植民地支配と日本の責任

きのうは、強制労働や「タコ部屋」労働の犠牲になった朝鮮人や日本人の遺骨の発掘ということについて書き、また強制連行などで朝鮮や中国から連れてこられて強制的に働かされていた人たちの遺骨が日本の各地にいまも眠っているという話、その調査や返還ということについてさえ、日本の政府も企業も、ひどい態度しか示していない、ということを書いた。


朝鮮半島などから「強制的に」連れてこられるというのは、具体的にはどういうことか、とおもうだろう。これについては、いろいろな証言があるが、ぼくが最近見聞して印象的だったものに、次のような事例がある。
北海道で亡くなったことが明らかになっている、ある犠牲者は、結婚して三日目に朝鮮で行方不明となり、家族が懸命に探したが見つからなかった。当時は多くの朝鮮人が日本に強制連行されていたので、きっと同様なのだろうとかんがえて、探すことをあきらめた、という話である。
実情は分からないのだが、ともかくこの犠牲者は、やはり日本に来て強制労働をさせられていた。そして、結婚三日目のこの人が、「自発的に」日本に渡る理由は、家族にはなに一つ思い当たらないのである。
政府の政策としての「強制連行」という概念に厳密にあてはまる事例がどのぐらいあったかは定かでないが、当時多くの人々が朝鮮半島や中国から合法・非合法に日本に強制的に連れてこられたことは、疑いがない。
また、そうでなくとも、植民地であった朝鮮半島から生活のために日本に渡ってきた人たちの行動を、「自発的」と呼べるであろうか。彼(彼女)らは、日本の統治下にあった郷里を離れ、移動せざるをえない状況のなかで、日本にやってきたのだ。この大きな原因は、もちろん日本の植民地政策にあるが、ぼくが言いたいのはもっと根本的なことだ。


よく、「朝鮮の植民地化は、やむをえない選択だった」とか、「日本が植民地にしていなければ、朝鮮はもっと悲惨なことになったのではないか」といった意見を聞く。しかし、その意図や結果がどうであろうと、日本が朝鮮半島を支配したことは歴史的な事実であり、日本という国はかつて自らの意志でそれを選択して行なったのだ。たんに国家や権力者がそれを行ったというだけではなく、国民大衆が、それを専ら支持し便乗した。その結果生じた出来事に対して、「責任がない」という言い方をすることは、自らの歴史を否定することであり、そこにつながっている今現在の自分自身をも否定することになる。
今生きている人が「自分には関係のないことだ」と言っても、国や企業は存続していて、その仕組みのなかで生きているのだから、やはり言い逃れは出来まい。
朝鮮半島が日本の植民地であった時代に、困窮した多くの人たちが日本に渡ってきた。そのなかには、「強制的に」連れてこられたケースもあるし、そうでないケースも多くあるだろうが、この「そうでないケース」を「自発的」といって済ませるわけにはいかない。日本が支配したことにより、そして何より日本の支配下という現実のなかで、この人たちの「生きるための移動」はおこなわれたからだ。
この人たちの行動を「自由意志だったから」といって責任をとらないことは、かつて植民地を保有したという自国の歴史へのコミットを、自ら放棄することになる。


また、「日本の植民地支配は、欧米のそれに比べればずっと緩やかなものだったではないか」という意見もある。それに、「欧米の国で植民地支配の謝罪や補償をした国はないのに、どうして日本だけがそれをしなければいけないのか」という不満や疑問の声も聞く。
こうした意見は分からないではないが、そもそも欧米諸国とは異なり、東洋の国である日本が「植民地支配」という西洋近代の政治手法によって近隣の国や人たちを支配したということの意味を、よくかんがえてみる必要があるのではないだろうか。
「植民地支配」が、謝罪や補償を伴うべき行為だということを、行動によって欧米諸国に教えるのは、非西洋の帝国主義国家であった日本の役割だ。それが、歴史を背負う、ということではないか。「欧米の国がこうだから」という言い方は、「自分が誰なのか」という問いかけを忘れたところに生じるものだと思う。
日本には、欧米に先んじて世界の秩序を和解的なものに変えていく歴史的な責任がある。もっと正確に言えば、日本という国家にそのような役割を果たさせる責任が、ぼくたち国民、有権者にはあるとおもう。
その責任は、これまでも、そしていまもこの国が支配したり搾取し続けている人たちに対して、ぼくたちが負っているものなのである。