狂った世界

世界人種差別撤廃会議:イラン大統領の反イスラエル演説 アラブ・メディア、暗に賛同

http://mainichi.jp/select/world/news/20090422ddm007030112000c.html

20日のアフマディネジャドイラン大統領の演説の主な内容は次の通り。

 人種差別的な国家を設立するため、パレスチナの占領地に欧州や米国などから移民が送られた。欧州での悲惨な人種差別の代償として、パレスチナに最も残酷で抑圧的な人種差別的な政権が作られた。パレスチナ自治区ガザ地区での市民への攻撃や暴力、爆撃を世界の目覚めた市民が非難している一方で、多くの西側諸国と米国が人種差別的な大量虐殺の加害者を擁護していることは全く残念だ。


この発言だけを見れば、まったくその通りのことを述べただけなのに、国際社会から「とんでもない暴言」という扱いを受けてしまうのが、今の世界の現実というわけだ。
仮に誰か(イスラエルの指導者でもいい)が、「イランは人権を軽視してる国だ」と述べたら、こんな扱いを受けるであろうか。「正しい主張だ」と支持されるか、せいぜい「根深い意見の対立がここにある」というような解説が付されて終わりであろう。
それが、言われたのがイスラエルで、言ったのがイスラム圏の国、そしてあのイランの指導者だと、こういう扱いになるのだ。


だいたい、上の記事で見る限りでは、これはまったく穏当な物言いである。
「人種差別の国」だから、滅ぼすべき「悪の枢軸」だと言ってるわけではない。
爆撃しろとも、それどころかボイコットをせよとさえ言っていない。


「事実敵対的な発言と政策を行ってるではないか」と反論する人があるかも知れぬが、今問題にされているのは、今回の発言の内容だろう。
ここには「人種差別的である」という事実の言明、控えめに言っても意見の披瀝があるのみで、攻撃的な行動の主張は何もないのだ。
ただ、イスラエルが『残酷で抑圧的な人種差別的な政権』であるということ、そしてこの政権が『欧州での悲惨な人種差別の代償として』作られたということが述べられ、アメリカや西側諸国がそれを擁護していることが「残念だ」と、控えめに語られている。
これはまったく、理性的な主張である。


そもそも、ある国の政権を「人種差別的である」と述べることは、それだけでは、否定や攻撃ではない。
悪いところがあるといって指摘することは、忠告であり、友人がする振る舞いである。
そのような発言をすることが、今の世界の力学のなかでは、「狂気の沙汰」としか見なされないのである。


念のために言うが、ぼくはイランの政権の肩を持ちたいわけではない。
イランの政権や政策の反人権的な性格は、イスラエルのそれが非難されるのと同じ基準において非難されればよいであろう。
ただここでは、この世界の基準があまりにも狂っているということを言いたいのである。