『抵抗の同時代史』

さまざまな示唆に富む本だが、ここではひとつの箇所だけに触れる。


抵抗の同時代史―軍事化とネオリベラリズムに抗して

抵抗の同時代史―軍事化とネオリベラリズムに抗して


本書に収められた『靖国問題と「戦争被害者」の思想』という論考において、著者は、戦後の反戦運動・思想における「被害者」についての考えの系譜をたどるなかで、小田実が提示した「加害」と「被害」の二重性の認識の重要性を強調して、小田の次のような発言を引用している。

はっきりと自分の個人の原理を確立しない限りは、国家の命令によって自分は弾を打たなければならない。そしてその弾によってだれかが倒れる。そして自分はその場合、加害者の立場に立つ。しかし同時に、国家からみれば、国家に対しては自分自身は被害者である。そういった奇妙な関係が成り立つと思います。(本書p121より、孫引き)


これは、たしかに非常に重要な認識だと思うが、ここで考えたいことは次のようなことである。
上の文章において、誰かを弾で打つという経験(加害者性)は、いわば個人的な出来事の経験であり、国家の被害者だという自己認識は、構造についての認識である。
前者の経験を自分自身の経験として獲得(奪回)することが、後者の認識を可能にする条件ではないか。


通常、戦場においては、この加害性が当人に自分自身の体験として感じられる余地は、強制的に奪われている。そして、この体験の個人性を奪われているという事実自体が、意識できないようにされている。
そのなかで、兵士は命令に従い、個人としては朦朧としたなかで、他人を殺したり虐待したりする。それが、戦場での加害行為の一般的なあり方であろう。


そして実は、これは戦争に限らない。
われわれが他人を傷つけたり虐待したりするのは、自分のしていることを自分の体験として感じられないという状況のなかで、自分ではないものに操られるようにして、それを行うのである。
そこでは、自分と、自分が傷つけたり虐待したりする相手との関係は、個人的なものとしては、あらかじめ奪いとられている。ここに、当人の真の「被害者」性(社会との関係)があるのだが、もちろんそれを自覚することは出来ないのである。


この構造の自覚(認識)が可能になるためには、自分が行った経験(この場合、加害行為)が、自分と傷つけた相手との個人的・特異的な関係の次元において、引き受けられ、つかみ直されなければならない。
他者との具体的な関係の場において、自分の体験が自分の行ったこととしてつかみ直されたときに、はじめて自分を支配している構造を外から見る視点、いわば構造からの自分の独立ということへの道が開かれる。
だからもっとも重要なのは、他者との具体的な関係の引き受け、その意味での倫理性、ということではないか。
その具体性の想起(奪回)だけが、人を構造から独立させ、真に構造の変革へと向かわせるのだろう、きっと。


じつは上の引用箇所を読んでいて、先日NHK教育テレビで放映されたETV特集の『シリーズBC級戦犯』という番組を思い出していた。
あの番組では、戦後連合軍により告発されて戦犯として裁かれた日本人と朝鮮人軍属の苦悩と考えの変遷が描かれていたわけだが、特に印象深かったことのひとつは、その元戦犯の人たちが、あるところで自分が戦争中になした行為の責任を自分個人として引き受けることにより、諸国家や戦争がもたらした不条理による「被害者」という受動的な自己認識から脱して、反戦や国家の不正に対する告発を行うという、いわば積極的・独立的な「被害者」へと変貌をとげたように思われたことである。
上の引用文に続く箇所で、著者は被爆者運動・原水爆禁止運動の優れた担い手であった岩松繁俊の認識に触れて、「「被害者」としての立場に徹しきること」の重要性を語っているのだが、その言葉が意味するのは、このような変貌のことではないかと思う。


つまり、この人たちは、戦犯となった当初は、いわば二重の不条理の「被害者」(「犠牲者」)という位置に、自分を見出すほかはなかったはずだ。それはひとつには、「勝者の裁き」に服する他ないという不条理であり、同時に、植民地朝鮮を支配した日本の国家であるとか、軍隊というもの、あるいは戦場という状況によって、やむをえず加害行為(「弾を打つこと」、など)を行わざるを得ないところに追い込まれた、という不条理。この二重の不条理である。
だが、その不条理の意識は、それだれではこの人たちを構造の呪縛から解き放ち、その変革へと立ち上がらせるものではなかったように思える。
その転換のためには、自分が戦争中に行った事を、個人の責任ある体験として、とりわけ自分が傷つけ虐待し、時には殺しさえした具体的な他者との関係において、取り戻す、あるいは引き受けなおす必要があった。
そう思えるのだ。


これはおそらく、加害・被害というよりも、体験の個人的・特異的な次元の奪回、ということだろう。
その奪回の努力のなかで、自分が奪われていたもののかけがえのなさに初めて気づき、同時に自分がそのなかで他人から奪いとったもののかけがえのなさを、あらためて知る、そういうことがあったのではないかと思う。
実は、この次元の奪回こそが、構造的な認識に先立ち、それを可能にする条件なのではないか。


やはり先月見たNHKの番組で、日系アメリカ人の作り手が製作した原爆についてのドキュメンタリーがあった。
そのなかで、「原爆乙女」と呼ばれた人たち、原爆でケロイドなどのひどい傷を負った女性たちが、何人か選ばれて渡米し、治療を受けるかたわら、アメリカのテレビ番組に出演した当時(1952年)の映像が紹介されていた。
そこに、その番組のスタジオに、広島に原爆を投下した米軍の元兵士が登場し、謝罪の言葉を述べるシーンが出てきた。
この場面は、はためには、まったく暴力的なものである。顔を含む全身に傷を負った女性たち被爆者は、何も知らされておらず、そこに「サプライズ」としてこの元兵士が現れ、全米の視聴者の前で自分の心の苦しみを述べて、いわば和解の握手をするのである。
原爆という途方もない暴力の出来事を、日米和解のための美談に仕立ててしまうような、恐るべき政治的なショーに、被爆者たち自身を利用しているようなものだろう。
だが、このドキュメンタリーに登場した元「原爆乙女」の女性(現在はアメリカに在住)は、50数年前のその時のことを回想して、こういう風に言ったのだ。
「あのときは、ほんとうに胸が苦しかった。あの兵士がどれだけの苦しみを心に抱えているか、私には分かったのだから。」


決して一般的なものに回収できない、出来事の、体験の個人性、また関係の特異性というときに、ぼくが考えているのは、そういうもののことである。