竹山広氏の短歌

傷軽きを頼られてこころ慄(ふる)ふのみ松山燃ゆ山里燃る浦上天主堂燃ゆ

死の前の水わが手より飲みしこと飲ましめしことひとつかがやく


日曜日の早朝、普段は見ない『こころの時代』というNHKの番組をたまたま見たら、竹山広という歌人の方がインタビューを受け、作品が紹介されていた。
この方は80歳を越える高齢で、数年前名高い賞を受けるなど短歌の世界では有名な人のようだが、ぼくははじめて名前を聞いた。長崎の人で、原爆を体験され、お兄さんをなくされているらしい。また隠れキリシタンの村に生まれ、ご自身も教会の仕事をされていたようだ。
番組では、被爆当時の状況や戦後の生活のことが、作品の解説を交えて詳しく語られていた。
上の二つは、番組中、特に印象深かった歌。後者の歌は、助けを求める人たちを誰一人助けることができなかったが、唯一乞われて水を飲ませてあげた少女が目の前で事切れたときの心情を歌ったものだそうだ。


作品はもちろんすごいものだと思うが、同時にぼくが印象的だったのは、インタビューに答える竹山さんの訛りの強い言葉であった。あれは、長崎の方の言葉なのだろうが、標準的な日本語があってそれが「訛って」いるということではなく、元々その土地独自の言葉であって、上から標準的な日本語の構造が薄皮のようにかかっているだけ、という印象を強く受けた。決してきつい訛りではなく、ほんの少しイントネーションが異なるというだけなのだが、その異なり方が、絶対に標準のものに重ならない強さにみちていた。
土地に根ざしている、生きた人間の言葉だと思った。その言葉で、自身の被爆の体験を語られたのである。


インターネットで探すと、いくつか作品の紹介されているサイトがあった。

http://www3.plala.or.jp/kenjigeki/uzu2002/uzu0208.html#takeyama

http://www.ne.jp/asahi/mizugamehp/mizugame/sakuji02/sakuji02010.html

まぶた閉ざしやりたる兄をかたはらに兄が残しし粥をすすりき

人に語ることならねども混葬の火中にひらきゆきしてのひら

おそろしきことぞ思ほゆ原爆ののちなほわれに戦意ありにき

妻は妻の灯に安らへよわが点す灯はみづからに降りゆかむため