白々しい人々

給付金問題で、給付される側に上限を設けるということになり、与謝野や麻生が「豊かな家庭にまで給付するのはおかしい」と言ってるみたいだけど、趣旨を考えると変な話だ。


もともと景気をよくするために配るということのはずだが、正式発表前から麻生は「生活支援」の側面の方を強調してた。
この給付金が、景気対策として本当に効果があると思ってやってるのなら、貧富の差に関係なく給付しなければ、効果にはつながらないはずである。
「豊かな人には配る必要がない」と本人たちが言ってるということは、「景気対策として」というのは「選挙目当てのばらまき」と言われないための口実に過ぎないことを、よく示してると思う。
つまり、こんな金を配っても景気対策にはならないということは本人たちもよく分かってるのに、人気取りのために「生活支援」として金をばらまこう、という腹であろう。
もちろんその財源は、三年後に消費税を上げて賄います、というのである。


生活支援として考えるのなら、一人当たりにすれば一万五千円とか一万三千円とか試算されてる、給付金の金額は「ふざけるな!」の一言である。
こんな額は、せいぜい二日分のバイト代ぐらいであろう。そんなはした金を、毎月支給し続けるのならともかく、「一生で一回こっきり」支給して、何が「生活支援」だ。ただのばらまきじゃないか。子どものお年玉だって、もうちょっと気が利いてる。


こんな目くらましをやっておいて、その上「豊かな人には配る必要がない」なんて、さも「貧しい一般大衆を重視してます」と言わんばかりの発言をマスコミに流すとは、白々しいにも程があるというのだ。
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