『第9地区』

この映画を見た前日に南アフリカの歴史と現状についての講演を聞いたのだが、それは偶然。
http://d-9.gaga.ne.jp/#


この映画が作られた南アフリカ共和国は、アパルトヘイトが撤廃されて新しい国になって以後、現在年間4〜5パーセントという高い経済成長率を達成する一方で、世界でもっとも経済格差の激しい国のひとつといわれ、悲惨な貧困の状況が拡大しているそうだ。
白人と黒人の成功者たちは、「人種を越えたエリート層」を作りあげている一方で、貧しい階層の人々は大都市周辺、たとえばこの映画の舞台になっているヨハネスブルグ周辺のスラム地区で生活している。とくに、黒人の貧困状況はひどく、黒人人口の40%が失業しているという。
また、周辺のアフリカ諸国から次々と入ってくる外国人労働者は、不法移民であるゆえの低賃金のため完全雇用となり、それによって職を奪われたと感じる貧困層の人々による排斥運動や暴力事件が多発し、多くの死者が出ているとのことだ。


上の公式サイトのプロダクションノートというところにも書いてあるが、こうした事情は、今日多かれ少なかれ、どの国においても見られるものだろう。
そして、やはりそこに書いてあるように、この映画は、そういう社会の現実に関して何かメッセージを発するような映画ではないと思う。いわゆる「社会派」的な映画ではないのだ。逆に、そのように捉えてしまうと、ちょっと首をひねる箇所もある。
この映画は、そういう現実の深刻な、しかしまた普遍的な状況を題材にして、過去のさまざまなSFやスリラー映画の手法を寄せ集めた、たいへん面白い娯楽映画を作り上げた、というようなものである。
そしてその限りで、観客が生きている現実への視点を、何がしか示唆するようなところはあるので、その意味でまったく「社会派」的でないというわけでもない。


あるとき、首都ヨハネスブルグの上空に巨大な宇宙船が出現し、調べて見ると、なかには衰弱して半死半生となった異形のエイリアン(異星人)たちが、数十万という規模で乗っていた。彼らは侵略どころか、積極的に生きていくモチベーションさえ欠いているように見える。
処遇に困った政府は、何年かの間、このエイリアンたちを「第9地区」というスラムに住ませることにし、民間企業にその管理を任せてたのだが、やがて周辺住民による排斥運動が激化し、ついに強制的にそこを立ち退かせて、収容所のようなところに隔離してしまうことを決定する。
物語は、この民間企業の社員である男が、武装したガードマンのような男たちに守られてスラム地区に乗り込み(その周囲では人権団体が猛抗議している)、立ち退きの同意書にサインをさせようとしたり、応じない者に発砲したり小屋を焼いてしまったりという混乱の場面から始まる。
そのなかで、この男はたいへんな出来事にまきこまれるのである。


どういう出来事かというのは、まあSFやスリラーのファンにとっては、だいたい想定内のことだろうが、書かないでおく。
すごく面白く出来た映画だけど、いかにもご都合主義的なところはある。
たとえば、エイリアンたちは大体服を着ていないようなのだが、重要な登場人物で、「知能が高い」とされ比較的穏やかな性格に描かれ、主人公と深い関わりを持つようになる父子だけは、人間ぽい服を着ている。観客が共感を持ちやすいようにということだろうが、これはちょっと妙である。
また、最初の所で「彼らはゴムが好物」という設定が出てくるのだが、その一回限りである。これもよく分からない。
そういう感じで、よく考えると、色々突っ込みどころはある。
エイリアンには「女」も居るらしいのだが、一度も描かれていないのか、登場してても男女の区別が見た目では分からないという設定なのか、そこもよく分からない。
それとたとえば、「ナイジェリア人」の描かれ方なども、ひどいような気がしたが、どうだろうか。


そういうことはともかくとして、最後まで飽きさせないし、先にも書いたように特別なメッセージがあるわけではないと思うが、現実について何かと考えさせるところがあるので、現実からまったく遊離した仮想の世界を見させられたというような「テーマパーク」的な閉塞感も感じないですむ娯楽映画である。
スプラッタ的な場面とか、激しいところもあるので、無条件に薦めるわけにはいかないのだが、こういう作品を見慣れてる人には、いいんじゃないかと思う。
ぼくとしては、かなり高い点をあげたい作品だ。


ところで、ここで描かれるエイリアンたちの姿には、見る人によって色々なものを投影することができるだろう。
ぼくは、これはひとつには、(否定的な意味での)「老い」のイメージではないかと思った。
生老病死」という場合の、健康でなく、生産にも適さないような身体のイメージ。自分がそうなることに対する恐怖や嫌悪感のようなものが、今の社会を覆っていて、そういうものを見ないですむように排除しておきたい、人々のそういう感情の投影として、あの迫害されるエイリアンたちの形象があったのではないかと思うのだ。
ともかく、彼らの特徴は、まったく生産的でないということだろう。
その一部は、人間たちの扱いがあまりにもひどいために、粗暴化していたりもするのだが、それが組織的な抵抗という形をとることさえ全くないらしいほどに無力なのだ。
おそらくそのことのために、彼らはなおさら蔑まれ遠ざけられ、迫害されていく。


これ以上書くと、ストーリーの展開に触れざるをえなくなるので、ここでやめておく。
結末については、色々意見があるだろうが、「パート2」が作りやすいだろうということ以外に、分かりやすい部分もあり、不思議と重苦しい感じの残らないものだったと思う。
まるでサイレント時代の映画のラストのようだった。