『泥棒日記』抜粋・皮肉さについて

スティリターノという人間の鋭い性格は、心臓を刺し通す短剣、というイメージにこのうえなく相応しかった。悪魔の力、その我々に対する威力は、悪魔の皮肉さにあるのである。悪魔の魅力は、あるいは、我々に対するその冷淡さにほかならないのではあるまいか。世間的道徳の掟を否定した際のアルマンに見られた激しさは、アルマン自身の力を証明すると共に、彼に対するそれらの掟の強大さをも証明していたのだ。ところがスティリターノのほうは、そうした掟に対してただ薄笑いをもって対するだけだった。彼の皮肉さは、わたしを浸蝕(しんしょく)するものだった。
(ジャン・ジュネ泥棒日記朝吹三吉訳 新潮文庫版p403)