「面会拒否」は橋下の方である

こういう論調が出てくることは予想できたが、これがこの国のレベルかと、ほんとに情けなくなる。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130524/waf13052411210009-n1.htm


元「慰安婦」の人たちは、たいへん高齢であるにも関わらず、何度も来日されて日本各地で証言集会などを行なっておられる。
その理由はもちろん、日本が過去にこんな反人道的な行為を行なって、この人たちに多大な被害を与え、今日にいたるまで謝罪も補償もしていないからである。
そのために、この高齢の人たちは、加害当事国である日本に幾度となく足を運んで、自分の過酷な被害体験を大勢の前で語らねばならないことになっているのだ。
多大な迷惑をかけているのは、元来、日本のわれわれの方なのだ。
まして、わざわざ大阪市役所まで来なければいけなくなった理由は、昨年から繰り返されてきた橋下の暴言であり、日本社会とメディアが、それを容認してきたがためである。あえて付け加えれば、橋下が市長をつとめる大阪市の職員も、明確な内部批判は難しいとしても、その責任の一端ぐらいは感じるのが当然だろう。
「面会が決まってから2週間近くあった。発言に傷ついたというのであれば、もっと早くに言うべきだ」などということを、もし本当に職員が言ったのだとすれば、性暴力の被害者や犯罪被害者に対しても、こういう考え方であるのか、市の人権感覚を疑うとしか言いようがない。


今回の面会に関して言っておきたいことは、まず昨年、橋下の暴言に怒った金福童さんが面会を要求したが橋下はこれを拒絶し、長旅を終えて帰りの飛行機に乗る直前になって(つまり疲労を考えれば、会うことは事実上無理な段になって)「会ってもよい」などと勝手なことを言って愚弄したという経緯があったことである。
今回の橋下の一連の発言は、昨年からのこの経緯を受けて予定されていた面会の直前になって為されたものであり、その根底には、(暴言の)被害者と正面から向き合うことを怖れる橋下の意図が初めから在ったのではないかと思う。パフォーマンスによる政治利用ということも、その逃避の一環ではないか?
いずれにせよ、「慰安婦」問題の反人道性を否定するかのような発言と、それを他の問題と軽々しく結びつけてずらしていくような行為自体が、言葉による政治的暴力といってよいものだが、その暴力を矢継ぎ早に被害当事者たちに(メディアを通じて)浴びせながら、それを謝罪することも撤回することも拒絶した。
これでは、高齢の被害当事者(日本によるだけでなく、橋下の暴言の被害当事者だ)は、疲弊するのが当然だろう。
その結果としての、最後の局面での混乱だけをあげつらって、非難するこの記事の浅ましい論調。
日本人の多くが持つ、歴史や人権、人間についての考えの浅さが、よく現われていると言うしかないだろう。
いったいどこまで、被害を受けた当の人たちに重荷を背負わせれば気がすむのだ。




挙句の果てに、当の橋下は、こんなことを話したそうだ。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130524/stt13052418570008-n1.htm


米軍や米国人には謝罪できても、肝心な人たちには謝罪しないというのも、本当に酷いが、ここでは次のことだけ言っておく。
本当に「先方の気持ちが一番」というなら、言を左右して逃げ続けるのでなく、謝罪・撤回すべきである。
元々、暴言を謝罪・撤回していない人間に、つまり暴力を反省しないばかりか振るい続けている人間に、被害者の側があえて会う義務などはない。彼女たちが面会をキャンセルしたのは、当然のことだ。
「面会拒否」したのは、橋下さん、あなたであり、今回も正面から向き合うことを回避しようとした挙句に、「パフォーマンス」という(偽装的な)形で会うという方法を選ぼうとしたのでしょう。面会がキャンセルされて、内心ではホッとしてるのだろう、と言ってやりたい。