「怪物のような「かのように」」を読んで

 

 

『ジャッキー・デリダの墓』(鵜飼哲著 2014年)に収められた論考、「怪物のような「かのように」」は、巻末の初出一覧を見ると2008年にパリのコロックにおいて発表されたものとなっているが、僕はこの文章を以前にも読んだことがあると思う。その時も内容を理解できず、今回も初めに読んだときは誤読した点があったことに、読み直してみて気がついた。

この論考では、前半の方で、生前のデリダが1995年のいわゆる「村山談話」をきわめて高く評価していたということが語られている。当時の国内政治の事情をしっている日本人は(左翼であっても)、この談話の価値を低く見がちである。それは、この「談話」と引き換えに、旧社会党を初めとする日本の左翼勢力が失ったものがあまりに大きかったと考えられているからだ。だがデリダは、西洋の外部において、日本という「帝国的同一性」を維持し続けてきた国家で、このような政治的言明(植民地支配の罪を認める発言)が行なわれたことの意味は、決して小さくないと考えたのだという。それは、政治的なフィクションであり、「演劇化」であったが、それでも、いや、むしろそれ故にこそ、大きな意味を持つ(持ちうる)はずだと。

そこからこの論考では、デリダが政治における「嘘の歴史」に関心を寄せていたことが語られ、続いて日本の「帝国的同一性」と「歴史(とりわけ主権)における嘘」とを考える上での結節点になりうる文学作品として、森鷗外の「かのように」(1912年)が論じられる。

大逆事件」(これ自体が稀代の政治的嘘だが)の衝撃のもとで書かれたとされるこの小説では、欧州に留学して西洋の合理主義を身につけた主人公が、国家の公式見解である天皇家の神的起源というフィクションに固執する父親にどう対処するかで悩んだ末、その解決策として、当時流行していたファイヒンガーの『かのようにの哲学』を援用することを思いつく。その最後で、主人公が友人の画家を前にして、「かのように」(フィクション)の政治的効用を尊重するという形で、自分の理性主義的な思考と、父のような頑迷な思想との折り合いを付けていくつもりであることを力説するのに対して、しかし画家はそのような辻褄合わせを認めず、主人公の言い分を嘲笑して、「巨人のように」その前に立ちふさがる。

この場面の解釈について、著者の鵜飼哲は、この友人(画家)は、『彼(主人公)の新しい崇拝の対象の苛烈な性格を』(p123)知っていたのだろう、と書いているのである。この「新しい崇拝の対象」とは、つまりこの論考の表題にもなっている「怪物のような「かのように」」というものであるわけだが、僕はそれを、天皇もしくは天皇制のことだと誤読していたのだ。

だが、読み直してみると、「怪物のような「かのように」」とは、フィクション(嘘)の持つ未知の力そのものに他ならない。その力は、時として、現実を取り返しのつかないような危機や解体に追い込む。天皇制という政治的な嘘も、もちろんそうした力を持っているが、ここで考えられているのは、それとは逆方向の、西洋的な理性主義に関わるフィクション、例えば「村山談話」のようなものだろう。

それは、フィクション(綺麗事)だからこそ、破滅的な危機と表裏一体の、想像もつかない未来をもたらす。ただし、その「苛烈な性格」が抑制されず、貫かれた場合に限ってのことだが。

その恐怖が耐えがたいものだからこそ、たとえば憲法九条の戦力放棄のようなものは骨抜きにされ、挙句は再軍国化へと差し戻されることになる。同様のことは、ここ数日なら「入管法改悪」や「LGBT差別増進法案」においても起きている。「人権」とか「命の平等」といったフィクションの徹底(がもたらすリスク)の「苛烈な性格」に、多くの人は耐えられず、「安定」の幻影の中での死と服従の方を選択するのである。

実際、「村山談話」というフィクション(「かのように」)もまた、徹底されることはなく、この国の人々はさらなる反動の大波に身を委ねていくことを選んだ。

このような、とりわけ理性主義的なフィクションの忌避という、この国の特異的と思える傾向は、どこに起因するのだろうか。

この論考の最後の部分で、鵜飼哲は、政治的な「嘘」がますます巨大な力を発揮しつつある当時の世界情勢に注意を促し、また日本の政治も、(『体制と文化の好みはむしろ隠蔽に傾いているとしても』(p128)という的確な指摘をさらりと付しながら)やはり戦前から政治的嘘の多用を常習としてきたことを確認する。そして、そのうえで、日本においては、嘘、フィクションというこのテーマが、まさしくデリダが指摘したこの国の「帝国的同一性」の核心に関わるものだということを強調するのだ。

 

『私たちが「政治神学的フィクション」あるいは「民族神話」と呼んだもの、天皇を現人神とする「王の二つの身体」の教義の非常に特異な形態、敗戦ののち天皇自身によって否定されたフィクション、あれは嘘だったのでしょうか?あるいは、戦後何人かの思想家や歴史家が主張してきたように、それは宗教的な性格の民間信仰であり、それが支配階級によって流用され変質させられたのでしょうか?この二つの見方には、結局のところどんな違いがあるのでしょう?仮にそれが政治的嘘だったとして、誰が誰を騙したことになるのでしょう?私の母のように戦争が終わるまで神風の奇跡を信じていた人々は騙されたと感じたのでしょうか?何について?誰によって?歴史的に唯一はっきりしていることは、天皇制のまやかしを告発した左派の言説、主として共産党系のそれは、民衆のあいだでは広い支持を得られなかったということです。そうである以上、嘘、いかさま、まやかし以外のもうひとつのカテゴリーが、日本という国家の、嘘の歴史以前に、ただ単にそれ自体の歴史を説明するためにも、発見ないし発明されなければならないでしょう。(p128~129)』

 

実は、最近、プラカードやマイクを手にしながら、僕が路上で感じていたことも、ここに書かれていることに似ている。日本の民衆は、たんに誰かの「嘘」に騙されて動いたり動かなかったりするわけではない。嘘の効果は、あえて言うならば民衆自身の意志によって作り出されている。彼らは、つまり私たちは、誰かに騙されているかのようにして、まるで無力で無知な非政治的客体であるかのように、自分たちの排他的な政治体を構成し維持し続けることを好むのだ。

それは、天皇制のあり方そのものだとも言えるが、その隠れた首謀者は、実は私たち「国民」だと言うべきではないか。

この「国民」こそを、葬らねばならない。

『ジャッキー・デリダの墓』

 

 

著者の師であり、畏友でもあったデリダの死から10年後の2014年に出版された本で、ずっと読みたいと思っていたが、これまで読んでなかった。 期待通りの凄い本だということは、書くまでもないだろうから、ここでは、いま思いつくことだけをメモしておこう。

デリダの死は著者にとってもちろん重大な出来事だったが、そこにはデリダの母の死、そして、著者の母の晩年の様子が関わっていたということが書いてある。 デリダの母は重度の記憶障害を経て、亡くなる1年ぐらい前から嗜眠状態に陥り、デリダはその母の傍らに付き添っていたようである。著者の母も、やはり重度の記憶障害に陥って行ったことが書かれていて、デリダはそれをずっと気にかけていたという(これは2001年頃のことで、デリダの母は90年代の初めに他界している)。

この母についての体験は、デリダの思想に大きな影響を与えた(と言ってよいであろう)。この本の内容は、どうしても(僕の読み方では)そのことが軸になってくる。思いっきりざっくり言うと、それは、後期ハイデガーの「放下」という概念にも関わるもので、デリダの「無条件的な歓待」の思想に通じている。 未来が、あるいは他者が、到来するままに任せる、ということだ。これは、この時代のヨーロッパ(と、その民主主義)が直面していた移民や難民の急増、到来という状況へのデリダなりの回答だったとも言える。

この未来や他者の到来が、ヨーロッパ的な理性、民主主義に対して、どれほど恐るべき帰結をもたらすことになるとしても、その侵犯的な到来を拒むべきではない、というのがデリダの姿勢、覚悟である。この点で、彼の思想は、(ナチスに接近した)ハイデガーやシュミットとの近接が、警戒・批判されることにさえなりうるだろう。

そしてこの当時の状況は、やがて2001年の「9・11」と「対テロ戦争」へとつながっていく。この本に収められた論考は、その時代の推移をもちろん映し出すものであり、さらにそれ以後に起きてくる様々な出来事(たとえば、ISISやトランプ)へと考えを広げざるを得なくさせるものである。

「メシアなきメシア主義」とも言われるデリダの思想は、柄谷行人の「交換様式D」のようでもあるが、それよりもはるかに危険なものだ(柄谷はあくまで「労農派」の思想家だということを、この本を読みながら思った。)。それは、(「美しい危険」という言葉が引かれているように)レヴィナスとの議論のなかで練り上げられていったものだろうとも思う。

 

ところで、ひとつ不思議に思ったことがある。著者がデリダに関して言う、「もうひとつの別の神」の系譜、可謬的であり可傷的でもある、無力な神のイメージは、ハンス・ヨナスが抱いていたという神のイメージとなにがしか重なるものだと思える。それは、誤った世界を産み出してしまい、そのことに関してもはや全く無力であるが故に、その世界についての責任を「われわれ」が代って負わざるを得ないというような、そういう神のイメージである。もちろん、その共通性のうえで、「われわれ」が主体的に未来を切り拓いていくべきだとするヨナスと、あくまで「到来するにゆだねる」こと、その危険に身をさらすべきであるとするデリダの態度とでは、正反対ではあるのだが、それにしても、そのヨナスについての言及が、デリダにも著者にも、僕が知る限りでは非常に少ないように思えるのは、どうしてなのか。これは、素朴な疑問である。

粗雑な書き方になるが、こういう神(創造神)のイメージは、やはり「母」についての私的な体験に関わっているようにも思える。ヨナスの母は、(デリダの場合とは違って)「ホロコースト」で亡くなっているのだが。

『動物を追う、ゆえに私は〈動物で〉ある』

 

 

1997年に行われたデリダの名高い講演の記録。

ここでは、デカルト、カント、ハイデガーレヴィナスラカンという人々の思想が、人間中心主義的なものとして批判されている。

デリダが人間中心主義の思想を批判する根本的な理由は、それ(人間中心主義)が人間のなかの「動物的生」と呼べるようなものを否定(否認)し、いわば「有限の生」ならざるものに、支配者・優越者としての人間の根拠を置こうとする思想であるからだと思う。

つまりそれは、(動物のような)「有限の生」という人間のあり方を否認するような思考への批判であり、グノーシス主義(最近の用語でいえば「反出生主義」)的なものに対立する態度だといえると思う。

そのことは、次の箇所によく示されている。

 

『先決的かつ決定的な問いは、動物が、苦しむことができるかどうかであるだろう。(中略)この問いは、ある種の受動性によっておのれを不安にする。それは証言する、それはすでに、顕わにしている、問いとして、ある受動可能性への、ある情熱=受苦、ある非-力能への証言的応答を。(中略)苦しむことができることはもはや力能ではない。それは力能なき可能性、不可能なものの可能性なのである。われわれが動物たちと分有している有限性を思考するもっとも根底的な仕方として、生の有限性そのものに、共苦の経験に属する可死性は宿っているのである。この非-力能の可能性を、この不可能性の可能性を、この可傷性の不安およびこの不安の可傷性を、分有する可能性に属する可死性は。(p58~59)』

 

この後半部は難解だが、要するに、傷つき苦しみ死去しうるということが、有限な生存としての動物たちと人間の生の共通な根底を形成している、といった意味だろう。そうした苦痛に満ちた有限性を否認するなら、私たちは生の現実を自ら取り逃してしまう。

しかし、どのようにか?

デリダは、上記の西洋の思想家たちの人間中心主義的な思考が、彼がアブラハム的と呼ぶ永い文化的・宗教的(「キリスト教ユダヤ教イスラム教的」)な伝統、動物に対する「供犠」の系譜に属するものであることを強調する。

 

『すなわち、これらの言説のすべての心臓部に生き生きとした搏動を刷り込んでいるのは供犠であるということ。(中略)人間的空間における、基礎的な供犠、基礎づけ的な供犠そのものの必要であり、いずれにせよこの空間のなかでは動物に対し、必要な場合はそれを死に処すことまで含めて、指図することが禁じられてはいないのである。(p171)』

 

この見方は、特にカントの道徳哲学に対する批判において明瞭に示されるのだが、その人間主義的な道徳思想、たとえば「権利」や「尊厳」といった概念が、動物及び人間の動物的生を犠牲として奉げることによって成り立っていることを、デリダは執拗に告発する。

 

 

ところで、前近代を十分に脱却してこなかった日本社会においては、元々「人間(主義)の否定」に対するハードルは無残なほどに低い。(実存主義精神分析のみならず)ヒューマニズムや人権概念をも人間中心主義(=供犠の思想)と見なして攻撃するデリダの言説は、この為、日本では受け入れられやすいのである。そもそも、「人権」だの「人間の平等性」だの、誰も本心からは信じていないのだから。

だが、忘れてならないことは、デリダの批判は、他者の「有限な生」を犠牲にすることによって主権者の優越的な立場を正当化するような思考と態度、そして制度に対してこそ向けられている、ということだ。デリダの、(あえて言えば)動物についての哲学とは、そういうものである。

すると、日本のような国の文脈においては、この「動物」たち(デリダは「アニモ」という造語をあてているのだが)には、実に多くの語(たとえば、ジェンダーや国籍に関する)を代入できそうなことが分かるだろう。

 

『この共形象をなす男たち(注 上記の西洋の哲学者たちを指す)、あたかも彼らは見られずに見たかのようであり、動物に見られることなく、動物に自分が見られているのを見ることなく、動物を見たかのようなのだ。動物的と言われる生の底からおのれを差し向けて、その瞬間彼らに、それもまなざしによってばかりではなく、自分がかかわっていることを認めさせたはずの誰かから、自分が裸なのを見られているのを見ることなく。(p36)』

 

 

『雄羊』

www.chikumashobo.co.jp

デリダが亡くなる前年の2003年に行われた、ハンス・ゲオルク・ガダマーを追悼する記念講演を文章化したもの。

最初のパートのなかで、こういうことが書かれている。

 

『というのも、そのたびに、そのたびに単独=特異に、そのたびにかけがえなしに、そのたびに無限に、死は、まさしく世界の終わりだからである。それは、世界内の誰かあるいは何かの終わり、ある生あるいはある生者の終わりといった、数ある終わりの内の一つであるだけではない。死は、世界内の誰かを終わらせるのでも、数ある世界の内の一つを終わらせるのでもない。死はそのたびに、そのたびに算術の計算に立ち向かって、ただ一つの同じ世界の絶対的な終わり、それぞれがただ一つの同じ世界として開始するものの絶対的な終わりを印づける。唯一無二の世界の終わり、人間であろうがなかろうが、しかじかの唯一無二の生者にとって世界の根源として存在する、あるいはそのようなものとして現われるもの全体の終わりを印づけるのである。

 そのとき、生き延びる者は、ただ独りで残されるのだ。(中略)彼は、少なくとも自分がただ独りで責任を負う者だと、他者をも彼の世界をも担う定め、消滅した他者と消滅した世界そのものとを担う定めを負う者だと感じている。世界なしに(weltlos)、どんな世界の土地もなしに、以後は、世界の終わりの彼方の地の果てのような、世界なしの世界の中で、ただ独りで責任を負う者だと感じている。(p020~021)』

 

ここで言われているのは、こういうことだと思う。

ある人(もしくは人間以外の生き物)の死に直面したとき、(特にそれが身近な存在の死である場合には意識しやすいが)その人(もしくは動物など)が不在である世界を、私たちは現実として受け入れ難いという思いを持つ。それは、昨日までの(死以前の)世界がそうであったようには現実ではなく、私には現実として受け入れることができない、現実ならざる様相の世界でしかない。

つまり、そのとき、「唯一無二」である、この現実の世界そのものが(私から)失われているのだ。

私にとっての生命の喪失というのは、本来そうした出来事である。デリダが言っているのは、まずこうした事柄であると思う。

そして、二段落目では、このように「世界なしの」状況にただ独り置かれた私(生き延びる者)が、他者と向き合い、他者とその世界を担い、責任を負うという、「単独=特異」な場所の倫理性が語られているのだが、このような場所こそが、デリダが私たちの生の剥き出しの在り様として見出したものだと言えるだろう。

生命の喪失、他者の死は、(私にとって)取り返しのつかない(かけがえのない)ものだが、その「取り返しのつかない」ということこそが、じつは私という生存の独異性(「単独=特異」)を支えている。身近なものの死は、そうした生存の構造の在り様を、私たちにまざまざと知らしめるのだ。

 

 

さて、そこからデリダは、やはり生前に深い関わりのあったパウル・ツェランの詩の読解を通して、このテーマを掘り下げていく。その詩とは、最終行に

 

『世界は消え失せている、私はおまえを担わなければならない。』

 

と書かれている作品である。

デリダは、たとえばこのように述べている(日本語表記のみ引用)。

 

『世界がもはや存在せず、もはやここにではなく、彼方に存在しようとしているとき、もはや近くにはなく、もはやここにではなくあそこに、もはやあそこにすらなく、遠くに消え去って、たぶん無限に接近不可能であるとき、そのとき私はおまえを担わなければならない、まったく独力でおまえを、おまえだけをただ私の内だけに、あるいはただ私の上だけに担わなければならない。(p073)』

 

『もし私、この私が、おまえ、おまえを担わなければならないならば(ところでは)、さて、その場合には、世界は消滅しており、世界はもはやそこにもここにもなく、「世界は消え失せている」。(中略)もはや世界がない世界に、私はただ独りだ。(p074)』

 

さらに、講演の後半では、デリダが強い影響を受けてきた三人の思想家、フロイトフッサールハイデガーへの批判的言及を通して、この思索が展開されていく。

 

『それでもなおある種のメランコリーは、正常な喪に抗議するに違いない。このメランコリーが、理想化的な取り込みを甘受するはずがない。フロイトが、まるで正常さの規範を確証するためでもあるかのように、もの静かな確信を持って述べていることに対して、メランコリーは激怒するにちがいない。「規範」とは、健忘症の良心にほかならない。そのおかげで私たちは、他者を自己の内部に自己として保存すること、それはすでに他者を忘れることだということを忘れることができる。忘却が、そこに始まるのだ。だから、メランコリーが必要なのだ。(p081)』

 

またフッサールに関して、

 

『そのとき私は、世界が見えなくなるところで、他我を担い、おまえを担わなければならない。(中略)自己固有化することなしに担う必要があるのだ。担うとは、もはや自己の内に「含む」こと、封じ込めること、包含することではなくて、まさに私の内部でも、つまり私の外なる私の内で、他者の絶対的超越性を迎え入れるために、他者の無限の自己固有化不可能性の方に向かうことなのである。そして私として私が存在するのは、私が存在することができるのは、私が存在しなければならないのは、私の内における無限に他なるものの、この脱臼した奇妙な懐胎期間以降のことでしかないのだ。世界がもはや私たちのあいだや私たちの足元には存在せず、私たちのために媒介を保証したり、基盤を強固にしたりすることのないところで、私は他者を担い、おまえを担わなければならず、他者は私を担わなければならない。(p083)』

 

『存在する前に、私は担うのであり、私である前に、私は他者を担うのだ。私はお前を担い、そうしなければならず、私はおまえにその義務を負っている。(p084)』

 

これらの批判的言及において強調されているのは、「自己固有化」されない、つまり同化されない他者と、「世界なしの」状況において出会うことの重要性である。

そういう他者との出会いだけが、私の生の独異性を成り立たせる。私が、そうした他者とその世界(生)を(「世界なし」に)担うことによってだけ、私は独異(「単独=特異」)な生としての、私自身として生きうるのだ。

デリダのこのような言葉が、2003年のヨーロッパにおいて、難民や宗教(的対立)の問題を念頭に置いて述べられたものであることは明らかだろう。

そして、この講演の最後では、次のように述べられる。

 

『(前略)私としてはまず、私たちの内で、私たちよりも前に他者が語っているその場で、私たちがどれほど他者を必要としているのか、これからもなおどれほど彼を必要とし、彼を担うことを、彼によって担われることを必要としているのかということを喚起することから始めただろう。(p088)』

 

こうして、ヘルダーリンのある詩の一節が引かれて講演は終えられるのだが、その一節は、訳注によると、(より正確には)次のようなものである。

 

『ほかのものたちにたよるということは / 良いことだ。だれもただひとりでは生(いのち)に耐えないからだ』

『正義への責任』

 

 

「訳者あとがき」(岡野八代・池田直子)によると、著者のヤングはもともとマルクス主義フェミニズムの米国における代表的な論客として知られていた人のようである。しかし、遺著となった本書を読む限りでは、その思想は、リベラル(個人主義自由主義)の価値観・世界観を土台とした倫理学、責任論の構築を目指すものであるという印象を受ける。

 その立場からヤングは、経済のグローバル化によって拡大する「構造的不正義」に対処する規範として、「社会的つながりモデル」という考え方を提示しているのである。

 ここでいう「構造的不正義」とは、こういうものだ。

 

『ここでの不正とは、構造的不正義である。そしてそれは、少なくともつぎの二種類の危害や不正と区別される。つまり、個々の相互行為から生じるとされるもの、そして、国家やその他の権力をもった諸制度の特定の行為や政策に起因するもの、である。(p78)』

 

『構造的不正義は、個々の主体や国家の抑圧的政策の不正行為とは異なる種類の道徳的不正である。構造的不正義は、多くの個人や諸制度が、一般的な規則と規範の範囲内で、自らの目的や関心を追求しようと行為した結果として生じるのだ。(p90)』

 

『構造的不正義とは、たいてい制度上の規則の範囲内で、大半のひとが道徳的に許容されていると考える実践に従って行動する、何千、いや何百万もの人びとによって生産され、再生産されている。(p169~170)』

 

ヤングのいう「構造的不正義」は、個々の行為(悪意や暴力を含むだろう)や権力から区別された、かなり抽象的なものとして想定されているのではないかと思われる。この不正義を結果的に生みだす個々の行為者は、基本的には善意のプレーヤーであるというわけなのだ。

こうしたものとしての「構造的不正義」に(のみ)対処する責任の論理として提唱されるのが、(過去に為された個々の罪や責任を問う「帰責モデル」とは区別された)「社会的つながりモデル」だ。

 

『社会的つながりモデルでは、不正な結果を伴う構造上のプロセスに自分たちの行為によって関与するすべての人びとが、その不正義に対する責任を分有する。この責任は、罪や過失を誰かに帰す場合のように、主として過去遡及的ではなく、むしろ、主に未来志向的である。構造上の不正義に関して責任があるということは、その不正義に対する責任を分有する他の人びととともに、わたしたちには、不正な結果を生む現在の構造上のプロセスをより不正でないものに変革する義務がある、ということを意味している。(p172)』

 

未来に対して義務(責任)を負うというのはよいのだが、過去における罪や過失の責任を問うことは、この「未来志向」の義務をときに妨げることさえあるものだと考えられているようである。そうすると、未来志向的な責任の強調は、結局は、過去に対する責任をバックレることの巧妙な正当化になりかねないだろう。

この点に関しては、「序文」でマーサ・ヌスバウムが展開しているヤングへの批判が見事なものだと思うので、少し引用しておく。

 

『わたしが考えるに、罪と責任の区別のなかで、後ろ向き/前向きといった概念区分を維持するのは、実際には非常に難しい。(中略)もし、わたしたちが、(構造的不正義に加担した者には、問うべきではないと考えられている)後ろ向きの罪と、(問うべきだと考えられている)前向きの責任との、はっきりとした区別に固執し、こうした議論をするならば、結局は、人びとは永遠のフリーパスを手に入れるだろう。というのも、彼女たち/彼らが担い損ねた課題は、その帳簿の借方項目、つまり罪側に記載され、新しい課題はつねに、彼女たち/彼らの未来に待っているからだ。この議論とは対照的に、わたしたちは、つぎのように考えるべきであろう。つまり、もし、社会問題Sに対して、Aが責任Rを負いながらも、その責任をそのときに果たさず、そして、一定の時間が経つならば、自分の責任を果たさなかったという罪があるのだ、と。』

 

さて、僕がヤングの議論に違和感を抱くのは、根本的には、彼女の言う「構造的不正義」なるものが、現実の社会関係から権力の不均衡性を消去した抽象的な理念にしか思えないからである。

社会にこの不正義が生じるのは、社会関係そのものが不均衡をその土台にしているから(つまり資本制的であるから)であって、それを変革しようとするならその土台を否定する以外に根本策はないはずだが、ヤングはそうは主張しないのだ。だから彼女の議論は、資本主義の論理の外側には出られないものだと思う。

そのことは、ヤング自身よく分かっていたはずだ。次のように書いてるのだから。

 

『構造的不正義に関する責任の一要素としての権力の問題は、不正な構造に関連して重大な権力をもつ行為主体は通常、不正義の存続に関心があるということである。構造が生みだす不正義は通常、そこに参与している行為主体によって設計されたものでも意図されたものでもないが、それは、しばしば権力をもつ行為主体が抱いている目的から予期しうる結果である。もし、そうした行為主体が自分たちの目的は合法的だと信じており、かつ、他からの異論があってもともかくその目的を果たすことができるのであれば、そこから利益を得ているのだから、あるいは、構造の変革はあまりに高くつくと考えて、存続させようとするだろう。(p262)』

 

明察であるが、ほんとうのところは、「不正な構造」は「重大な権力をもつ行為主体」によって意図され設計されたものなのだ。少なくとも、現在においてはそう言い切るべきだろう。

ヤングの思想は、資本主義内的な(つまりリベラルな)倫理思想の限界を、その極めて高度な洗練と達成において示していると、僕は思う。

ガンとの闘病のなかで書かれた、以下の本書の最後の一節は、そうしたものであると同時に、深く私たちの心を打つものでもある。

 

『白人存在の特権を認めることは、集団としてであれ、個人としてであれ、白人が、集団あるいは個人としての黒人に対して支払う義務を負っていると主張することではない。しかしながら、不正な結果を生む人種化された諸構造から利益を得ている人びとは、特権を認識し、その特権が歴史的不正義と連続性をもつことを認め、そしてこの特権を与えてくれる諸制度の変革に取り組む義務をもって行動せよという、特別な道徳的そして政治的責任へと、当然のように呼びかけられるだろう。たとえ、そのことによって、そのひと自身の環境と機会が、呼びかけに応じなければ手にしていたであろう状態に比べて、より悪いものになってしまうとしても、である。(p336)』

『哲学のナショナリズム』

 

 

夭折したドイツの詩人トラークルの詩を論じたハイデガーの文章を執拗に分析したデリダの講義録。

トラークルの詩では、魂は地上においては「余所者」であると言われるのだが、その一節を強調するハイデガーの意図は次の点に眼目があるとデリダは言う。

(以下、引用文ではすべて、日本語表記部分だけを書き写したことを特に断っておく。)

 

 

『魂が地上においては余所者だとしても、それは魂が地上と無縁だという意味ではない。それどころか、魂はまさしく地上に向かう途上にあり、地上へ向かう移民である。(中略)必要なのは大地に帰ることであり、この大地は、住まいを約束することによってのみそれ自身であるような場なのである。(p76)』

 

 

地上において「余所者」である「魂」の旅路は、決してあてどない流浪ではなく、「約束」の「大地」(住まい)への回帰であることをハイデガーは強調していると、デリダは指摘する。デリダは、こうした「回帰」こそがナショナリズムの本質であるとも言っているのだが、そのようなものとしてハイデガーのドイツ・ナショナリズムナチスへの接近)を批判したデリダのなかに、シオニズムに対する(語られざる)意識がなかったと考えることは難しいだろう。

とりわけ、次のように言われる時。

 

 

『回帰とは、住まいや祖国の偶有的な、付け足しの述語などではなく、住まいの約束としての祖国や故郷(くに)を根源的に構成し創設する、本質的な運動である。それ、故郷(くに)は回帰の約束から始まる。祖国としての故郷は、ひとがかつて起源において住んだことがある場所、そして、そこを離れた後で、いつの日か、そこへ帰ろうと望む場所ではない。故郷は、回帰の約束にもとづいてのみ、それとして出現するのである。―たとえ実際にひとがそこを決して離れたことがなかったとしても、また実際にそこに再び戻ることが決してないとしても。(p233~234)』

 

 

「たとえ実際にひとがそこを決して離れたことがなかったとしても」という一節を読むとき、日本のナショナリズムこそがナショナリズムの中でも最悪のものではないかと考えざるをえない。

「最悪」というのは、デリダはここでナショナリズムを「死」につながるものとして捉え、そういう要素をハイデガーの思想の中に見い出して、それに敵対しようとしているからである(したがって、そうしたものでないようなナショナリズムは、ここではデリダの批判の対象になっていないと言える)。

デリダの主敵は、ナショナリズムというより、それが時としてはらみうる「死の勢力」の方なのだ(同時に、デリダが憎んでいるのは「(生物学的な)死」そのものというより、「死の思想(イデオロギー)」と呼ぶべきものの方だということも強調しておきたい)。それについて、例えばこう言われている。

 

 

『(前略)それらははるかに確実に勝利を収める死の勢力である。結集、同じもの、唯一のもの、道なき場しかないとしたら、それは端的に死だろう。(中略)したがって、場と非-場、結集と分割可能性(差延)とのあいだの関係は別様でなくてはならず、ハイデガーを導くように見える暗黙の論理を作り替えることを課すような、一種の交渉や妥協がたえず進行中であるのでなくてはならない。また分割可能性があると述べることは、分割可能性あるいは分裂しかないと言うことでもない(それもまた死だろう)。死は二つの側から付け狙っている。一方では、固有な場の完全無欠さ、戦争なき性の純粋無垢さの幻想の側から。また反対側では、根本的な非固有性ないし脱固有化の側から、さらには性の軋轢としてのゲシュレヒトの戦争の側から。(p137)』

 

 

「一種の交渉や妥協」の絶えざる進行こそが、デリダが「死の勢力」に敵対する重要な武器だったということになるだろう。

それはまた、次のようにも述べられる。

 

 

『私にとって、獣と呼ばれるものと人間と呼ばれるものとのあいだのあらゆる境界や区別を消去することが重要なのではない。そうではなく重要なのは、なんらかの国境(フロンティア)の一方と他方とを対立させる、そうした境界線の統一性に異議を唱えることである。(p222)』

 

 

ここにも、デリダらしい政治的な立場表明を見ることが出来るように思う。

そして、ここでデリダが最も鋭く敵対している「死の勢力」(悪しきものとしてナショナリズム、回帰の思想)は、具体的にどういう思想の姿をとるかといえば、それは今日の言葉でいうなら「反出生主義」に極めて近いものだと思う。本書中に引用されている(トラークルを論じた)ハイデガーの次の文章には、それがはっきりと示されている。

 

『みずからの炎のなかで、生まれぬ者の平和を見守る喪である。生まれぬ者たち、子として産み出されぬ者たちは、孫と名づけられるが、それは彼らが息子でありえないから、言い換えれば、(失墜した種族ないし性)の直接の、無媒介な新芽〔後裔〕、子孫でありえないからである。彼らとこの種族、この〔失墜した〕ゲシュレヒトとのあいだには、もう一つ別の世代がある。この世代が別の世代であるのは、それが別の出自、すなわち産み出されぬ者の起源である早朝に出自をもつ以上、別の次元に属しているからである。(p119)』

 

 

したがって、この本においてデリダは、反出生主義とシオニズムという二つのものを重ねるようにして、密かに敵対していると僕には思える。

おそらくこの二つは、ジャン・ジュネが生涯にわたって対峙し続けたものでもある(ジュネの作品と同じく、この本でも性的差異とその政治性は主要なテーマの一つである)。

映画『飯舘村 べこやの母ちゃん』

十三のシアターセブンで、古居みずえ監督の『飯舘村 べこやの母ちゃんーそれぞれの選択』を見た。また、上映終了後に監督の舞台挨拶があり、こちらもとても良かった。
映画は、飯舘村に暮らしてきた三人の「母ちゃんたち」の原発事故以後の姿に寄り添って撮られたもの。古居さんと被写体になった人たちとの距離感がよく伝わってくる、すぐれた内容だった。
挨拶でも言っておられたが、古居さんが飯舘村の人たちの置かれた状況に、パレスチナの人たちの境遇を重ねていることは、映画の冒頭のシーンからはっきり伝わってくる気がした。花々が咲き乱れる飯舘の谷間の春の景色と、その土地が敗戦直後、満蒙開拓から帰国した人々によって切り拓かれた農地だったという歴史の解説。原発事故の被害と、その後の国の切り捨て的な政策は、またしてもこの土地の人たちを襲ったのである。
古居さんの映画の特徴は、日常に持続するものとしての「時間」を丁寧に撮っていることではないかと思うのだが、その持続によって、歴史の中の出来事も呼び起こされてくるのだ。

タイトルに「べこや」とあるように、今回は畜産を営んでいる家族の話である。古居監督のお話では、村でも男性は他の仕事(公務員やドライバーなど)との兼業になることが多く、畜産と言っても日々の動物の世話は、もっぱら女性の仕事ということになるらしい。生命に直接かかわる仕事を中心的に担っているのは、ここでも女性たちで、(コロナ禍でもそうだったように)、社会的な危機の際には、そういう生命や身体に密着した被差別的な場所・職業が、最も負担や危険にさらされ、かつ切り捨てられるようなことになる。
原田公子さんという「母ちゃん」は、子どもの頃からひときわ動物好きな人だそうだが、虚弱な動物に特に心を引かれるのだという。その人が子牛たちにミルクを飲ませながら言った「一番弱い者に合わせないと、生きられるものも生きられなくなる」という言葉が、印象深かった。

また、長谷川花子さんという人は、長谷川健一さんの妻であり、映画では健一さんの普段の様子や、甲状腺がんで亡くなる前後のことも詳しく描かれているのだが、ただ、活動家としての健一さんの姿はほとんど全く出てこず、あくまで「花子さんのよき父ちゃん」という描かれ方であった。よく知らない人は、ごく普通の畜産農家のおじさんだと思うだろうが、ある意味では、その姿こそが本人も最も望んでいたことだったろうと思う。それを全て奪ったのが、原発事故だ。こういう描き方をする古居監督の作風の徹底ぶりには、凄味さえ感じた。

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