ジョン・セイルズの二本

正解はこれ

「ニューヨーク論」でレジュメを書かないといけないという友だちがいて、ネタになりそうな本はないかということだったので、カフカの『アメリカ』を勧めた。ニューヨークははじめの部分にしか出てこないのだが、当時の(ヨーロッパから見た)「アメリカ」の姿がよく描かれている、と思う。
移民の少年が船でニューヨークの港に着いて、だんだん内陸に入っていくという話。書き出しの「自由の女神」の描写で、なぜか女神が剣を手にしていることになっているのが有名だ。これについては、色んな解釈がある。
カフカアメリカに行ったことがないのだが、興味を持って雑誌などを集めていたことはよく知られている。あの小説は、ほんとに「見てきたように」書いてある。カフカらしいところだが、もっと長生きしていたら行っていただろうか。


後になって、ニューヨークを題材にした印象に残る映画があったのを思い出した。
それは、ジョン・セイルズという監督が撮った『ブラザー・フロム・アナザー・プラネット』という映画だ。
今日はそれともう一本、同じ監督の『リアンナ』という作品のことについて書きたい。


この二本の映画は、もう十数年も前にビデオで見た。セイルズは、当時はアメリカのインディペンデントの世界を代表する社会派の若手監督ということになっていて、ずいぶん硬派の渋い映画を撮っていた。そのなかの何本かをビデオや劇場で見た。その後、日本に来て『ウンタマギルー』という映画に、沖縄にいる米軍の将校の役で出演し、今ではハリウッドに進出して作品を作っているようだ。ハリウッドに行ってからの映画は見ていない。


最初に断っておくと、『ブラザー・フロム・アナザー・プラネット』も『リアンナ』も、じつはもう作品全体の内容は忘れている。ただ、ある場面だけがやけに印象に残っているのだ。
しかも、どちらもDVD化されてないらしいので、日本で見ることは難しいだろう。これを読んで関心を持った人が、現物に当たって内容を確かめてみることも、作品を鑑賞することもできない。だからこの文章は、作品紹介としてはあまり意味をなさないかも知れない。そのつもりで読んでください。


さて、『ブラザー』の方だが、主人公は指をかざしただけで人の傷を治したり、機械を修理したりできる超能力を持つ異星人である。見た目は人間と変わらない。この役をアフリカ系アメリカ人(黒人)の俳優が演じている。ちょっとしたSFなのだが、人種差別などがテーマの社会的な作品だと思ってよい。
紹介サイトで見ると、この異星人は「実は逃亡奴隷」と書いてある。そうだったのか?それも覚えていない。ともかく、この異星人がニューヨークのハーレム地区にやってきて、色々な体験をするのである。
それでぼくが覚えている場面。ニューヨークにエリス島といって、昔移民にやってきた人たちが最初に上陸して集められる、移民局のあった島があって、いまはそこが博物館になってるらしいんだけど、石の壁や貧しい移民たちが審査の順番を待った長椅子などが、当時のままに残っている。移民の人たちにとっては、この移民局の審査をパスできるかどうかが、たいへんな難関だったらしい。悲しい歴史が堆積している空間だ。
主人公の異星人が偶然この場所に来て、手のひらを壁や長椅子にかざすと、人々の悲鳴や悲しそうな声が聞こえてきて、主人公がひどく怖がる。そういう場面である。
掌をかざすと故障して止まっていた時計の針が動き始める、それと同じように、壁や長椅子に封じ込められ凝固していた時間がよみがえり、主人公に迫ってくるのだ。
この場面がすごく印象に残っている。


『リアンナ』のほうだが、これはレズビアンの女性が主人公である。
こちらもストーリーや人物設定をすっかり忘れている。サイトで見ると主人公は33歳ということになっていて、そこが合わないのだが、ぼくの記憶では女子校の寮みたいなところに主人公が入る。彼女は、自分が同性愛者であることに気づいているが、そのことを誰にも言い出せずにいる。
あるとき、ランドリーに居ると、顔見知りの女生徒が入ってくる。主人公はこの相手の名前も知らないのだが、どういう事情からか好感を持っていて、自分の秘密を打ち明けようという気になる。意を決して、洗濯機を回している相手に「私、レズビアンなの」と言うと、相手は顔色ひとつ変えずに「そう、わたしは○○よ」と当たり前のように名前を答える。
この二人は、それから親友になる。
たったそれだけの場面で、音楽もクローズアップなどもなく淡々と映し出されているだけなのだが、ビデオを何度も巻き戻して見るほど素晴らしかった。


他に、昔のアメリカの炭鉱労働者のストライキを題材にした『メイトワン1920』という作品もあった。
ジョン・セイルズのこの頃の映画は、気骨があって本当に良かったと思う。日本でも、もっと見られるようになって欲しいものだ。