4・5釜ヶ崎大弾圧を許すな

すでにご存知の方も多いと思いますが、この5日に、大阪の釜ヶ崎で警察による不当逮捕、大がかりな弾圧がありました。
突然の大量家宅捜索がなされ、通常は現行犯逮捕にしか適用されない公務執行妨害の容疑により9ヶ月後に5人を逮捕という、ひどいものです。
まず、同日に出された抗議の呼びかけ文を、下記『釜パト活動日誌』から転載します。
http://kamapat.seesaa.net/article/194487732.html

4月5日、釜ヶ崎大阪府警による不当逮捕・弾圧がありました。即日救援会が立ち上げられ、支援体制を組んでいます。
以下に、いただいた報告を筆者の方の承諾をいただいて転送します。内容は救援会で承認された内容ですので、この前書きも含めて転送転載いただいて大丈夫です。
抗議の声をお寄せいただくとともに、南さんをはじめ不当に逮捕された仲間に励ましのメッセージをお寄せください。下記の釜ヶ崎医療連絡会議あてにおとどけいただければ、明日にも仲間のもとに届けられると思います。
釜ヶ崎医療連絡会議iryouren@air.ocn.ne.jp

(以下)

本日4月5日、釜ヶ崎大阪府警により突然の大量ガサ入れ(家宅捜索)、そして同時不当逮捕が強行されました。
4月5日午前9時前後、釜ヶ崎にかかわる5名が一斉に逮捕され、同時に分かっているだけでも12カ所へのガサ入れがなされています。警察官が漏らしていたところでは、16カ所への捜査令状をとっていたという話も伝わっています。
ガサ入れは、逮捕をした個人宅のほか、釜ヶ崎医療連絡会議、釜ヶ崎メディアセンター、NDS(中崎町ドキュメンタリースペース)、ふるさとの家、またそれら団体に関わる個人宅など多岐にわたっています。

容疑は、昨年7月11日の参議院選挙の投票日に、萩ノ茶屋投票所へ詰め寄り、公務執行妨害をしたというものです。

憲法15条では、成人に達した日本国民は、財産、収入にかかわりなく平等に国政選挙の選挙権が保障されています。その一方で、住民登録がなく住民票が抹消された人に対しては選挙人名簿に記載がなく、選挙権を行使できないという現実があります。
釜ヶ崎をはじめとして、全国で野宿をする者、住むところがなく住民票がないがために基本的人権である選挙権を行使できない方が大勢います。
そのような状況が人権侵害であることを訴え、萩ノ茶屋投票所で声を発した者に対し、今頃になって大阪府警は大弾圧を加えてきました。
これは明らかに4月10日の地方選挙を前にしての予防的言論封殺と考えられます。

今回逮捕されたのが、「7・11参議院選挙無効・民衆訴訟」原告である南さん、釜ヶ崎医療連絡会議代表の大谷さん、野村さん、坂口さん、Sさんの5名。
他にも2名に逮捕状が出ていたようです。

南さんと坂口さんは大阪府警本部に、大谷さんは高槻警察署に、野村さんは布施警察署に勾留されているとのことです。

釜ヶ崎では、「4・5釜ヶ崎大弾圧救援会」を立ち上げて、支援体制を組んでいます。

どうか、皆さま、このことに抗議の声をあげてくださいますようお願いいたします。
またどうか支援をお願いいたします。

●抗議先
 大阪府警本部 電話06−6943−1234
 高槻警察署 電話072−672−1234
 布施警察署 06−6727−1234

●支援カンパ 郵便振替00940-5-79726 加入者:釜ヶ崎医療連絡会議

●「4・5釜ヶ崎大弾圧救援会」連絡先 NPO法人釜ヶ崎医療連絡会議(電話06−6647−8278)


関連して、同じサイトに、翌日の朝、釜ヶ崎センターで配布されたビラの文面が載っています。そちらも、ご覧下さい。

http://kamapat.seesaa.net/article/194491640.html






さて、ここからは、ぼくの感想と補足です。
上のビラの文中にも出てきますが、今回の出来事の伏線・発端となったのは、07年に大阪市が、釜ヶ崎の労働者の人たちの住民登録を突然一方的に削除した、という出来事のようです。
http://www.labornetjp.org/news/2007/1172588097313staff01

住民票の消除は、生活権、労働権、そして(被)選挙権すべてを奪う行為です。


つまり、釜ヶ崎の労働者というのは、多くはドヤと呼ばれる簡易宿泊施設などに寝泊りしていていますが、それでは住民票が取れず、生活保護や就労、郵便物の受け取り、銀行などの利用、選挙権の行使などの日常生活が営めないので、それを解決するために釜ヶ崎解放会館など三つの建物をその人たちの住所として登録するという方法がとられていた。
ところが、07年になって、市が突然、「適正化」という名目で、これらの住民登録(住民票)の削除を宣言した。

http://www.kamagasaki-forum.com/ja/topics/citizenship.html

しかし、市役所はなおも「3週間」だけの周知期間を設けて、統一地方選挙の告示日である3月30日までには抹消しようとしています。そうなれば、多くの人が選挙権をはじめとする市民的権利を失い、雇用保険や免許証類の切り替えとか口座開設ができないなど、(ただでさえ貧困の極致ですが)致命的な打撃が生じ、社会から排除されることになります。
基本的人権や市民権を奪うことであり、完璧な憲法違反です。まちづくりNPOとして言わせてもらえば、国・行政・地域・当事者団体が力をあわせてすすめてきた、ホームレス自立支援やソーシャルインクルージョン(社会的包摂)の流れを自ら逆行させることになります。


こういう、公的に住所と認められる所がないなどの理由を付けて、(選挙権を含めた)基本的人権を奪われる人たちがいるということへの抗議のひとつとして、はじめに転載した文中にもある「7・11参議院選挙無効・民衆訴訟」というのを行った人たちがいたらしく、今回逮捕されたのは、その原告の人たちだとのこと。
ここから、少なくとも次の四つのことが考えられると思います。


第一に、極めて大事なことは、これまで日本には、さまざまな理由を付けて基本的人権、市民的権利というものを否定され、排除と搾取のなかに放置されてきた人たちが居た、という事実です。
先日、このブログでも原発労働者の多くが釜ヶ崎などで集められて、危険な労働現場に送られる実態を描いたフィルムを紹介しましたが、
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20110320/p1
原発の存在もまた、こうした人たちの存在によって成り立ってきたという現実があります。
のみならず、ぼくたちの社会の全体が、そういう人たちへの排除と搾取の上に成り立ってきたと言える部分がある。
そして、今回弾圧を受け、逮捕された人たちは、この人たちの身近で、その生活に寄り添うようにして活動してきた人たちである。
これは、よく考えなければいけない点だと思います。


第二には、震災や原発事故の影響、それによる経済的な停滞、社会の混乱も予想される中で、「職を持たない」「住居を持たない」などの理由のもとに、これまで釜ヶ崎などの人たちや野宿者の人たちが受けてきた、人権の剥奪を蒙る人たちが急増する可能性がある。
つまり、こうした状況は社会全体に広がって、ぼくたち自身にとって他人事でないという事態が、今まで以上にはっきりしてくるでしょう。


そこから第三に、こうした人権のひどく制約された状態(本当なら非人権的と呼ぶべき状態)が、政府や行政などによって、当たり前の状態、人権上問題のない状態であるかのように宣伝され、ぼくたちがそう思い込まされるという状況が生じつつある。
枝野官房長官が、年間の許容被曝量の限度を引き上げる、という発言をしたことは象徴的です。つまり、震災や事故を契機として、これまでの社会の矛盾が露呈し、これまで一部の人たちだけが引き受けさせられていた危険や非人権的状態が社会全体に広がりはじめると、政府や権力は、その矛盾を改める代わりに、(社会全体における)「正義」や「権利」の基準値を引き下げ、この非人権的状態こそが当たり前の日常だと思い込ませようとする。
そういう酷い状態を当たり前の日常として受け入れることを、今度は全ての人々に強いようとするのです。
繰り返しになりますが、これを逆に言えば、いまぼくたちの多くは、放射能に関する政府の態度や発表を見て、自分たちの健康や安全に対する著しい侵害であると感じているわけですが、実はそうした非人権的状況は、(例えば)釜ヶ崎の人たちにとっては常に強いられた日常であり続けてきたわけです。


そして第四に、これが結論ですが、そういう強制をぼくたちは拒むべきだし、それを拒むという意志は、これまで権力と、そして私たち自身によって、排除と搾取のなかに放置されてきた人たちのために、いま抗議の声をあげるという行動につながると思う。
なぜなら、私たちが、これまでそれを容認してきた差別的な社会の構造、それこそが問われるべきであるからです。その観点を持たなかったら、「反原発運動」のようなものも、政府や権力の側の論理と同じになると思う*1
原発を許し、釜ヶ崎の人たちを排除してきたのは、私なのだ。
こうした差別の構造を打ち破ることこそが、この社会の、真の再建につながるはずだ。


ぼくには、詳しい経緯や、警察の意図のようなものは分からない。
ただ言えることは、今回の弾圧は、決して特定の人たちではなく、私たち全員の生に対する挑戦である、ということだ。
これまでも、社会の片隅で、私たちの生活を支えることのために、常に蹂躙され続けてきた人たちが、今また大がかりな、理不尽極まりない弾圧にさらされている。
これを黙認することは、私たち自身の(反差別的な)生への展望を閉ざすことにつながるでしょう。

*1:事実、長年こうした運動に取り組んできた人たちは、みなこうした観点を持っておられるだろうと思います。