暴力について

ゆうべNHKクローズアップ現代で、「デートDV」についてとりあげられていた。


DV(ドメスティック・バイオレンス)とか、虐待、セクハラといったテーマについて考える場合、大事なポイントは、「昔から、それらは普通に行われていた」ということではないかと思う。
つまり、最近(「近代」とか「戦後」とか「グローバル化」とか以後)に発生したり急増した現象ではなくて、むしろこれらは昔の方がひどかったはずであり、あまりにも日常的にあったので問題とも思われていなかった。いや、「あまりにも多かったから問題にされなかった」のかどうかはともかく、ともかく今のように問題化される以前から、それらのひどいことは公然と行われてきたのである。
過去の事柄としては、「戦争の暴力」とか殺人などの見えやすい暴力だけが、告発の対象になるけど、DVや虐待やセクハラも、やはり昔から人間は行ってきていて、それらは昔の社会の方がひどかったかもしれない、多分ひどかったであろう。そんなふうに言えると思う。
だからこうした事柄を、「問題化」できるようになっただけでも、われわれは少しは他人に対してマシな態度をとれるようになりつつあるのかも知れない。
フロイトの本を読んでるせいか、そういうふうに思う。
暴力が、人間にとって本質的なものであることは分かっているが、それが分かったうえで、それでもそれらを他人との関係において「問題化」していくべきだということを、人間は学んできたはずだ。
だがいつも、みずから「問題化」する前の状態に退行しがちであるのは、他人の姿を見ても、自分自身のことを振り返っても、情けない限りだ。