小野十三郎『日は過ぎ去らず』



最近、かなり以前にツイッターで感想を述べた、或る古い本のことで質問されることがあった。
その本の題は、『日は過ぎ去らず』といって、大阪出身の有名な詩人、小野十三郎が文学者たちとの交流の思い出をつづった本である。
色々と面白い本なのだが、その中でも私が特に関心をもったのは、やはり詩人の、谷川雁黒田喜夫の二人について語っている箇所だった。
入手しにくくなっている本で、いま手元にないので、不正確な要約になると思うが、概ね次のようなことが書いてあったはずだ。


小野は、この二人の詩人の資質の違いの原因と呼べるものを、両者の「故郷」の捉え方の差異に見出す。
黒田は東北の農村の出身であり、谷川は(実兄の民俗学者健一とともに)九州(水俣)の出身だ。
水俣病の問題が、谷川が詩人として活躍した時期(1950年代から60年代初め頃だろう)にどれだけの注目を集めていたのか分からないが、とにかく谷川にとっての「故郷」や「故郷の村」が意味するものは、どこか遠い場所にあって、自分が傷ついて帰ってくれば包みこんで慰撫してくれるような、ユートピア的な場所のイメージだった。谷川はそこを、「原点」とか「根拠地」とも呼んだのである。
一方の黒田にとって、「故郷」の東北の村は、そういう場所として思い描かれる(想像される)ようなものではなかった。元々、彼が生まれ育った東北の農村は、人を包み込み慰撫してくれるようなコミュニティとしては、近代の歴史の中で痛めつけられて、既に存在していない。この認識は、黒田の場合、決定的なものだった。だが、黒田にとっての「東北の村」は、だからこそ現実として在ったのだと、小野は言う。
それは、黒田が移り住み、東北出身の労働者たちが暮らしていた京浜工業地帯の家並みの中、その日々の生活の中に実在した、というのだ。
黒田は、谷川と違って、そのような現実の中にしか「故郷」を見ていなかった。
ここで注意すべきなのは、小野が論じている「故郷」というものが、空間の中に見える形で存在するものではなく、人の心の中にだけ、だが確かに実際的な影響力を持って存在するものと考えられていることだろう。
谷川の「故郷」は、どこかに「原点」として存在していて、人のあり方を規定する、拘束するような、想像上の場所である。対して、代表詩「空想のゲリラ」や、詩集「不安と遊撃」で知られる詩人黒田喜夫にとっては、「故郷」はむしろ、その時々での移動先の生活の空間に付随して存在するものであり、その生活から離れれば実在性も消える。それは、人が最終的に回帰するべき理想的な共同性(コミュニティ、組織)のイメージではなく、生活に根ざしたコミュニティを作り上げていくために、移動した先の場所において、思いがけなく出現して来る「何ものか」なのだ。


また、もう一つ興味深いのは、小野がそこから、二人の政治党派に対する距離感の違いを解釈していることだ。
二人はどちらも、共産党員だったが除名されたという経験をしている。
谷川の場合、その体験は、信頼していた理想的(ユートピア的)な集団に裏切られ、放擲されたという記憶として残り、やがて党派性や政治的理想そのものへの強い嫌悪へと、反転していった節がある。
だが、黒田の場合には、集団や政治に対する感覚は、もっとさめていた。それは少なくとも、政治的なものへの嫌悪や憎悪に向うような体験とはならなかったのだという。ハンガリー動乱に際して、彼は自分や集団のあり方を問い直すことがあっただろうが、そのことが政治的な「反転」につながったりはしなかった。
こうした小野の論(非常に短いエッセイなのだが)を読んで、私は、日本の左翼的な人が、政治的な挫折や失望の結果として、しばしば革命や左翼的な政治理念を弾劾し全否定するような、情緒的な「反転」に至ってしまうのは、そのユートピア的な「原点」に対する志向の、依存的と呼んでもよいような特殊な性格に原因があるのではないかと思った。
それは、各人が、帰属する集団に対して自立していないということだ。そして、現実の矛盾から来る葛藤を慰撫してくれるような想像的な場所として、「故郷」に類するようなものを消費している。かつてそれを愛したように、「政治の被害者」は、いまは憎悪によって同一性の魅惑を享受するのである。
黒田喜夫のような人においては、そうではなかったのだろう。彼にとっての「故郷」は常に、日々の生活の中にしか、それに付随するものとしてしか存在しておらず、拘束的(依存的)ではない共同性を新たに作り上げていくための道しるべとしてだけ、意義を持つものだったからである。