西成の状況(情報とアピールを追加しました)

13日に続いて14日も行われ、現在に至っているという大阪西成署前での警察への抗議行動と警察の対応(放水や消化剤の散布など)、衝突(もみあいや投石など)、またここに至ったいきさつが、生田武志さんのホームページに詳しく書かれています。


http://www1.odn.ne.jp/~cex38710/thesedays13.htm


追記 生田さんの上記の文章ですが、15日にあらたに加筆されています(写真も多数リンクされてます。)。
また、「釜パト活動日誌」さんにも報告等がアップされてましたので、追記しておきます。
http://kamapat.seesaa.net/article/100520737.html

http://kamapat.seesaa.net/article/100589547.html


追記2 15日現在、現場がどういう状況になってるかは、分かりません。
ぼくとしては、労働者の人たちの、西成署に対する抗議の意思と行動を支持します。
西成署は、とりあえず発端となった署内での暴行の件について、この人たちが納得できるような調査・説明、事実であれば謝罪を行うべきだと考えます。
また、今回の衝突に至った責任の多くを、警察は負っていると考えられます。
下記の生田さんの文章にあるようなことを踏まえて、この地域での警察行政のあり方をただし、労働者をはじめこの地域の人たちを人間として正当に扱うようにすることが、地域全体の治安の安定・安全を真にもたらすものでもあると考えます。
人権や人命が軽視されるところに、真の安全や安定などあるはずがないからです。


(以下、生田さんのホームページから転載)
http://www1.odn.ne.jp/~cex38710/thesedays13.htm

釜ヶ崎日雇労働者は、「日雇い労働」という労働形態のために常に貧困に直面し、さらに野宿、路上死、襲撃などの問題に直面してきた。
今回、西成署に集まった労働者の多くは、自身や友人・知人が西成署に受けた暴力や差別を体で知っている。(寄せ場ではよく知られた話だが、西成署の警官は釜ヶ崎労働者のことを「450」(ヨゴレ)という隠語で呼ぶ。今でもそうかどうか知らないが)。その抗議に対して、西成署は謝罪はおろか、話し合いをすることもなく、放水、消火剤噴霧、そして再びの暴行で応じている。
きっかけは今回の暴行事件だが、すでに西成署の長年にわたる釜ヶ崎労働者への差別・暴行、そして今回の対応に対する直接の抗議へと変化している
いま、釜ヶ崎には多くの若者が集まっている。報道は、若者を「野次馬」と呼ぶ。だが、90年暴動でもそうだったように、「これは自分の問題だ」と直感して駆けつけてきた若者も多いはずだ。


1990年10月の釜ヶ崎暴動は、西成署刑事が手入れ情報と引きかえに、暴力団から1000万円以上の現金を受け取っていたことから起こった。また、1961年の暴動は、交通事故で負傷した労働者を放置した警察への抗議から広がった。
数々の暴動は、西成署の釜ヶ崎労働者への差別・暴行、不祥事に対して労働者が抗議を行なうことから始まっている。しかし、過去、常に西成署は自分たちの過ちを労働者に対して謝罪することなく、むしろ抗議に集まった労働者を捕まえては、警察に引きずり込んで暴行を加えていた。
西成署は、同じ事を繰り返すつもりなのだろうか?