『インカの反乱』

こうした伝説や作り話をいちいち額面どおり受けとる必要は少しもない。しかしそれらを濾過器にかけてみれば、われわれの必要とするものがそこに残るだろう。(チェーホフ「たいくつな話」)


インカの反乱―被征服者の声 (岩波文庫)

インカの反乱―被征服者の声 (岩波文庫)

インカ帝国では、1500年代の前半にスペイン人が一応の「征服」を行ってからも、インカ族などの現地の人たちの抵抗が数十年にわたって続き、スペイン国王による安定した支配体制は1572年になるまで確立されなかったそうだ。
インカ族による「反乱」は、当初スペイン人を「同盟者」として、また客人として受け入れたにもかかわらず、スペイン人に裏切られて拘束されることになった皇帝マンゴ・インガという人の行動に端を発するものだったが、この本は、その息子で自身も父の後を引き継いで反乱を指導したティトゥ・クシ・ユパンギという人がスペイン国王にあてて口述した語りを、別の人たちが書き取ったものらしい。


さまざまな理由から、ここに書かれてある内容が、事実をそのまま表わしているものであるとは考えにくい。語り手であるユパンギ自身、また筆記者や、関与したスペインの聖職者たちの意図が、その内容に混ざりこんでいることは容易に想像されるからである。
実際たとえば、最後にまたしてもスペイン人に裏切られて致命傷を負った父親が死の床で息子に、このように言うくだりがある。

思うに、連中が時には力ずくで、あるいは、虚言を弄して、君たちに、彼らと同じものを崇めさせることもあろう。もし、どうしても連中の命令に逆らえない場合は、彼らの前で崇めるふりをすればよい。しかし、決して先祖伝来の宗教儀式を忘れてはならない。(p123)

物語の中に意味深長に組み込まれたこの「教え」は、語り手のキリスト教への改宗の経緯やスペイン国王への恭順の意思表示(文中で非難されているのは、国王などの支配権力に逆らった現地の「征服者側」のスペイン人だけのように思える)を含んだ、この語りの性格を注釈するものかもしれない。


だが、それにもかかわらず、あるいは、それだからこそというべきか、ぼくたちがそこから感じとることのできるものは少なくない。
その一番の要点は、インカの人たちが、スペイン人の「裏切り」や略奪、征服に直面して、何が決定的にないがしろにされ、損なわれたと感じたのか、ということである。
たとえば、それまで友好的な関係を結んでいたスペイン人たちに、はじめて捕らえられ、足枷をつけられ幽閉されてより多くの財宝を差出すように言われたインカ皇帝マンゴ・インガは、スペイン人たちにこう語りかける。

どうか、私を自由にして欲しい。そして、私の望みは君たちを苦しめることではなく、むしろ、喜ばせることだということを、理解してほしい。(中略)また、君たちに足枷をはめられて、私が何とも思っていないとは考えないで欲しい。その気にさえなっていたら、私は楽々と足枷をはずすこともできただろうが、そうはしなかった。それと言うのも、私は、自分の行動が恐怖心にかられたものではなく、好意に発するものであることをわかってもらいたかったからだ。いま言ったように、私はこれまで好意をもって君たちと接してきたし、現在もその気持ちに変わりはない。今後はずっと、互いに諍いをせず、平和に、仲良く暮らそうではないか。(p59) 


自分たち自身も本国に反抗する内乱の渦中にあったスペイン人征服者たちと同様に、インカなどの部族の側も、内部に激しい権力闘争を抱えていた。皇帝がスペイン人たちをあつくもてなした理由が「好意」だけであったと、考える必要はないだろう。
だが、この本を読んでいてもっとも印象的なのは、そうした政治的な事情や思惑を考慮しても、あるいはまた固定した文化的な特殊性のような概念を考慮してもなお際立ったものに思える、インカの人々の、客人であるスペイン人たちへの度外れた歓待ぶりである。
そうした自分たちの行動が、もっとも根本的には「好意に発する」ものであったと強調するとき、その言葉の意味は、ぼくたちが「好意」という言葉から普通考えるよりも重いのだと思う。
それは、人間が他人に対するときの、もっとも基本的な原則を尊重して自分たちはあなたたちに接してきたし、これからもそのようにしたいと心から願っている、という呼びかけではなかっただろうか。
だが、この呼びかけの言葉は、ついに聞き遂げられることはなかった。その後、幾度にもわたる裏切りと略奪と戦いの後に、皇帝マンゴ・インガは、その死にあたって息子にこう語りかけたという。

泣くな。もし涙を流さねばならないものがいるとすれば、それは今となっては叶わぬことだが、この私をおいてほかにいない。なぜなら、あの連中を心から信頼し、丁重にもてなしたばかりに、このようなひどい目にあったからだ。(p141)


取り返しのつかないほどに損なわれたのは、インカ帝国やその財宝などではなく、もっと普遍的なものだった。
それは丁重なもてなしをしてくれた他人の信頼を、決して損なってはいけないという、世俗的な原則のようなものだが、スペイン人の行動は、そうした原則がもはや生き続けることの出来ない「世界」が、この地上に到来したことを、インカの人たちに実感させたのだと思う。
その出来事の悲しみから、インカの皇帝は涙を流すのである。


この、世界の変容は、いったい何によってもたらされたのか。
最後に、皇帝マンゴ・インガが、裏切りや略奪をほしいままにするスペイン人征服者たちに語った怒りの言葉の一節から引いておこう。

それから察するに、君たちは世界中の人々の友情よりも少量の銀の方を大切だと考えているらしい。結局、銀を欲するあまり、君たちは私と私の国のすべての人々の友情を失い、一方、私や私の部下は君たちの執拗な責め立てや甚だしい欲望のために宝石や財産を失った。君たちは、武力を用いたり、苛んだり、執拗に強要したりして、私たちから宝石や財産を奪った。言っておくが、私の理解するかぎり、哀れなインディオたちが、私にはとうてい想像もつかないほど、骨身を削ってあつめてくれたものを、私や私の部下から不正に、また、理由もなく手に入れたところで、君たちの欲望はいつまでも満たされているはずがない。(p85)