最も破壊的な者たち

先日、森毅氏への追悼記事を書いたが、氏が好んでその言葉やエピソードを引用することの多かった人物の一人に、トウ小平が居た。
いま思うと、それは文化大革命とそれ以後の中国の政治情勢を、森氏自身が置かれた70年前後の大学闘争における状況と重ね合わせているところがあったのかもしれないと思うが、定かではない。


話がそれるが、トウ小平の言葉と言えば、もっとも広く知られているのは、『白い猫でも黒い猫でも、鼠をとる猫は良い猫だ』というものだろう。
しかし、これは実は『黄色い猫でも黒い猫でも』という表現だったことを、この本を読んだときに知った。

とう小平 政治的伝記 (岩波現代文庫)

とう小平 政治的伝記 (岩波現代文庫)

一九六二年七月七日、トウは共産主義青年団の会議に出席し、以下のような有名な演説をした。「どういう生産方式がいいかというと、簡単にしかも早く生産を回復でき、増産できるならなんでもいい。大衆が喜んでおこなえるなら何でもいい、ということだ。黄色い猫でも黒い猫でも、鼠をとりさえすればいい猫なのだ」(p163〜164)(原文「トウ」は漢字)


これはもちろん、有名な毛沢東の「大躍進政策」の失敗をうけて、トウや劉少奇が主張した「生産力第一主義」、後に「走資派」の呼び名で批判されることになる考え方をはっきりと述べたものだ。
これは、社会主義所有制という目標の実現のためにはまず物質的生産力の増強を先行させるべきであるという、マルクス主義の「公式」にもとづいた主張なのだが、今日からみると、そこには毛が目指した理想への「暴走」を、こうした「公式」的な考え方を持ち出すことによって抑制しようという意思があったのではないかと思う。
つまりこの時代の中国では、あるべき未来に向かっての政策決定において、マルクス主義としては非「公式」的な考え方である毛の路線が、無誤謬であるかのように崇められて支配しており、それをけん制するには、「公式」をレトリックとして持ち出す必要があった。
そのようにも考えられる。


さて、森毅に話を戻そう。
彼がトウの言葉として紹介したもののなかで、ぼくがよく覚えているのは、こういうものである。
『政策決定において目の前にA、B二つの選択肢があるとき、自分は無条件にAを選ぶ。というのは、どちらが良いかと迷っている暇がないからだ。ただし、それが間違いであると後から分かったときのために、いつでもBに切り替えられるよう、常に準備をしておく。』


ここに示されているのは、未来への予測(政策決定)において、人は常に間違いうる、という認識だろう。
どちらかを選ばないわけにはいかず、しかも躊躇したり悩んでいる時間もないので、とりあえずどちらかを選んで実行するにしても、それが間違っている可能性は常にあるのだから、大事なのはその時迅速で的確な修正を行うということであり、そのための準備を決して欠かさない、という態度である。
またこの「準備」のなかに、ある選択をしたことで生じる被害(「犠牲」ではない)を最小限に食い止めるための努力も、当然含まれるはずだ。


「正しい」と考えられる理念や政策でも、それが間違っているという可能性は常にある。
その可能性が存在しないかのように自ら思い込まざるをえなくなったとき、またそのように人々に思い込むことを強制するようになったとき、その社会は悪しき全体主義に向かって突き進みつつあるのだといえる。
そうした社会においては、ある選択の結果生じた(死者などの)被害は、その事実が隠蔽されたり、もしくは現実感がさまざまな仕方で薄められたりする。
その「仕方」のひとつは、その死や苦しみが「犠牲」という名のもとに美化されたりすること、あるいはそれが自然淘汰のような「やむを得ぬ死」、もしくは「妥当な死」のように考えられることである。
それは、政策を実行している者や、それに参加したり協力することで勝ち残っていこうとする者たちの内面に対しては、自分が関わっている政策の結果として日々生じている悲惨を、現実のものとしては感じないようにするという機制を働かせるものなのである。
こうした現実感のいわば意図的な放棄のゆえに、もっと的確な言い方をすれば、そういう過酷なものが自分にとっての「現実」であることへの忌避の欲望のゆえに、この「理念」なり「政策」なりの誤謬可能性ということ、またそれが(結果的にはより正しい政策と言えても)必ず「被害」を生むということへの認識を、つまりはまさしく「現実的な感覚」というものを、これらの人々は持てなくなってゆく。


毛沢東の理念の根本的な意義を認めるとしても、それに対置されるトウの政治的態度からわれわれが学ぶべきことは、こうした全体主義への暴走をけん制する「現実的な」感覚であり、そして「現実的」という言葉が積極的な意味を持ちうるのは、ここにおいてこそだと思う。




ところで、とりわけ小泉政権以後の日本の経済政策には、自分たちが「正しい」と考える政策が「間違っていた」と分かった場合のことを考えようとしない、むしろそういう事態が起こりうる可能性から頑なに目をそむけようとする意思が強く感じられる。
「改革」は、その結果にそれなりに(毛やスターリンが約束したように)「明るい未来」が約束されているとしても、その過程では、多くの悲惨を生む。しかも、その約束が果たされるという保証はどこにもない。
もちろん、それと別の選択肢を選んでもその点に基本的な差はないのだが、大事なことは、生み出されていく現在の悲惨や、起こりうる将来の悲惨に備えて、つまりさまざまな段階での「予測」の「誤謬」に備え、あるいはその必ず生じるであろう被害に対処して、その被害を最小に抑える準備と工夫を怠らないということのはずだ。
それ以外に、「現実的」な政策遂行の態度というものはありえない。
ところが、実際に行われている改革のあり方は、そうした準備や工夫を、例えば失業や貧困に対する保障や、現在の格差の解消のための手立てといったものを、否定してしまうことを、その本性のようにしている。
つまりこの改革は、道が間違っていたと分かったときに引き返すための橋を、自ら焼き切りながら進められようとしているのである。
そうする理由は、橋が残っていると、自分たちが間違える可能性もある道を進んでいるのだという事実に、気づいてしまうことがあるからだろう。
そうした認識は、人々を未来への予測の不可能性という現実にさらして不安にするという以上に、自分たちが振るわざるをえない、そして現実に振るっている暴力に人々を直面させる。
人々は、それから逃れようとして、なおさら「理念」のなかに閉じこもって現実の悲惨を感受しないふりをするのだが、最悪の暴力と破壊は、実はこの現実(に対する自己の関与)の否認を通して拡大していくものなのである。
自己の現実との関わりの実感を破壊する人以上に、破壊的な人間はいないのである。


新自由主義が、かつてトウがけん制しようとしたもの、毛沢東の政治(トウ自身が、その遂行を中心部で担ったのでもあったが)のなかの最悪の部分に、極めてよく似ているのはたしかなことだ。
その兆候は、自分たちの政策がもたらす被害の深刻さへの否認と、その予測の無誤謬性への信仰に、はっきりと現れていると思う。