樋口健二さん講演

日曜日に、大阪市大国町のピースクラブというところで行われた、写真家の樋口健二さんの講演会に行ってきました。
予想を大きく超える約150人の聴衆で、会場はいっぱいでした。


樋口さんのお話は、おもに1970年代に撮影された、原発の現場や被曝労働者の写真を映しながらの語りでした。
「これは、たんなる過去の事柄ではない。過去を知らなければ、現在は分からない」とおっしゃっていましたが、本当にそうだと思いました。ここに記録された「過去」について、私たちは一度も知ったことはなかったのですし、その過去を清算することもまったく出来ていないわけですから。
今では日本だけでなく、国際化した原発(核)産業のネットワーク。そして、原発事故は収束のメドなどまったく立っていないにも関わらず、首相自ら原発を海外に売り歩く今の日本の政治。
被曝労働についての裁判は、被害者が勝訴したことは一度もない。なぜなら、国ぐるみ、司法ぐるみで、それを潰しにかかるから。講演では、そのさまざまな手口についても詳しく語られました。


一つだけ、印象に残ったことを書きます。
出来て間もない頃の福島原発に、浪江町の農民たちが総出で働きに来ていた。その人たちに樋口さんが、「どうですか、原発が出来て」と聞くと、人々は「こんなにいいことはない。だって、出稼ぎに行かなくていいのだから」と答えたそうです。
それを聞いて、樋口さんは、後年に起きる悲劇が予想出来たと言います。「農民が、農業を忘れたら終わりだ」、と。
そして、樋口さんは、「私も農民のせがれなのです」と言い、「だからこそ、彼らの気持を代弁したいのだ」と言われました。
原発は、ただ被曝労働や原発事故をもたらしただけではなく、その存在によって、人々(農民)の生活を、深いところで破壊したのでしょう。
樋口さんの「農民のせがれ」としての怒りは、そのことにも向けられていたように思います。


樋口さんは、「被曝労働に就こうとする人は、生活の為だというが、生活と命とどちらが大事なのだと言って、自分は止めるのだ」と何度も言われていました。働く者がいなければ、原発は止まるのだ、とも。
これは、個人が別の個人にいう言葉としては、真っ当であると思います。
でもそれでも、生活の為、生きる為に被曝労働に向わざるを得ない人は、いなくならないでしょう。もし日本の中でいなくなっても、他の貧しい国から、日本政府と国際資本は、労働力を調達するはずです。
これは、そういう仕組みが出来上がっているから、そうなるのです(もちろんこれは、必ずしも原発に限らない問題です)。
この仕組みがある限り、被曝労働に就くことによって、「生きる為に命を縮める」という倒錯した道を選ばざるをえない人たちが、出続けることになります。それは、上に書いたような「生活」の破壊ということの、もっとも露骨な姿だともいえるでしょう。
この仕組みこそが、非難され、廃絶されなければならないものです。
そして、その仕組みを支えているのは、原発の存在を許し、国家と資本主義の暴走を許している私たち自身でもあるのです。