朝鮮学校を無償化の対象に含めるかどうかの決定は先送りにして、とりあえず法律だけ通すのだという。
政府が決めることを回避して、「有識者」に「客観的な基準」を決めてもらうということらしい。
差別をやめるかどうかを、政府が決められないのか?
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100312k0000m010099000c.html
「先送り」はこの政権のおはこだが、この場合は、何かをするかしないかの決定を猶予した、ということではない。
無償化の対象から外すことを「検討している」という時点で、すでに許しがたい差別と排除の暴力を加えているのだ。即刻、こういう差別的な状況を解消するべきであるのに、それを解消することを「先送りする」のだと言う。
たとえて言うと、ある国が他国の民衆を攻撃して殺戮しているときに、今すぐ殺戮をやめよという声に対して、首相か大統領が「攻撃を中止するかどうかの決定を先延ばしにする」と表明したのと同じである。
そのような態度を続けることによって、自国と自分たちの政権の差別性を内外に知らせると同時に、だが自分たちが唱えている「無償化」という政策の欺瞞性を明かし立てているというわけではなく、自分たちがそうした理念に基づく政策さえ排除と政治的攻撃の道具にしてしまうほどに、旧来の差別的な国の体質に深く侵されていることを明かし立てている。
いや、むしろ遂行的に、日々そうした体質への同一化を深めていっているのである。彼らは自分たちの手で、自分たちが(かりそめにも)標榜したこの国の民主主義を貶め殺しているのだ。