『ファシズムの中の一九三〇年代』

ファシズムの中の1930年代

ファシズムの中の1930年代


前回書いた久野収の「ファシズムの価値意識」という文章がたいへん面白かったので、他に久野がファシズムを論じたものはないかと探してみたところ、この本が見つかった。早速、注文して読んでみた。


これは変わった成り立ちの本で、1930年代に久野が『世界文化』という雑誌に連載していたファシズム関連の論考が、中途で弾圧されて久野を含む関係者が投獄され、雑誌も廃刊になってしまったために中絶していたものを、戦後70年代に入って取り上げて論じ直し、『展望』という雑誌に連載した。ところが、その『展望』も途中で廃刊になったため、これも尻切れトンボになった。
この二重に尻切れトンボになった連続エッセイに、これも尻切れトンボに終わった劇団員向けの連続講演を併せ、さらに池田浩士河野健二との対談や、戦前の資料を付して86年に出版されたものが、本書なのである。
なので、テーマは表題の通りでわりあいハッキリしているものの、内容にまとまりはあまりない。「あとがき」で久野は、自分は市民運動ばかりやっていて、ファシズム研究についてもまとまった仕事をすることが出来なかったと、自省しているのだが、たしかにまとまりはなく、ヒントだけがちりばめられているという感じの本である。
この1986年というと、中曽根政権の頃ではないかと思うのだが、当時もやはり「ファシズム復権」ということがいわれていたようである(よく覚えてないが)。この国ではいつも、「ファシズム復権」といっているようだが、復権も何も、この勢力が払しょくされたことなど、一度もないのだろう。そして今やついに、本格的に統治の表舞台に、再び登場する運びとなったというわけか。


さて、内容についてだが、ここで論じられているのは、1930年頃の、それも特にドイツのファシズムのことである。黒シャツ隊や懲罰遠征に象徴される「本家」イタリアのファシズムや、日本の戦前・戦中の政治体制や運動(ファシズムという定義に厳密に当てはまるかどうか自体、議論があろうが)については、あまり語られていない。
久野は、自身が経験した戦前の日本における抵抗の挫折に重ね合わせながら、左翼勢力がなぜ大衆の支持の獲得においてナチスに敗北したのかについての、ライヒによる分析を、次のようにまとめている。

私はまた、この不幸な状況が、古い、使いふるされた、衒学的命題やコトバ使いや図式や討論様式へのしがみつきから生れ、このしがみつき自身が、新しい問題の立て方、新しい思考のすすめ方、事柄をまったく新しく、すなおに直視する視点の欠落からのさばっているのだ、というライヒの指摘にも共感した。
 (中略)なぜ、大衆は、自分自身の利害に反して、ヒトラーを政権につける後押しをしたりするのか。問題は社会主義の教義内容にあるのではなく、その大衆化がなぜ成功しないかにある。社会主義の諸党派は、教義内容の大衆化への戦略や戦術ではなく、相互に相手に加える攻撃の戦略や戦術に浮き身をやつしている。(中略)
 こちら側の最大の欠陥は、マルクス主義政治心理学の完全欠落であり、(中略)こちら側の欠陥はそのまま、相手側の武器に逆用され、ファシズムは、大衆の心理操作によって勝利をしめたとさえいえるであろう。大衆は、感情や情念の奥底からヒトラーのために燃えたぎったのであった。(p45〜47)

もう少し言えば、市民社会を完全に無くしてしまって、全市民を国家機関の国有財産にするというファシズムのやり方、この大きな陰謀に大衆がよろこんで流されていく行き方に対して、左の方からトータルに市民社会を指弾し、批難するだけで問題の解決になるのかどうかが今に持ち越されている問題でしょう。(p152)


左翼側の決定的な敗因、つまり経済決定論的な把握に固執して、政治心理学的把握をまったく欠落し、大衆の感情や情念の領域に働きかけることが出来なかった、というようなことは、前回書いた「ファシズムの価値意識」でも詳しく述べられていた。
このことに関連するのだが、池田浩士との対談(1975年)でテーマとされているのは、ファシズムと大衆文化との関係である。
ここで、左翼が軽視し切り捨てた、民衆の基底的な文化としての大衆文化の次元を、ヒトラーは的確に捉えて働きかけたということを、久野は強調する。これは、ロシア革命第一次大戦の後に出てきた表現主義の芸術運動に対する左翼側の切り捨てへの批判ということでもある。

久野  基底文化としての大衆文化は民衆の感性の表現ですから、ヒトラーは、その感性・民衆の文化を介して、ヴィジョンを出しえたということです。(p181)

久野  その通りです。ソ連でも、ドイツでも革命への運動のなかで、基底文化を生かす文化の新しい芽がたくさん出てきているのに、先験的な「階級文化」の概念で清算しようとしたものだから、どんどん落ちこぼれていってしまう。(中略)
 歴史的な大衆文化をとりおとし、切り捨てることなく、むしろつつみこんでいくような、人類文化へ向かう階級文化がありえたのではないか、ということです。(p186)


こうした観点から、大衆文化への注目を、70年代に久野は提唱していたわけである。具体的には、五木寛之などを重視していたらしい。
こうした大衆文化(その後流行った言葉でいうとサブカルか)への注目というのは、アナーキズム系の人が反マルクス主義的な意図から取り上げるようなケースは60年代にもあっただろうが、70年代に再来しつつあったファシズム化・反動化への対抗という観点から主張されたものとしては、日本ではかなり早い例ではないかと思う。
それに関連して、驚いたのは、左翼的な抑圧に反発する大衆の土着的な心理の支持を勝ち取ったという点で、ナチズムとスターリニズムが同列に(しかもいずれにせよ、必ずしも否定的にではなく)捉えられていることだ。

スターリンとその党派は、一方で、革命政治のラジカルなコトバ使いの操作によって青少年をみごとに動員すると同時に、他方で、ロシアの民衆の大地的自然順応主義をどう利用するかをかなり心得ていたからこそ、あれだけの“成功”を獲得したのだといえそうな気がしてならないのである。(p62)


「成功」する政治運動には、いつもこうした土着的・感性的次元への働きかけがある、ということだろうか。そう言えば、戦後の日本を牛耳ってきた自民党の政治手法にも、特に農村部の大衆の感情に訴えるような独特の「手口」があったと思う。
こうした久野の、大衆文化の次元、土着的な「感性」の次元への注目には、左翼のやり方や思考への内在的な批判として、今でも想起すべき一定の意義があると思われるのだ。
次のような語りは、やや専門的だが、重要なところを突いているものだと思う。戦前から日本の左翼の中でも延々と論議されてきた、民衆の民俗的・土着的な文化(一例をあげれば、怪談のようなものだろう)の次元にどうアプローチするかという事柄が考えられているのである。

ただ、異化効果を持ってきただけでは、あなたの言われる通り、感情移入の文化をトータルに乗り越えられないでしょう。
 (中略)感情移入の世界である基底の大衆文化、土着の民俗的世界観を乗り越えるというのは大変な努力を要することです。(中略)民俗的、土着的世界観を内側から拡げていく流れと、ブレヒト的異化効果で外側から衝撃を与えるやり方と、方向が二つあって、簡単に二者択一で考えてはいけないように思うのですがね。(p195)


一方、河野健二との対談(1983年)では、ファシズムの重要な特質として、二つのことが挙げられている。
そのひとつは、それが具体的な「敵」を次々と名指して、それを全滅させるか、もしくは自分たちが全滅するまで攻撃することをやめない、いわば、殲滅の思想だということだ。

ファシズムの運動としての、あるいは政権としての特色は、内外両方に敵を発見して、その敵の殲滅、あるいは完全屈服を最大の目標に掲げるという対敵完全勝利主義、敵を絶滅さすための英雄主義という倒錯した理想主義にありますね。それが、他の反動的政治運動や保守主義の政治運動と違うところで、両立を許さない敵が国の内外両方にいて、ドイツを隙あらば滅ぼそうとしている。内敵、外敵に対してわれわれは一致団結して打倒運動を最後までつづけなければいかんのだ・・・。
(中略)
・・・・ファシズムの場合には、内敵といっても特定されていない。まず共産主義者の息の根をとめ、ついで社会主義者、それから自由主義者キリスト教のラジカルな信仰者、最後にユダヤ人の皆殺し、それどころか、勝利できないとわかればドイツ民族全体の道連れ的皆殺し、完全玉砕にまでふみきる。自分の反対派どころか、信奉者まで道連れにして、全てを滅亡の淵に追いやろうとする。(中略)だから結果的には全体的勝利か全体的破滅かのどちらかしか選べなくなる。(p231〜232)


ただ、こうしたファシズムの運動は、具体的な「敵」を作り出すが故に、社民主義や左翼一般の、理論的には明確でも実践的には打倒対象の見えにくい場合のある運動のあり方と比べて、大衆にとってはきわめて分かりやすいものである、ということも指摘されている。
これは、「小泉劇場」以来、われわれが痛感してきたところだろう。


そして、もうひとつの特質として指摘されているのは、ファシズムが、敵対する勢力のスローガンを奪い取って使用しその意味を変えてしまう、いわば、僭奪の思想だということである。
たとえば、そもそもナチスの党名に「社会主義」という敵対勢力の標語が含まれていることが、その最も見やすい例だというわけだ。

久野  それは相手の言い分のよいところは全部逆収奪してやろうという、なかなかの策略じゃありませんか。

河野  なかなかよく考えた作戦ですね。

久野  よく考えていますね。さっきの官僚制をたらしこむ仕方と同じでね。向こうの一番いいところをこっちの名前に取るという、生まれながらの智恵というか、これはデクラッセボヘミアンでなければ出てこないんじゃないですか。政治的言語の意味論的用法ではなく、魔術的用法をみごとに駆使しましたね。(中略)

河野  その敵のスローガンを自分のものにして、意味内容を変えてゆくということ。

久野  そういう積極性ですね。労働者と社会主義はつけたりで本音はもちろん、過激民族主義の方向ですがね。

河野  独裁は独裁なんだけれども、それに新しいきものを着せて、民衆のもっている現状打破への期待や革命願望を吸収するというダイナミズムがありますね。
(中略)

久野  (中略)だから、たしかに反革命なんだが、革命の願望を誘導して、ハフナーがいっているように、国民全体が国家機関を共有財産として駆使する方向を逆転して、国民全体、労働者、企業家、農民のすべてをヒトラーに率いられる国家機関の国有財産にしてしまった。

河野  革命的反革命

久野  おっしゃるとおりです。(p257〜259)


このように、久野や対話者は、ファシズム、特にドイツのそれがもっていた、大衆の心をつかむダイナミズムに着目している。大衆の感情や情念を掴む、いわば魔術的な力能への注意を促し、それに対抗する道を探ろうとしていると考えられるのである。


現在の状況を振り返ると、「殲滅」も「僭奪」も、すっかり統治や政治、また社会運動の中にさえ常套的手法として定着した感がある。要するに、ファシズムの時代のただ中に、すでにわれわれは生きているということだろう。
われわれがファシズムを的確に把握し対処するよりも先に、ファシズムは既にわれわれを掴んでしまっているのである。今日では、ファシズムは、もはやわれわれの生の条件のようなものになってしまっている、といえるのではないか?
だが、だからといって、ファシズム権力に対抗するためにファシズムと同じ方法をとるのであれば、それは自らファシズムの魔力に絡めとられ、巨大な政治の力の道具になって自滅することしか意味しないだろう。ファシズムとはそれ自体、より強大な力への同一化と屈服の論理に他ならないのだから。
なしうることは、自分がファシズムに容易に魅入られる存在であるということを自覚し、その自分自身のファシズム性をも含めて、この自他に対する殲滅の思想の席巻に抗い、他人と共に生き抜いていく道を、困難でも探りつづけること以外にないのではないか。


この本の紹介は、これで終わり。
久野のファシズム論に関しては、今後また書くと思います。