『金時鐘 ずれの存在論』

 

 

 

本書は、韓国の哲学者であり運動家の李珍景が、詩人金時鐘が生涯にわたってつくってきた数多くの詩を読み解きながら、思想を展開したものである。眼目はあくまで金時鐘の個々の詩の綿密な読解であって、著者の思想はその工程のなかで形成されていったものだといえよう。だからこれはまず、詩論として読まれるべき本だ。

しかし、筆者である私の力量不足のため、ここでは思想の展開のみを(それも、数多い論点の中から、特に私の関心をひいたものだけに限定して)追う形になるであろうことを、あらかじめことわっておきたい。

だが、そうはいっても、著者にとって金時鐘の詩を読み解くことは、次のような行為であったという。

 

『このような経験のなかでわたしは知ることとなった。詩を読むということは詩に巻きこまれることであり、詩人の霊魂に捉えられることである、と。それは詩人が投げかける謎に巻きこまれ、詩人の言葉に導かれ、闇のなかに入りこむことだ。その闇のなかで道を失い、手で見て鼻で聞き、手探りで出口を探すことだ。自分が生きてきた親しみのある世界の外へと出ていく門を探しもとめることだ。詩とともに、詩のなかで、自分の他者になることだ。(序 p008)』

 

著者は、金時鐘の詩と格闘しながら読み解くことのなかで、自身の生をこの詩人の生と響き合わせて、思想を深めていったのではないかと思う。

たとえば、「詩人にやってくる詩はどこからくるのか?」と題された第一章の初めのところでは、有名な作品「化石の夏」が引かれたあと、次のように語られるのだ。

 

『でもだれか諦念した人が一人いたということが、諦念するなにかがあったことを知らせてくれる最小の痕跡なのであれば、その諦念のなかになんとか残った望みは、その諦念によってなにかを呼びだしうる最小の磁力のようなものだ。それは存在を持続できる最小値であるがゆえに、最大値へと昇ってただちに消えてしまう声とは逆に、ひょっとすれば最大の時間を、「化石」をめぐる地質学的時間を耐えて存在を持続するというような時間ではないか?わたしもそのようにもうひとつの石になりうるならば、石のなかに隠れてだれかを待つ小さな秘密でありえたならば・・・・。(p028)』

 

この最後のセンテンスで、著者は自分の生の切実な願いを、金時鐘の詩に込められた(と著者が捉えた)詩人の生の姿勢にそっと重ねているが、その仕草は、この本全体の成り立ちを暗示するものでもあるだろう。

 

続く第二章で語られるのは、その詩人の「生の姿勢」についてだ。

 

『かれの生を少しでも覗いたことのある人であれば、かれが書いたもの以上にかれが生きぬいたものが詩であったことを簡単に首肯できる。私にとってそれは実に驚嘆すべき詩であった。この驚嘆が、時代精神に逆らい、詩に対して「真実性」を述べ、詩を述べねばならないと要求する田舎者の愚行を行なわさせる。真摯に聞いたとしても過去の時間のなかに押しやってしまいがちな馬鹿みたいな要求を、この軽々しく足早なシミュラークルの時代に繰り返させる。ひとり、心のなかで繰り返させる。(p83)』

 

著者は、このような詩人の生の姿勢を「生の真実性」と呼ぶのだが、さらに、生の真実性とは「存在を賭けること」に他ならないと断言する。そして、こう述べる。

 

『存在を賭けることは死ではなく生を賭けることだ。生自体を賭けることだ。生を賭けることは生きている時間の持続を耐えぬくことであり、その持続する時間のあいだ近づいてくるあらゆる事態を耐えぬくことだ。生を否定しようとする多くの反動的な力に立ちむかい、生を押しひろげることだ。(p084~085)』

 

このことについては、最後にややくわしく論じることにしたい。

 

長編詩『新潟』を論じた第三章では、存在論という著者の最も重要なテーマが、姿を現わしてくる。

ここで著者が構想する存在論における「存在」は、ハイデガーのそれとは全く違う。

李珍景の考える「存在」は、規定されることに抵抗し、同一性への包摂を不可能にするような「力」として存在者にやって来るものである。それについて、ファノンを引きながらこのように述べられる。

 

『かれが述べる存在論という言葉を深刻に受け止めるならば、存在論とは黒人という規定に対して、「そこにはわたしがいない!」と言うことから開始する抗議として始まる。存在とはこのようにして或る対象的規定性を消しさる力であるという点で未規定性であり、それと異なる規定性に向かって開いておかせる力であるという点で無数の規定可能性だ。(p101~102)』

 

『ファノンだけであろうか?皇国少年という存在規定、在日朝鮮人という存在規定、共産党員や総連活動家という存在規定について金時鐘もまた「そこにはいつも私がいないのである」と言ったのではないだろうか?存在はつねに或る規定に抵抗する「そこに-いない」を通して、ひとつの規定のなかに閉じこめる同一性に対する拒絶の沈黙を通して述べる。このような点で存在論はあらゆる規定に対する抵抗であり、あらゆる「そこ」を抜けでる離脱であり、あらゆる同一性を横断する運動だ。(p102)』

 

そして、こう宣言される。

 

『存在者たちの世界から存在自体に向かって目をむけ、自分の生を変えていこうとする思惟を存在論だというならば、存在論とは拒絶された者たちのものだ。(p153)』

 

この一節は、本書を読み進めていくうえでの鍵となるものだろう。

 

続く第四章では『猪飼野詩集』が論じられるが、そこではまさに、支配的な外部の集団から差別や同情の対象として眼差しを向けられ規定されることを拒絶する、「猪飼野」の人々の抵抗する生の在り様が表現されていると思われる。

ただ、この抵抗の力は、金時鐘の詩においては、ある独特の積極的な形態をとって現われていることを、著者は強調する。それは、(「傷」に対比されるものとしての)「痣」という形においてである。「これらの詩では人々の傷が表現されている」と言う代わりに、「これらは痣の記録だ」と、著者は言うわけである。

 

『『猪飼野詩集』は笑いながら書いたいくつもの痣の記録だ。(中略)痣と傷の差異は心との関係にある。傷は心に貼りつき剥がれないものであり、痣は心に貼りつかないものだ。傷が心に貼りつく衝撃であれば、痣は身体に沁みこんだ衝突だ。傷は感情や心を引きこんで離してくれない。自分の心も、他人の心も、フロイトが述べたように、自分の傷に捕えられるとき、心の動きはその傷に固着する。固着した心は症状的行為を生みだす。(中略)傷とは外部とのぶつかりや衝突を、「かれら」がわたしに加えた「加害」としてのみ表象する被害者の言語であり、そのぶつかりのなかで自分をつねに一方的に「被害」の身体的無力性のなかに閉じこめる感情の記憶だ。(p234~p235)』

 

『傷と痣が異なるように、傷が心に貼りつくように、怨恨や憎悪は対象に貼りつく。(中略)怨恨と憎悪は対象に貼りつくだけに、私自身にも貼りつく。対象とわたし、「かれら」とわたしが相異なる関係のなかで再び出会う可能性を極小化し、わたしの存在理由を「かれら」の否定と同一視することになる。(p237)』

 

つまり、「傷」というメタファは「怨恨」や「憎悪」と同様に、心に結びつくことで、わたしの身体的な力能を(「被害者化」等の仕方によって)「無力化」し、また「極小化」(アトム化)する(著者がネット社会の現状を頭に置いていることは明らかだろう)。「傷」や「トラウマ」「被害者(化)」といったロジックがもたらす、こうした危険への(「アンチ・オイディプス」的ともいえる)批判は、本書の他の箇所でも繰り返される。

それに対して、(『猪飼野詩集』に描かれた)「痣」というものが開示してくれるのは、以下のような事実であり道筋なのである。

 

『自らを肯定する者がどうして自分をたんに無力な被害者としてのみ考えることができるというのか。一方的に行使された権力によるものであれ、避けえないままのしかかってきたものによるのであれ、痣はたんに一方的に受けた傷ではない。それはわたしがいなかったらありえない、わたしの存在がかれらにぶつかっていった出来事の痕跡でもある。痣はそのように覆いかぶさってきたものに対してわたしもまたぶつかってやるのだと、その力を耐えぬいて、それをもってその力に対して或る摩擦力を、意図があろうがなかろうが、ある抵抗の力を行使した結果だ。そのような抵抗の力がないならば、ぶつかることもなく、痣もない。痣はかれらがわたしに押しはいってきた力の痕跡であるが、それと同時にわたしがかれらにぶつかって耐えぬいた、あるいはぶつかっていった力の痕跡だ。(p241~242)』

 

著者の言う「痣」や「笑い」が、差別や無力化の陥穽をはねのけ、生を肯定する力の表現であることは明白だろう。

 

第五章における『光州詩片』の読解と論述は、本書の白眉とおもえるほどに見事なものだ。

そこでは、『光州詩片』の構成に沿って、まず出来事以前の「事態」としての光州事態の表現、次いで詩人のきわめて特異なやり方によるその「出来事化」が、綿密な読解によって論じられた末に、流れゆく「褪せる時間」のなかに詩人によって凝結されて「襞」のように埋め込まれたその出来事が、政治的・軍事的暴力による抑圧と、日々の忘却の力に抗して、いかにして『こともなげな』私たちの日常を、いや、この「世界」を揺さぶろうとするかが語られる。

 

『そこから始めるのだ。すべて消してしまっても消しえない或るもの、褪せた時間のなかに消されないまま隠れているもの、闇のなかの影、そのすべてを率いる凝結された感応、おそらくそれは「花弁/一つ」のように小さい、或るものだろう。消せば消すほど凝縮され小さくなった、しかしそれであるだけに鮮明で赤い花弁であろう。それを捉えるくもの巣を「にびいろの眼におそい朝をにじませて/ゆれるともなくたわ」ませる、或る力が始まる小さな点なのだろう。(p325)』

 

『光州事態を出来事化するということは、その関係を切らずに持続するためだ。新しい関係をつくりだすためだ。死者たちによって生者たちが新しい生を生きねばならない。そうすることをもって死者たちは生者たちの生のなかで生きつづけることになるだろう。生者も死者も「生かされた」生ではない「生きる」生、あるいは「生きぬく」生を生きるためのものだ。

 (中略)その出来事化の結び目は、このように冥福を祈らず、死者を冥界に送るなということだ。敢えて冤鬼にして彷徨わせようということだ。「生者」たちが闊歩するこの都市のなかを彷徨わせ、かれらをして忘れられなくさせ、そうすることをもって忘却の平穏な秩序を絶えず威嚇する、国じゅうあふれて彷徨う大気になさしめよ、それのみが冤鬼をきちんと解きほぐす方法であり、死者たちをきちんと送りだす方法だということだ。(p337)』

 

『そうすることをもって詩人は出来事にのせられてきたその闇の力を、その世界が耐えうるのかを問う。出来事のそこに隠されている石のように凝縮された悲鳴と、刀のように凝縮された怨恨を、こともなくみえるその世界が耐えうるのかを問う。かの冤鬼たちの悲鳴を、その世界が耐えうるのかを問うのだ。こともないように平和な世界とは、じっさいそれを隠し抑圧することで維持されているとあらわにするのだ。ある意味では幽霊のようで、ある意味では石のような事態の重みで安定した意味の地平を壊し、断固かつ猛烈な沈黙で、容易くつくられた平穏を壊すのだ。(p351)』

 

 

詩集『化石の夏』をとりあげた第六章では、本書の表題である「ずれの存在論」の輪郭が、よりはっきりと示される。

 

存在論は拒絶された者たちの思惟だ。拒絶されたが去りえない者たちが、その拒絶と去りえなさの間隙の困惑で、その困惑を耐えて存在せねばならない場所で、抱えることになる思惟だ。拒絶の距離を置いて見ている他人たちの視線にたいして、「知られていなかった者」としての自分を見る視線であり、かれらの視線がつくりだす「対象」と、その視線が見ることのできない自分の「存在」のあいだの間隙を見る視線だ。(p356)』

 

『ふたつの世界のずれを受け入れるということは、ふたつの世界すべてが簡単に投げ捨てることのできない自分の一部であることを受けいれるという意味だ。(中略)ずれはあちこちにあるが、ずれに対する存在論的思惟はそうではない。その思惟とは、そのずれを耐えて存在しようとする者の思惟だ。(p363)』

 

 

『失くした季節』を論じる最後の第七章では、とくに時間というテーマに重点が置かれる。

著者は、この詩集の作品に書きこまれた、流れ去る「この世界」の時間に抵抗するように詩人を(そして読者を)見守りつづける「沈んだ時間」の重要性について論じる。

 

『沈んだ時間はその光り輝く時間の陰で口を開いたまま存在を持続している。きっと沈めた者を見守っているのだ。だからといって特別な目的や期待を持って見守っているのではない。そこに存在しつつ、ただ見守っているのだ。沈めておいた者の視線とぶつかる「いつか」を待って、口を大きく広げて。(p449)』

 

ここでいう「沈んだ時間」とは、日常の「この世界」を生きるわたしたちの外部に存在するものだ。こちらを「見守っている」その眼差しは、『ただ凝視しているだけの言葉なき受動性』(p460)とも書かれるが、私には、それは死者の目線のように思える。それは常に「沈めた者」を、つまりこの世界の日常を「こともなげに」生きるわたしたちを見守っている。

ただし、その「受動性」は、決して消極的なものでも無力なものでもないことが重要だ。

著者は、靖国神社の祭祀によって呼びだされるものが、『現働の現実を変える過去ではなく、それを強化し保存する過去』(p468)だと批判した後、次のように書いている。

 

金時鐘のように止まった時間を持った者たちは、これと反対に「過去的な」理由によって現実へ戻ってくることのできない者たちだ。止まった過去によって現実を生きても別の現実を生きるしかない者たちだ。止まった時間はそのように現在を変える過去であり、現実を変えるやり方で割りこむ過去だ。(p468~469)』

 

この時間(過去)は、トラウマのように人を過去へと縛りつけるものではなく、現在に介入し、現在(この世界)の変革を促す、いわば関与的で積極的な過去なのだ。それを死者に結びつけるなら、われわれの現実に変革的に関わってくる活力ある幽霊たち、とでも呼べばよいか。

 

 

最後に、先に述べたように、第二章での「存在を賭けること」の議論について、私見を記しておきたい。

もう一度引用する。

 

『存在を賭けることは死ではなく生を賭けることだ。生自体を賭けることだ。生を賭けることは生きている時間の持続を耐えぬくことであり、その持続する時間のあいだ近づいてくるあらゆる事態を耐えぬくことだ。生を否定しようとする多くの反動的な力に立ちむかい、生を押しひろげることだ。(p084~085)』

 

また、こうも書かれている。

 

『「存在を賭ける」ということは、命を賭けるのではなく最善を尽くして生きることだ。死にむかって先駆するのではなく、むしろ死んだほうが楽なような状況のなかでも最善を尽くして「生きる」ことだ。生きるために甘受せねばならない苦痛を耐えぬき、生きつづけることであり、行動しつづけることであり、存在を持続しつづけることだ。(p89)』

 

このような著者の言葉の背後には、1980年代初めからの著者の運動圏での体験が濃い影を落としていることは、訳者のあとがきで述べられている通りなのであろう(そもそもこの作品が書かれた背景には、訳者をはじめとする人々による金時鐘の詩の翻訳という困難な作業のあったことを、ここで付言しておきたい)。

そのうえで私が思うのは、著者の立場は「生命」に原理的な価値を置き、いかなる場合でも「死」という生の行為を否定するというところには無いはずだ、ということである。著者の真意は、あくまでも「生を否定しようとする多くの反動的な力」への抵抗ということであって、何らかの「弱さ」(あえて、こう言うのだが)ゆえに死を選ぶということまで否定することにはないだろう。実際、著者が大きな影響を受けているというジル・ドゥルーズ自死を選んだことを、私は想起している。

上記の文章は、「耐えぬく」強さへの称賛ではなく、「耐えぬく」ことを貶めたり困難にする諸力への怒りの表明として読みたいのである。