『カムイ伝講義』

カムイ伝講義

カムイ伝講義


去年後半に出版された話題の本だが、江戸時代に関して瞠目するようなことが、いっぱい書いてある。
たとえば、江戸時代は日本でも綿花の栽培がたいへんさかんで、一大産業になっていたことなどは、まるで知らなかった。
養蚕(生糸)のイメージはあるが、綿花の栽培がそんなに盛んだったとは。
正直、綿花と生糸の区別も、よく分かってなかった。


前半ではとくに、当時の農村のことに焦点があてられてるのだが、とくに注目されるのは、江戸時代の、とくに農村がいわゆる「自給自足」の経済ではなく、貨幣経済(商品経済)によって(媒介として)成り立っていた、ということである。
当時の農村は、驚異的な技術開発によって「循環型」ともいわれる無駄のまったくない生産システムを作り上げ、多様な作物を生産した。綿花の栽培をはじめ、下肥や干鰯などあらゆる肥料を用いた農民たちによる生産の工夫を描く著者の筆致には驚嘆させられる。
そして、農業と工業が分離される以前の社会だった当時の農村では、農民たちは多様な技能を持つ職人としてさまざまな加工製品を作り上げ、また商人の役割をもかねて流通までも支配することがあった。
だが、そのようにして生産された作物は、自分たちで食べたり使うのではなく、大半が市場で貨幣に換えられたのだ。
つまり、貨幣経済の存在が、この農村の技術革新と生産力の増大の原動力になったといえる。


ここでは貨幣経済といっても、産業革命以後の、農村で培われた技術力や国内の経済の仕組みを根こそぎ壊してしまうようなものとは異質であるとはいえ、江戸の農民たちの力や豊かさの根底にこうした経済的な欲望があったことは、忘れてはならないだろう。
このことの意味と思われるものは、後述しよう。


また、このような生産力の増大は、生産の余剰をもたらすことで、逆に価格の下落や、農民たちに対する藩や大商人の収奪の強化をもたらし、農民の生活を苦しくさせるという側面ももっていた。
そこで、江戸時代は、それに対して農民たちが自分たちの権益を主張して立ち上がる「一揆」の時代でもあった。江戸時代は、毎月一件は、どこかで一揆が起きていた計算になるそうだ。
この本を読むと、一揆が、たんなる困窮した者の暴発的な行動ではなく、生産力を握っている者たちが、その力を武器として、周到な計算と手続きによって行った一種の訴訟行動・示威行動であったことが分かる。「打ち壊し」などの最終的な暴力行動も、効果を十分に計算して行われた。
面白いのは、年貢を減らしてくれなどの要求が、最後まで聞き入れられなかった場合、最終手段として「逃散(ちょうさん)」といって、村の全員が集団で領地から逃げ出し、別の土地に移住してしまうという方法があった、ということである。
支配者側としては、こうして生産力が減退することが一番困るので、これを怖れて要求を呑む、ということもあったようだ。
今では、法人税が高いと大きな企業などが外国に逃げてしまうということがあって、国が税をなかなか上げられないということがあるが、当時は農民がそれをやっていたという風にも思える。
生産力(生きていくための手段)を握っているということは、それほど強いことなのだろう。
いぜれにせよ、古い伝統を持つ「一揆」という表現・交渉手段が、社会のなかで、共同体の存続のために重要な意義を持って存在していたことが、本書から理解される。





ところで著者は、本書の冒頭部で『カムイ伝』の最大の魅力を、人間を「生き物の視点で」描いていることに見出している。
自然の循環のなかに身を置き、一切を無駄にしない生産の工夫を行う農民たちの姿、また自らが生きていくための食料の作り手として、自身の生存の基盤にもっとも近いところで生きるその姿の力強さに、たしかにその一端はよく現わされてると言えるのだろう。
この点で、生産の現場、自分が生きることの事実性から切り離され、自分の存在の意味を見失って生きる武士たちの空虚な生のあり方に、著者は現代の都市生活者やサラリーマンの姿を重ね合わせてもいる。
この指摘は、たしかに痛烈である。


だが同時に、上に書いたように、農民たちが生産の現場において獲得していた力や知恵や豊かさは、初めから市場に関わる欲望のなかで育まれたものでもあり、それは自然を自分の都合のいいように変えていこうとする傾向や、他人から収奪を行って利潤を増やし続けようとする傾向への暴走の可能性を、実は常に有してもいる。
ここで理解されるのは、いかなる集団や共同体、社会システム、運動といえども、完全に無謬・無罪であるような力や豊かさを持つことは出来ず、したがって、どんな制度や抵抗も、必ず破壊や収奪・抑圧の芽を自分のなかに孕んでいるのだ、ということである。
江戸の農民共同体の繁栄と団結が示している両義性の意味は、おそらくそれなのである。
そうした認識が、終章において言及される登場人物「カムイ」の、『常に「いま」を否定して漂泊し続け』る、『最底辺の人間が持つ批判のエネルギー』への着目となってあらわれているのだと思う。
これはまた、原作者白土三平が、『カムイ伝』を書き綴っていた同じ時期に、日本の新左翼運動が逢着した認識でもあったはずだが、著者は、現在の視点から、この認識に再び迫っているのだともいえよう。