『コーラ』22号発行

Web評論誌『コーラ』の新しい号が発行されましたので、紹介します。
私も執筆してきた、リレーエッセイ「現代思想を再考する」ですが、広坂さんの文中にもあるように、企画者であり主な執筆者である広坂さんの判断で、今回をもっていったん打ち切りということになったそうです。
長らくお読みいただいた方には、お礼申し上げます。
また、私は最後まで気楽で無責任な立場に終始しましたが、たいへん貴重な経験をさせてもらったと思っています。この場を借りて、関係者の皆さんにも、お礼を述べさせていただきます。


(以下転載)

■■■Web評論誌『コーラ』22号のご案内■■■

 ★サイトの表紙はこちらです(すぐクリック!)。
  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/index.html
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 ●現代思想を再考する[第2期]4(最終回)●
  歴史の教訓的使用について

  広坂朋信
  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/gendaisisou-s4.html
 まえおき
  カントをもじって「歴史の教訓的使用」と題したからには、マルクスから
 「一度は偉大な悲劇として、もう一度はみじめな笑劇として」の名文句を引い
 てその出典について蘊蓄をひとくさりしつつ、おもむろにハーバーマス「歴史
 の公的使用について」(『過ぎ去ろうとしない過去』)を引っぱり出して歴史
 修正主義について論じるといった「遊び」が必要だというのが、このリレー
 エッセイで私が主張してきたことの一つである。
  白か黒か短兵急に決着をつけたがる議論は危い。せめて結論のない蘊蓄をひ
 とくさりするくらいの「遊び」がないと、考えることが苦痛になる。それは裏
 返せば、思想が恫喝の道具になりかねないということだ。さあ考えろ、結論は
 これだ、というわけだ。来年あたりから小中学校で実行されようとしている教
 科としての道徳教育とはそうした恐喝に、きっとなる。(以下、Webに続く)

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  ●連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●
   第28章 言語・意識・認識(意識フィールド篇)
   http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-28.html
   第29章 言語・意識・認識(意識フィールド篇、余録と補遺)
   http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-29.html
   中原紀生

  ■漢語系と和語系、二つの言語意識
  井筒豊子・和歌論三部作のうちの「意識フィールド」論文を、かれこれもう
 一年近く読みあぐねています。
  この間、矯めつ眇めつ繰りかえし眺めているのにいまだ見極めがつかず、
 しっくり腑に落ち得心できたという実感がこみあげてきません。なにがどう論
 じられているかは読めば判るし、判ればとても刺激を受けるのに、読みかえす
 たびまた初めての読中読後感が立ちあがってきて、どうにも読み尽くせない。
 「言語フィールド」論文もけっして御しやすくはなかったものの、それでも論
 じられている事柄や主張それ自体はとてもシンプルで、かつ、議論の輪郭や筋
 道もくっきりと見通しがきくものだったのですが、「意識フィールド」論文
 は、文章、構文、叙述の全般にわたって複雑、錯綜の程度が高まり、読みくだ
 し理解するのに難渋をきわめるのです。(これが「認識フィールド」論文とも
 なると、文章量の飛躍的な増量とともに論述の中身の複雑、錯綜、晦渋の質が
 より高次の域に達して、もはやその精緻きわまりない顕微鏡的な解像度につい
 ていけない。)((以下、Webに続く)

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  ●連載「新・玩物草紙」●
   捨児/富士

  寺田 操
http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/singanbutusousi-12.html
  小川洋子「イービーのかなわぬ望み」(『夜明けの縁をさ迷う人々』角川文
 庫/2010・6)は、街で一番古い中華料理店のエレベーターのなかで産み
 落とされ、母に姿を消された男の捨児の物語だ。出産に遭遇したが縁で捨児を
 育てることになった洗い場のチュン婆さんは、赤ん坊を背中にくくりつけて皿
 洗いをし、流し台の陰でミルクを飲ませ、店の一角で捨児と一緒に寝起きし
 た。イービーと名付けられた彼がヨチヨチ歩きするころになるとエレベーター
 が遊び場となり、一日中そこで過ごすようになった。エレベーターには可愛い
 男がいると評判になり、中華料理店にはなくてはならないマスコットになった
 彼だが、育ての親が死ぬとエレベーターに駆けこんでひきこもり、そこが住居
 であり仕事場であるといった完全なエレべーター・ボーイとなった。時は流
 れ、中華料理屋の閉店、老朽化した建物の取り壊しがはじまった。エレベー
 ターからウェイトレスに抱きかかえられて救出され、はじめて外界の空気に触
 れたイービーだが、しだいに輪郭を失くし、余生をすごしたいと願ったエレ
 ベーターテスト塔が見えたとき、肉体は消えていた。((以下、Webに続く)