鵜飼哲・死の文化・侍

就労しておらず、その努力をする気もない若い人たちについてかんがえる場合、「社会にどう適応させるか」という問題以前に、「生きる意欲があるのか」という問題があるのではないか、ということを、きのう書いた。
以前に書いたように、「夢追い」型のフリーターや無職者というのは、減ってきていると思う。人々は、やりたいことが見つからないから働かないのではなく、たんに働かないのだ。またそれは、「生き方として就労を拒否する」という積極的なものではなく、積極的に自分が生きようとすることへのシニカルな否定的な態度だといえる。
この否定的なものはどこから来ているのか。
また、他人と自分の生命に対するこうした態度を、われわれはどういうふうにとらえたらいいか。他人事ではないこととして。


それに関連して、最近考えさせられた文章があった。
鵜飼哲さんは、いま日本語で文を書く人のなかで、ぼくが一番すごいと思っている人の一人だが、mixi鵜飼哲ファンのコミュニティで、彼のこういう文章が紹介されていた。


これは、死刑制度反対の趣旨で書かれたメッセージなのだが、このなかで鵜飼さんは「死刑や戦争を」容認する社会の問題を、

さまざまな文化的な要素のために、戦争で死ぬ人がいなくなった現在でも、自然死ではない仕方で、また単なる事故ではない仕方で、私たちの社会で人は死に続けており、その一方で、それを自然なことと思わせる力が働いています。

と広くとらえて、日本の社会の根底に「死の文化」が流れている、という見方を提示している。
この意見は、ぼくにはすごくよく分かる。
たしかにそういうものが、自分のなかにも、日本の社会全体にもあると思う。これは、「グローバル化」や「西洋的近代」のせいだけにしてすむことではないだろう。
最終的に、何も言わず死んでいくこと、ひっそりと抗わず命を捨てることが、自分に関しても他人に関しても、それほど悪いことではない、むしろどことなく好ましいことだという感覚が、自分や他の人の心の中に共有されている、そういう社会ではないかと思う。その「共有されている」ということを、文化と呼ぶのだろう。


ぼくは、そういう「死の文化」というものが、上記の「否定的なもの」の遠い根になっているのではないか、と思うわけだが、ただ上の文章で鵜飼さんが書いていることのなかで、「死の文化」を、「武士の台頭」と結びつけている点が、ぼくには意外だった。意外だというのは、意識していなかったが、そう言われてみればそうかもしれない、ということだ。
たとえば、

願わくは花のもとにて春死なん その如月(きさらぎ)の望月(もちづき)のころ

という西行の歌がぼくはすごく好きなのだが、考えてみると、西行という人は武士の出身で、ここに語られている美学は、やはり武士たちの死の思想だろう。そういうことは、これまであまり考えなかった。
もうひとつ、黒澤明監督の『七人の侍』。ぼくの大好きな映画のひとつだが、そのなかの、農民を野武士の集団から守るために戦うことを決意した老いた侍(志村喬)が、かつて部下だった侍(加東大介)に再会し、幾度も共に死地をくぐってきた思い出話をひとしきりした後、志村がふと『金にも出世にもならん、難しい戦(いくさ)があるが、やるか』と誘うと、当たり前のように加東が『はい』と答える場面。ぼくはあの素朴さに感動するのだが、あれもやはり武士の思想であり、「死の美学」だ。もちろんあの映画は、そうした武士の思想の空虚さを厳しく描き出しているわけだが。
そういうものに感動し、憧れる気持ちが、自分のなかにも強くある。これが、戦争や死刑ばかりではなく、「路傍の死」や「餓死」の是認につながっているのだとしたら、「死の文化」に知らず知らず浸かって、それを身体の一部として、自分は生きてきたのだというしかない。


だがそれと同時に、「死の文化」に関して、それとは別の古い根もあるように思う。
その話は次回。

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