大学時代の正月は

みなさん、本年もよろしくお願いします。


年末には、去年北海道に行ったときにいただいた、幌加内というところの蕎麦をざるそばにして食べたけど、想像以上のうまさだった。
また、ここ数年、近くのすし屋でおせち料理をとって食べているのだが、これもすべての品が丁寧に味付けされていて、例年以上に満足のいく味である。
どうも最近、食べ物を「うまい」と感じる閾値が下がってきたんじゃないかと思う。
これは、いいことだ。


ところで、正月の過ごし方というと、特別なことは何もないのだが、大学時代は山岳部にいたので、山で新年を迎えるということが何度かあった。
四国の山なので、雪といっても知れているのだが、それでもひとつ間違えばもちろん命に関わる厳寒の冬山であるし、山頂に近い尾根のあたりは、音ひとつしない一面の銀世界に樹氷が美しかった。
夕方、その中に立って周囲の山並みを見渡すと、遠くの稜線に日の暮れていく光景が、いかにも正月のものだと感じられた。周りの白銀の世界は、下界の人間の空間とのつながりを感じさせるものは何一つないので、こういう感覚が起きたことがとても不思議だったが、自分の脳や体のなかに、そういうものがインプットされてるということなんだろう。そう理屈で言えば簡単だが、そのリアリティというのはすごいものだなあと思う。


普段だと、粗末な山小屋に泊まったり、テントを張って寝たりするのだったが、正月はほんとうにお遊び的な部の行事だったので、管理人さんの居る大きな山小屋に泊まって、すき焼きを作って酒を飲んだ。
じつはぼくが通ってたのは夜間の大学だったので、まわりの部員はたいてい社会人の人たちだった。それで、極端なはめの外し方もせず、でもみんなそこそこ元気で、いま思うとなかなか楽しい正月の過ごし方だった。


その山岳部時代、重いリュックを背負って山道を登っていたときの気持ち、考えていたことは、ほんとうに今現在のことのように思い出される。
というより、その部分だけは、自分のなかでまったく時間が経過していないかのようなのだ。だからそれは、「思い出す」という対象ではない。
自分のなかでは「過去」というものが、うまく構成されていないように感じるときがある。