甘かった予断

これまで、自分のなかに多少は、こういう思いがあった。


安倍政権が改憲に向かって突っ走り、国内への統制を強めると共に、軍事力の増強を加速させ、周囲の国々との緊張関係を高めていった場合、それはどこかでアメリカの国益やアジア戦略と齟齬をきたすようになるであろう。
アジアの安定を壊すということもそうだし、また改憲によって名実とも「人権制限国家」を標榜するに至るなら、それは特にアメリカ民主党政権の「人権外交(戦略)」とも折り合わないだろう。だから、やがてはアメリカの政権と安倍自民党政権とは衝突し、それが極右化の一定の歯止めになるであろう、と。


だが考えてみると、これはあまりにも甘い予測だったと思う。
たしかに、そうしたことも考えられないわけではないが、アメリカにとっての日本という存在は、結局、アジアにおけるもっとも使いやすい「駒」ということだ。その「駒」を対立によって失う危険を冒してまで、アメリカが日本の内政(極右化)に干渉するということは決して無いであろうということに、今さらながら思い当たった。
逆の側から言えば、アメリカにそういった干渉をされないための土壌作り、要するに極右的で同時に対米従属的な国内世論の育成ということを、日本の保守勢力は(自民党に関してだけ言っても各派閥一体となって)、少なくともここ何十年かかけてやってきたのだと思う。
いま進行しつつあるような極右化や軍国化が、選挙と議会によって示された国民の意思である以上、アメリカといえども、それを否定することはできないのである。なぜなら、それが民主主義というアメリカの理念に反するからでは無論なく、たんにリスクが大きすぎるからだ。


そして、そのなかで日本の極右化・軍国化が進んで、局地的な戦闘を含む日本の周辺諸国からの孤絶が強まれば、その状況はたしかにアメリカにとって無条件に好ましいものではないとしても、アメリカはその状況を、手中の「駒」をみすみす手放すリスクを冒してまで変えようとするよりも、むしろそれを活用することを目論むであろう。
つまり、暴走する日本を「平和的」に押さえ込める唯一の国家という存在感を、アジアのなかで確立するために、日本の極右化を利用するだろう。
そう割り切るなら、日本の極右化による周囲と国際社会からの弧絶は、アメリカにとって最善ではなくても、決して悪い話ではないのである。いや、それを「悪い話」にしないのが、アメリカという国なのだ。
日米同盟という枷が利いている以上は(日本の保守勢力にとっては、実際はこの「枷」こそ命綱なのだから、それを手放す心配は勿論ない)、日本の極右化・軍国化はむしろ望ましいと言える現実を、アメリカはあらゆる手段を使って作り上げるだろう。
そのような日本は、中国やロシアを牽制するための格好の「駒」ということになる。
そして場合によっては、もちろんアメリカ兵の代わりに前線で死んで行く兵士達を提供してくれるような「駒」でも、それはあるわけだ。


これはまた、原発事故や、財政の破綻や、社会の瓦解を経た今の日本が、もはやアメリカにとっては、そのような利用価値しか見出せない国になった、ということも意味しているのだろう。
日本は今や、アメリカにとっての捨て駒に近い。だが悪いことに、捨て駒といっても、それはやはりまだ「駒」なのだ。


結論として、アメリカは最終的には、日本の極右化の防波堤としては働かないだろう、ということである。
そのことはきっと内心では分かっていたが、認めたくなかったのだ。
防波堤は、自分たちが、自分たちの社会の中から作り出すしかない。
そして実際のところ、どこかでアメリカの存在をあてにするそうした心理こそが、他者の人権を蹂躙するような制度と政策と社会を容認し、日本の軍国化への道を敷設してきたようなものなのだから、そういう自前の道以外には、本当の意味で人間の命を守れる防波堤を作る方法など、元々無いのだと思う。