注意の喚起

NHKの夜のニュースを見て思ったこと。


製品事故報告 1300件余に
http://www3.nhk.or.jp/news/t10014856451000.html

電気製品や石油機器などの製品事故の国への報告が義務づけられて1年になり、この間、1300件余りの事故が報告されました。この中にはエアコンや扇風機といったこれからの季節に使う機会が増える機器から火が出たケースも含まれており、経済産業省は注意を呼びかけています。

また、扇風機は36件で、長期間使い続けたことに伴うモーターなどの劣化が原因で火災が起きており、特に高齢者世帯での事故が多発しているということです。


どうもこの「注意を喚起する」という言い方がひっかかる。
事故を回避する責任が、最終的にはユーザー、消費者にあるという言い方で、事故を減らすための積極的な関与をなるべくしたくないという役所の意思のあらわれに思えるのだ。
それは、こういう事故が続発する大きな原因のひとつがどこにあるのかを、見ようとしてないか曖昧にしてる、ということである。


去年の夏も東京で、古い扇風機が発火して80代の老夫婦がアパートの部屋で焼け死ぬという事故があったけど、何十年も前の扇風機なんて、好んで使ってる人はいないだろう。
エアコンを入れたり、新しいものに買い換えたりする金がないから、そしてもちろん異常な猛暑のなかで扇風機を回しっぱなしにせざるをえないから、こういう事故が起きて、特に体が動きにくい、お年寄りなどが死んでいったりするのである。
つまり、「貧困」というものが背景にある。


だから、行政としては「注意を呼びかけ」るだけじゃなくて、本気でこういう事故をなくそうと(つまり人命を守ろうと)思ったら、高齢者などの経済状態にもっと配慮する(つまり、「貧困」への対処)とか、せめて新しい安全な扇風機を買えない世帯には経済的な援助をするとか、そういう具体策が必要だと思う。
財政上、それが難しいのであれば、そう釈明するべきである。本来は、そういう具体策を打つべきなのだから。


「注意を呼びかけています」という物言いで、事故の背景にある「貧困」という現実と、国や行政の責任(の回避)とが、巧妙に隠されてしまう。
どうもそういう言葉の仕組みのようなものが、たいへん嫌である。