生命のナショナリズム

このエントリーは、『竹内好「近代の超克」その1』から『その3』までに続くものです。

竹内ナショナリズムについての批判的仮説

きのうまで書いてきたことから、竹内好が主張するナショナリズムの性格について、さしあたっていくつかの特徴を指摘できるのではないか、と思う。ただしこれらは、あくまで仮説である。


ひとつは、このナショナリズムは「闘争的」であるということであり、それゆえに戦争や暴力を条件付で容認する面がある、ということだ。
これは本質的にはどういうことかというと、男性中心主義的な思想である、ということだと思う。このナショナリズムにおいて、きのう書いたような「国境を越えた連帯」が可能であるように見えるのは、それは「国境を越えた男たちの連帯、同盟」という意味においてである。「国境を越えた民衆の連帯」というふうには一概に言えない。
男性中心主義的であるとはどういうことかというと、これは二項対立的な概念ではなくて、基本的にここから生じる運動は、強者の強者に対する権力闘争であり、「権力獲得」ということが第一義の目的に置かれてしまう特性を持つ、ということである。言うまでもなく、これは運動主体の性別とは、さしあたって関係がない。
「権力獲得」という目的のために、国境や民族的差異も横断可能であり、戦争を含む暴力一般も容認される可能性を持つ。
これは否定的に書いたが、このナショナリズムが強力な「横断可能性」を持つという事実の重要さは変わらない。「男たちの連帯、同盟」以外の仕方で、つまり「闘争のナショナリズム」以外の仕方で、ナショナリズムが国境を越える回路を確保できるのかどうかは、まだ定かではない。

次に、上のことと関係するかもしれないのだが、竹内好ナショナリズムの主体は、「知識人」である、という特徴がある。この意味でも「民衆の連帯」の思想というふうにそれが言い切れるかどうか、疑問が残る。
これは時代的な制約が大きいのだと思うが、竹内の場合、自分が民衆の一人ではなく知識人であるという自覚が非常に強く、そこから「民衆」という存在をやや理念的にとらえすぎるということが生じているのではないか、とおもう。そこから、日本の民衆と中国の民衆との無媒介的な同一視や連帯の可能性への言及が生じているのではないだろうか。だとすると、その連帯の可能性は本物ではない、少なくとも現実の民衆から遊離したものであるのではないか。
つまり、竹内が「日本の民衆」と「中国の民衆」とを、それぞれどのように捉えていたのか、どんな具体的な存在として見ていたのか、そこがまだよく分からない。
「同じ人間」というような人道的な視点でとらえていたのだろうか。何かそういう確固たる視点がなければ、この二つの集団を同一視する思想は出てこないと思うのだが、それがなんだったのか。
もしそれがないのだとすれば、竹内のナショナリズムが国境を越える可能性を持つとぼくに思われた理由は、彼の「知識人」としての自意識の強さから来る「民衆」像の抽象化の賜物にすぎなかった、という残念な結論になる。つまりそれは、共産主義インターナショナリズムの「観念性」を批判できない。


結局のところ、知識人竹内にとっての「民衆」の存在、日本の中国研究者竹内にとっての「中国」の存在、そういうものがまだよく分からない。
だから、竹内のナショナリズムが国境を越える連帯の可能性を持つのではないか、とぼくは書いたが、それが実際どれだけ信頼できるものか、まだなんともいえない。
ただ、もし竹内の思想がぼくが仮説として述べたような性格を持つものだったとして、この思想はたいへん力強いが、どこかで具体的な人間の生の価値を取りこぼす恐れがあるのではないか、という危惧が残る。
この危惧をはらむ道以外に、しかもイデオロギーの助けなしに、「民衆の思想」としてのナショナリズムが、インターナショナルな場へと展開していく可能性はないのか?

「生命のナショナリズム」の可能性

そこで、おととい書いた、『ナショナリズムを越えるような連帯の原理を、「生命線」論を越えるような生命重視の思想を、なぜ近代の日本の人たちが育くむことが出来なかったのか』という、ややナイーブとも思える問いかけに戻って、「もう一つのナショナリズム」の可能性に触れてみたい。
つまり、「生命線」論に対抗する思想としての絶対平和主義を、近代日本のナショナリズムが育めなかったという事実についてかんがえることを、今後へ向かう一つの糸口としたいのである。
それは、如上の「竹内のナショナリズム」を単純に否定する意図ではなく、竹内の思想のより深い優れた可能性を探ろうとする試みでもある。
ここで「民衆の思想」を論じるにあたって、ぼくが特にナショナリズムという語に拘る理由は、煩雑になるのでここでは述べない。


論文「近代の超克」で竹内は、日中戦争時の思想状況の要点として、知識人をはじめとする侵略戦争反対の思想が、「生命線」論という「民族的使命観」に対抗し得なかったということを書いていた。2005年までの状況から考えて、現在の日本人は、これを他人事のように批判する資格はない。だが、ここから素朴な疑問が生じてくる。
それは、戦争と生命線という二つの言葉がどうして両立するのか、ということである。
生命線は、生命そのものではない。生命線とは、やはり「民族の生命線」ということであって、やはり民族主義つまりナショナリズムに帰属する概念と考えてよいと思う。その地政学的・軍事主義的な表現ということだろう。だから、「生命線」論が戦争肯定の論理として機能してしまうことは、この意味では当然だ。
自国民が生き残るための資源や食料の確保のために、人を殺してよいという思想、それが「生命線」論に集約されている。それがナショナリズムの本質に属するものだとすると、ナショナリズムという思想、感情は、最終的には戦争への反対、というよりも生命の重視というところに結びつくことはできないはずだ。
つまり、ナショナリズムは、「国家=資本」が体現している、「物象化の思想」、「資材化の思想」に打ち勝てないことになる。


ただ、ナショナリズムが必ずこの方向への容認を含むものなのか、それとも日本近代のナショナリズムに何か特有の要素があったのか、そこがよく分からないところであり、関心のある点である。
よく言われるようにナショナリズムが近代の産物であり、それがかならず最終目的としては近代的な国民国家の確立に向かうものだとすれば、戦争という国家の行為に対してナショナリズムが最終的には抵抗できないことは自明であるのかもしれない。
しかしそれ以前に、ナショナリズムが別の方向をはらむということはありえないことなのだろうか。竹内のナショナリズムもまた、この方向を目指していたのだと思う。
「生命線」という言葉に即して言うと、生命線ではなく、生命そのものの重視に帰着するようなナショナリズムの運動というものも、可能性としてはありうるのではないか*1
ナショナリズムをこのように「生命」に結びつくものとしてかんがえれば、戦争や全体主義に対する「抵抗」の思想的な基盤に、ナショナリズムはなりうることになろう。


ここでもう一度、話を「闘争のナショナリズム」批判に戻す。
絶対平和主義、戦争に反対することは、自明の善ではない。おそらく、「アジアの解放」を至上命題としていた竹内にとってはそう思われた。彼の基本的な立場の一つは、「植民地解放戦争」の肯定ということである。中国の核実験成功に際しての彼のコメントは、その非常にはっきりした表れだ。
しかし問題は、そういう形で戦争を条件付で救済する思考もまた、近代的な思想に他ならず、だから最終的には(戦前においても)「生命」を否定する近代国家の戦争の論理に抵抗できなかったのではないか、ということである。
ナショナリズムが部分的にもせよ、戦争に抵抗する思想であるためには、それがどこかで生命の肯定を含んでいる必要がある。
おそらく、日本のナショナリズムには、この要素が著しく希薄であるという特殊性があったのだ。
生命を否定してまで守られるべきナショナリズムの最終目標。それは、一般的には「国家」の存在であろうが、戦前の日本の場合、たとえば「国体」という特異な概念装置があったことが知られている。

総動員体制・資本・生命

近代日本におけるナショナリズムと「生命」との分断。これを、どこまでさかのぼってとらえるべきかは、あまりにも大きな問題だ。そして、本質的な問題である。
しかし、現在に直接つながるアクチュアルな問題として考えるとき、ひとつのヒントになるのは論文「近代の超克」で竹内が書いている昭和16年(1941年)12月8日の「開戦の詔勅」の特殊性ではないかとおもう。これが、いわゆる1941年以後の「総動員体制」の特殊性ということにつながっている。
つまり、ぼくがここで言いたいのはこういうことだ。
竹内好は、太平洋戦争という「総力戦」の時代における日本の思想状況を、一言で「無思想性」に見出しているわけだが、権力の側から言うと、あの時代の体制というのは、決して無思想的なものなどではなかった。それは、岸や椎名に代表される官僚たちが作り上げた「総動員体制」という確固たる全体主義的思想の実験であった。この実験の重要な、しかし言葉としてはいくらでも代替可能な用具のひとつとして、彼らは「国体」というよく知られたイデオロギーを使用することにした。この実験の成果を携えて、彼らは、とりわけ1960年以後の日本社会の形成へと向かったのである。個人や国民自身の生命の否定の原理としての「国体」思想は、決して1945年に日本社会の中枢から消えたわけではない。ただ、呼び名が変わっただけである。


戦後のシステムと現在の状況を考えるうえで、この「総動員体制」時代のイデオロギー装置の検討は必須であろう。
そしてより長いスパンで考えれば、ここに見やすい形で現れているような、近代的な資本のシステム、それは実は国際的なものだったと思うが、それが「国体」のような既存の装置を通してナショナリズムをいかに回収していったかという、思想史的な研究は当然重要だ。
思想史に限らず、近代の全過程において、資本という国際的な力が、国家という装置をとおして日本列島の民衆の生命と感情をどのように物象化していったかという視点からの、総合的な歴史の検討が、ぜひとも必要である。
だがそれと同時に、回収されることによって失われたものが本当はなんだったか、慎重に見極められなければならない。こうしたシステムの装置に回収されなかったとき、それは現実にはごく稀にしか起こらなかったかもしれないが、日本列島の民衆の一人一人の生命が示した可能性はどんな姿をしていたのか。


要するに、「生命のナショナリズム(民衆の思想)」と、ぼくが仮に呼ぶものの領域は、資本と同様にはじめから国境を内在的に越えていたのではないか。そして資本という国際的な力が、それをさまざまな領域のなかに押し込んでいく過程が、近代史と呼ばれるものだったのではないか。
それが、2005年の状況を見ながら、ぼくが確認しておきたいと思っていることである。

*

*1:こうしたものとしてのナショナリズムを考えるとすれば、それが戦争の肯定というところに結びつくというのは、理念上は矛盾していることになる。だが、解放のための、せんじ詰めればそれは「生命の解放のための」、ということになるだろうが、闘争なのだからそれはやむをえない、という立場もあるのか。竹内の戦争肯定が、実はこの水準のものだった可能性もある。国家に回収されない「生命の解放のための暴力」の可能性。