『中村のイヤギ』・『空っ風 千里開発・RCの陰謀』を見て

14日まで大阪のシネ・ヌーヴォで行われていた上映企画『〜彷徨する魂を追う〜 NDU+NDS』。
そのうち数本の作品を見ることが出来たのだが、ここではそのなかから『中村のイヤギ』(撮影・編集・監督 張領太 2008)と、『空っ風 千里開発・RCの陰謀』(監督・撮影 中村葉子 2010)の二本を見た感想を、備忘録的に書いておきたい。

抵抗としての生 『中村のイヤギ』

『中村のイヤギ』は、まだ未完成なところを多く残した作品だろうが、私には、たいへん示唆されるところの多い映画だった(この舞台となっている伊丹市の「中村地区」のことと、この問題については、以下のサイトに事情が分かりやすく書かれているようです。たどって見てください。http://www.kobe-np.co.jp/chiiki/rensai/0202hansin/01.html)


在日朝鮮人の若者であるこの映画の作り手は、ある日新聞記事から偶然に、多くの在日朝鮮人が暮らす伊丹空港敷地内の「中村地区」という場所の存在と、そこがもうすぐ移転されるということを知り、このまったく見ず知らずの土地に、単身カメラを持って入り込んでいく。
作中で何度も繰り返されるナレーションによれば、彼は、その移転によって「何か大事なものが消されてしまう」ということを直感して、この行動に出るのである。
そして、そこで出会った人々の、移転に関するさまざまな思いを、カメラに収めていくことになる。


この映画で最も驚かされるのは、中村地区の人たちをはじめ、カメラの前で言葉を発する誰もが(移転計画の実行にあたった行政の担当者をも含めて)、その心情を、あふれ出してとどめることが出来ないもののように、熱く語っているということである。
これは、撮影者でありインタビュアーでもある、この映画の若い作り手と、取材された人々との、その瞬間において成立する気持ちの結びつきの強さがなければ実現しなかっただろう。
ときには、立場や属性の違いをも越えて、カメラの前で成立している人間同士の関係性。そういう「前映画的」とも呼べるような、素朴な感動がスクリーンに刻まれていることが、、この映画の大きな魅力、というよりその「力」の核心をなしていると思う。
そのインタビューの映像と音声を通して、われわれが知ることが出来るのは、次のようなことだ。


「中村地区」の移転は、表面上目立った抵抗運動などもなくスムースに行われ、今では「行政による移転の稀有な成功例」として語られることが多いらしい。
だがわれわれは、そうした表面的な理解の及ばない、人々のさまざまな苦しい思いが、カメラの前で語られていくのを目の当たりにする。それらは、なるほど表面的には明確な「抵抗」や「反対」の言葉を語ることはないが、映像は、そこに言語化されないような心の葛藤や(精神分析で言うような)「抵抗」の存在を垣間見せるのである。
その息苦しい思いや葛藤が、見る者のなかの何かを撃ち、揺さぶる。
するとここで暴かれることになるのは、むしろ「抵抗/無抵抗」ということについての、われわれの視線の質(権力性)だ。


われわれは、一見「無抵抗」に移転していくことになった人々の、心の中にある葛藤やさまざまな思いを見ようとしない。言い換えれば、「抵抗/無抵抗」という、表面(行動や言動)だけについての二分法で、人の生や心を見てしまう。
そこにあるはずの葛藤を、「ないもののように」扱い、われわれの日常のなかでの無害なものに変換してしまうのである。その葛藤の重さが、われわれ自身の生の安定を危うくさせないように。
ここに、中村での出来事を「成功した事例」と見なすような行政の視点への、われわれの同一化ということが生じてくる。
この映画のまなざしは、そうした二分法的な(行政に同一化した)社会の視線に抗おうとしているものだともいえる。


権力の決定にさまざまな形で身を処しながら、人々が生き抜いていこうとするとき、その事実そのもののなかに、権力の支配に対する「抵抗」と呼ぶべきものが、見出されるはずである。
人が生きることは、どんな場合であれ、本質的に権力との対決(抵抗)をはらんでいる。
問題は、われわれ自身が、他人の生を(われわれ自身をも揺さぶってくるような)「抵抗」の叫びとして聞き取る「耳」を持っていないということであり、そのことによって私たちが人々の思いや声を(同時に私たち自身の生を、でもある)、抑圧と孤立の中に閉じ込めてしまうということではないか(それが、「行政=統治」の視線への同一化、ということでもある。)。
この映画は、人々のその言語化できないような抵抗の「声」を聞き取って、われわれに伝える「耳」の役割をも果たしているのだ。


たとえば、自治会長でもある一人の住民は、「行政が決めた移転に反対しても仕方がない」という風に語った後に、「これは移転ではなく、移動なのだ。コミュニティーがそのまま残り、ただ移動するだけだと思えば、たいしたことではない」と語る。
この言葉の「言い換え」は、聞きようによっては、権力の決定に従うことを自分に納得させるための方便と思えるかもしれない。そして、そこに押し殺された苦渋と共に諦念のようなものを聞き取ることは、たぶん間違いではないだろう。こうした「言い換え」をたとえば、「権力の裏をかくような民衆の智恵」とだけ捉えるなら、われわれ自身と権力(行政)との関係は、一種の共犯性を保持するだろう。
だが、むしろわれわれが持つべきなのは、この「言い換え」を、強大な権力の勝手な振る舞いはどうあれ、そのなかで自分たちの(コミュニティの)生活をあくまで保持していこうとする、一個の生存による「抵抗」の宣言として聞き取るような「耳」ではないだろうか*1
それは決して、権力のこうした横暴な行使を容認することを選ぶということではない。「耐え忍ぶ」ことや「受け流す」ことをひとつの「抵抗」と捉えることで、明示的な抵抗が人々の生(その解放)に与える意義の重要さを、低く見積もろうというわけではないのだ。


そうではなく、そのような仕方によってでも、自分たちの生活のぎりぎりのラインを守っていこうとする他者の生存と抵抗への、リスペクトを忘れないということ、その土台のうえで、自分がなすべき抵抗がどんなものかを考え、それを行っていく、ということである。
他者の生存の事実そのもののなかに、自分がそれを守るために闘うべき、権力に抵抗する「生の実質」のようなものを見出すという姿勢。いわば「抵抗」へのメッセージを、常に他者の生存の事実そのもののなかに聞き取ろうとする態度。
それを忘れたとき、私たちは、口ではどれほど反権力を叫ぼうと、ある仕方で「権力」のまなざしと耳とに同化していくことになる。
つまりその姿勢を堅持することが、この映画が身をもって示している、「抵抗」のひとつの流儀なのだと思う。


繰り返すが、この映画の画面のなかに私たちが見出すのは、撮影している(カメラのこちら側に居る)作り手と、語りかける出演者(証言者)たちとの熱い思いをこめた関係性であり、そのいわば一対一関係のなかでだけ開かれ、吐露されるような、言語化できない人々の声と語りであり表情である。
その特異な空間において、(私たち自身にも内面化されている統治者の視点によって)「無抵抗」というレッテルのもとに閉じ込められた、人々の生の息吹と、複雑で熱い思いが、すなわち「抵抗としての生」の力が、私たちの居る社会のなかに伝えられ、いわば蘇生する。
そのことは、「統治」の抑圧からの、映画による(人々の思いの)「解放」と呼べるものではないかと思う。そしてその解放によって、この映画は、私たち(この国の)観客にも、自らの生の空間の解放への営みを迫ってくる。権力に抵抗して生き抜くための力を伝えてくるのである。


その最も強い、印象深い集約は、映画の最後に映し出される、解体される自宅の前での在日一世の女性の即興的な歌と踊りであり、そしてその歌声を「日本語でも朝鮮語でもない」ものとして聞き取り、(おそらく)「抵抗としての生」の継承への思いを語る作り手自身のナレーションだ。
この場所で、「消されて」いこうとしたもの、作り手が、それに抗って、人々の生とその熱い思いから継承しようとしたものはなんだろうか?
私はこの映画が示唆するものは、現在の世界に生きるわれわれにとっての普遍的なテーマに触れていると思うのだが、これ以上は掘り下げないでおこう。




抵抗の排除 『空っ風 千里開発・RCの陰謀』

ところで、上述したように映画『中村のイヤギ』は、われわれに、われわれが他者の生に触れるときに持つべきなのは、基本的なリスペクトの感情であり、言い換えれば、表面上の「抵抗/無抵抗」という差異を越えて、その生存の事実そのものにおいて、権力に対する「抵抗」の姿勢を見出し、継承していこうとするような、まなざしと耳と身体とであることを、教えてくれているといえる。


だが、「抵抗/無抵抗」という「表面上の」差異を無効化するかのような、私のこうした物言いは、それが他者の生へのまなざし(リスペクト)という文脈から別のところにすり替えられるなら、すなわち、私自身の「日常的な」生存において「他者の排除」をともなってなされる支配的な社会秩序への無抵抗・従属(そして同一化)の正当化という役割を担わされるならば、たちどころに欺瞞的なレトリックに変質することを、忘れてはならないだろう。
そのことを私に教えてくれたのは、もうひとつの映画『空っ風』を見た体験だった。


この映画では、大阪千里丘陵のマンモス団地を舞台に、大手開発企業による脅迫的な「立ち退き」要求の暴力に対して、あくまでそれを拒んで居住し続ける住民たちの姿が記録されている。
すでに団地のほとんどの住民は立ち退いていて、その人々からの無視や嫌がらせのようなことも、この人たちは経験してきたらしい。大きな権力によってもたらされた、それぞれ懸命に生きる人々同士の分断が、ここにも見られたのである。
そして、カメラはまた、この(企業・行政・司法による)大きな暴力のさなかで、住民と弁護士、そして撮影する人たちとの間にも齟齬や衝突が生じ、次第に混迷を深めていく経緯をも映し出していく。
そこには、映画の技法上の問題点もあったと思うし、また撮影にあたる人たちの身の処し方、当事者である住民たちとの関わり方についても、さまざまに議論することが可能だろう。
だが、それよりも私は、この映画を見て、ときに撮影されることや「抵抗」を継続することを拒んだり躊躇する当事者たちに対して、あえて「介入」していこうとする撮影スタッフの姿に、いくらかの反感・不信感や「抵抗」感を抑えられない自分自身のことが、気になったのだ。
たしかにそれらの行為には、批判される余地があったかも知れない。
だが問題は、そうした客観的な批判以前に、私がこの映画に対して「距離」をとることができず、そこに描かれている「介入」の様子に対して反感を抑えられなかったということだった。


私は、自分の過去の体験から、このように「積極的な行動」を促されて他人から「介入」されることへの強い反感や警戒心を持っており、その感情が、私にこの映画に描かれた出来事への反発を惹き起こしたのだと思う。
それは、こうした「支援者」(この映画では、撮影者たちは同時に住民への支援者としても振舞っている)の行動が、弱者である当事者に対する、一種の暴力ではないか、という反感である。
その当否は、ここでは分からないが、言えることは、私のこうした反感には、「介入」を嫌う自己防御的な心理から出た、情緒的な反応が含まれていた、ということである。


この場合、私は、自分がそこに安住している(と考えている)「生活空間」から、私自身を引き離すものとして、こうした「介入」を捉え憎悪しているわけだが、その「被害者としての私」を、映画に出てくる「当事者住民」の姿に投影し、この「生活空間」への介入者としての「支援者」(運動家)たちを憎悪していることになる。
そして、この「生活空間」から自分を引き離そうとする者たちを、「生活空間」の外へと排除しようとするのだ。
それは、ひと言でいえば、「抵抗の排除」である。


さらに言えば、こうなる。
『空っ風』で描かれていたのは、いくらかの齟齬や行き過ぎはあったとしても、やはり人々のぎりぎりの「抵抗」の姿であった。
その「抵抗」の姿、『中村のイヤギ』とは異なって、ここでは明示的となったその権力と秩序への「抵抗」のあらわな姿こそが、私を、いま現在の「生活空間」から引き離しかねない脅威と感じられたがゆえに、私は、それを憎悪したのではないか?
だとすれば私は、『中村のイヤギ』に描かれていたような、明示的ではない抵抗については賛美しながら(その賛美によって、その抵抗を無害化さえしながら)、一方で明示的な抵抗については、それを排除しようとしていたことになる。
ここには、「行政=統治」(権力)による「抵抗/無抵抗」の二分法(分断)とはややタイプの異なる分断、すなわち、明示的で明確な抵抗者たちと、日常のなかを懸命に生きる、しかしその生存そのものにおいてなにがしか反権力的でもあるはずの明確ならざる抵抗者たちとの、ひそかな分断と排除の仕組みが働いていると言えるように思う。


私は、このようにして、「抵抗者たち」(この国の近代史において、誰がそう呼ばれたか考えてみよ)を、私の生活空間から排除しようとする。
不幸にして、あの団地の多数派住民たちが、残留した人々をそうするように仕向けられたように*2
「抵抗者」たちのこの排除によって、私の生活空間は、たしかに守られるかもしれない。
だが、その場所は、ほんとうに私の場所だろうか?
この生活空間は、元来私ならざる人々(他者)と共にあることで成立していたものであり、その人々を排除してしまったことによって、そのとき私は生きた場所としてはその空間を本当は失ったのではないか?
むしろ、いま私たちが生きていてなおも(排除によって)守ろうとしているこの場所は、この排除の果てに私たち自身を閉じ込めている、冷たい他人の空間に他ならないのではないだろうか?


いや、むしろこう問うべきかもしれない。
われわれが「抵抗者」としての他者を憎悪し、排除しようとするのは、むしろその他者たちの存在こそ、われわれが本当はそこで生きていることを自覚する(選ぶ)べき空間を、われわれの生の現実をわれわれに教えてくれる存在だからではないだろうか?
われわれが今日もそのなかで生きているわれわれの「故郷」は、常に(権力との)抵抗と闘争に満ちているからこそ懐かしく愛しいのだということを、この「抵抗者」たちの姿と声こそが、私たちに知らせているのではないか。
『中村のイヤギ』のラストシーンで、作り手(と共にわれわれ)が受け取った「バトン」も、そのことに関係しているように思うのである。

*1:いや、これはあくまで想像だが、これは単なる「言い換え」というようなものではなく、日常のなかで実践される本物の「抵抗」の思いが込められた言葉なのではないだろうか?。ただ、その日常的な実践に、私自身を含めて、われわれの(制度的な)言葉の方が追いついていない、ということではないか?

*2:ここで隠される核心のものは、おそらく人々の内心のひだのようなものであり、とりわけ排除と被暴力によるぎりぎりの場所に立たされたことで、抵抗を続ける住民たちが垣間見せることになったその極限的な優しさと誇り高さを、映像に刻みつけたことこそ、この映画『空っ風』の、最大の功績であり美しさであると言うべきだろう。そのもっとも忘れがたい場面のひとつは、80歳を越えてなお抵抗を続ける住民の男性が、「抗議してその場で自殺することを何度考えたか分からないが、そんなことをするより、生き続けて、この事実を多くの人たちに知らせたい」と語る場面だ。映画を撮る人たちは、こうした言葉にこそ力を与えられて、カメラを回し続けたはずである。