開いた口がふさがらぬ

薬害肝炎訴訟での大阪高裁の「和解骨子案提示」。
和解案そのもののひどい内容については、多く語られてるだろうから、ここでは書かない。
それは別にして、舛添要一 厚労相のこの発言。

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3731683.html

 「我々も真摯に検討する。原告の方々も真摯に検討する。製薬メーカーの方々もきちんと検討する。そういう中で、もっともっと修正案を出すなら出してくださいよと、和解に向かってもっとみんな努力しなさいよということを呼びかけられておりますので、私としては裁判長の呼びかけに応じて、今後さらにですね、何ができるかということを含めて対応して参りたい」


この人は、報道陣から行政の最高責任者としての見解を聞かれてるわけだから、「自分はどう処するか」だけを答えればよい。
「和解に向かってもっとみんな努力しなさいよ」と裁判所が言ってるかどうか、裁判所の言いたいことの解釈や言い換え(代弁)はしなくてよい。「原告の方々も真摯に検討」せよなどというのは、責任逃れのうえに原告を恫喝してるのと同じである。
「我々」と「原告の方々」と「製薬メーカー」を中立的に見渡せるような客観的な位置(裁判所が言いたいことの解釈)に立ってるみたいな物言いをすることで、問いかけられている「自分」の位置と責任を曖昧にした上で、自分たち(行政)の被害者であるはずの原告たちの「真摯」な和解への歩み寄りとか、社会的責任の遂行のようなものを暗に強制している。
被害を与えられた側に向かって、与えた側が努力(譲歩)を強いているのである。
なんでこんな愚劣な物言いをするのか。


この大臣の場合、年金調査をめぐっては、先日こんな発言もあった。

http://mainichi.jp/photo/news/20071212k0000m010093000c.html

「やったけどできなかったというんじゃなくて、みんなで努力してやっていくというポジティブな気持ちになっていただくことが必要だと思います」

この人は、都合が悪くなると大臣としての責務を担っている自分が消え、原告や、年金の行方が不安になっている国民と同等な一個人に変わるようである。
「みんなで努力して」と言われても、大臣と一般人が行政上の問題について同じ責任を持てるわけがない。
政治家になる、まして大臣になるというのは、強い権力を持つということで、それに応じて責任・責務というものが生じる。
その職に相応しい責任・責務を果たしてないから、舛添氏は批判されてるわけだ。
国民に向かって「あなたも努力してください」と言いたいなら、その前にみんなが納得するように自分の責任を果たさなくてはいけないだろう。
自分が当然やるべきことをやっていない、約束さえ公然と破って平然としてる権力者に「いっしょに努力しましょう」と言われて、国民が聞けるわけはない。


権力だけを握って、それに応じた責任を果たすことを知らない。
命令するときは権力的、ときに強権的に振舞うが、都合が悪くなると権力(責任者)の位置にある「自分」というものはどこかに消え去り、他人が非協力的であるからうまくいかないのだといって国民や「原告」に責任を転嫁する。
「幼児的」といえばそれまでだが、これほどたちの悪い政治家も珍しいだろう。