かったところを何点かあげると、たとえば最初の神話のくだり。
「国ひき」「国作り」「国生み」の三つに分けられ、出雲系の要素が強い前二者が重視される。
「国作り」の最後の部分は、とくに感慨深かった。

国作りがおわると、大国主神スクナヒコナにききました。
「わたしたちの作った国は、うまくできたといえるだろうか?」
「うまくいった所もあるし、うまくいかなかった所もあるね。」そう答えたスクナヒコナは、もう自分のしごとはすんだと思いました。そして、出雲の沖にある粟島にわたって、一本のアワのくきによじのぼりました。アワは一どしなったかと思うと、ピーンとはじきあがりました。そのいきおいで、スクナヒコナは海の向うの遠くの国にわたってしまったということです。(p025)

僕が言うのは、今の日本の、醜悪で悲惨な現状から見返って考えると、この冒頭のやりとりに感慨をもたざるをえない、という意味だ。
スクナヒコナは、元々「外」から来た神なのだ。
僕は日本の神話についてほとんど知らないが、征服の物語の色彩が濃い大和の神話と比べて、出雲の神話には、地方的であるがゆえの開かれた性格、国際性のようなものがあるのではないかと、この本を読んでいて思った(ただし、「国引き」の神話のように、出雲系の話のなかにも大和国家の影響がみられるものがあるようだ)。
これら日本の神話について、石母田の書いていることが面白いので、ちょっと分かりにくいかもしれないが、引いておこう。

生きた具体的な物語は、個々の小さい国々の成立を素材としたばあいにだけ、可能である。(中略)「国引き」は出雲国の国土がどのようにしてできたかを物語の対象としているのにたいして、オオクニヌシの物語は、国作りのいわば政治的な面を物語の対象としている点が特徴である。ちょうど、日本の国土の形成を物語った「国生み」の物語にたいして、それにつづく天孫降臨神武天皇の東征物語が政治的な物語であるように、出雲国の生んだ神話にも、二つの物語ができていたのである。ただ出雲の二つの物語が、素朴な、生きた神話らしい神話になっているのにたいして、前者が規模だけは壮大だが、文学としても、物語としても貧弱だというちがいがみられる。(p269〜270)


また、非常に面白いと思ったのは『竹取物語』である。
この話は、ちゃんと読んだことがなかったのだが、月から姫のお迎えが来ることを聞かされた時の、年老いた両親(育ての親)の反応が、生々しいほどに描かれている。自分の子どものように苦労して育ててきたのに、手放すことなど出来ないと主張するのに対して、天帝は「おまえはそのおかげで豊かな身になったはずだ」と、ズバリと言って切り捨てるのだ。
たしかに、物語の最初のところで、竹の中から姫を見つけたあと、竹を切るたびに(養育費のように)次々と金が出てきて、暮らしが裕福になる様子が書かれている。老いた両親は、そのことをすっかり忘れているかのようで、その身勝手さが冷酷に暴かれるわけである。
そして、姫は月に戻る時、この世でのことはすっかり忘れてしまってから旅立つことになっている。
『天の羽衣をきると、もうおじいさんを気のどくだと思う心もきえて、・・・』と書いてある。
CMにも出てくる、おじいさんたちに手を振りながら泣く泣く分かれていくかぐや姫、というイメージは原典と違うのだ。
要するに、 親たちのエゴイスティックでもある心情も、やはり姫に執着した天皇の欲望も、すっぱりと切断される結末になっているのである(「天皇の軍隊」は、ここで全く無力である)。
竹取物語は、日本の「物語のはじまり」と言われるが、その「はじまり」のところで、日本的な論理が完全に否定され、切断されているわけだ。
物語も、神話と同じく、その始原にまでさかのぼると、国家の論理を切断するかのような「外」の存在を見出さざるをえなくなるようだ。
そのことを、面白いと思った。


ところで、はじめに書いたように、石母田正による解説の文章は、 特有の明快さ(いかにもマルクス主義的だ)をもった魅力あふれる文章で、僕はたいへん好きなのだが、その魅力の裏面にはっきり気がついたのは、「平家物語」についての評価を読んだときだ。

戦闘を描いても、平家物語には独特の明るさがある。(中略)素朴な東国武士らしい問答、太陽のかがやいている東海道を汗ばんだ馬をひいて、大声で笑いながら、ぞろぞろ歩いてゆく武士たち、このような場面は、つぎにおこるべき凄惨な戦闘の影が一つもさしていない明るさにみちている。(中略)平家では、このような(壮絶な戦闘の)場面の描写が何度もくりかえされるが、それが不思議に血なまぐさい残酷さや恐怖をあたえないのが、一つの特徴となっている。これは後代の戦記物に比較すれば、すぐわかることである。この特徴は平家物語には一つの詩的なものが全体をつらぬいていることから生まれるのである。(p308〜309)

これを読んで思うことは、石母田は、戦争を美学的に描いているところに「平家物語」の価値を認め、のみならず、それに魅了されているということだ。
戦闘や闘争に対するこうした肯定的な感覚は、たとえば黒澤明の『七人の侍』の描写や、中野重治の『司書の死』など、戦後日本の「進歩的」な作品にも共通して見られるものだが、このいわば男性主義的な感覚が、石母田の文章の魅力と表裏一体をなしているのである。
その性格は、もちろん石母田が牽引した戦後マルクス主義史学の「国民主義」にも、どこかでつながっているだろう(当然ながら「史学」だけの問題ではない)。
若い頃にこの本の編集に当たったという網野善彦などは、それと葛藤することで、自分の学問を生み出したのだと思う。
ただ、そういう限界はあっても、そこには、真の「解放」を目指す実質がたしかに含まれていたのであり、そういう実質を失ってしまった現在のような時代における「男性主義」の弊害とは区分けして評価し、学んでいくことも大事ではないかと思う。