企業の責任

先日テレビを見てたら、「派遣切り」の問題で、ある企業の経営者がインタビューに応じていて、「企業だけが非難されるのは納得できない。こういう政策をとれば、対策をちゃんとしてないと今のような状況にもなりうるということを、国は分かってたはずなんだから」といった趣旨のことを述べていた。


まあ、主観的にはそう言いたい気持ちも分かるなあと思いながら聞いてたが、よく考えると、やはり甘いというか、了見が狭いよなあ。
第一、今この問題で企業の対応を批判してる人というのは、この経営者自身が言ってるような国の政策とか、大枠の問題についても当然視野に入れて批判をしてるわけであって、個別の企業の態度だけ非難して終わりに出来るような問題だなんて、誰も思ってないでしょう。
それを自分たちだけが(不当に)非難されてるかのように感じてしまうというところが、すでにおかしいと思う。
そりゃ、首を切られた当人とかは、当の企業に怒りをぶつけるだろうし、交渉の現場ではそういう話にもなるだろうけど、同時に構造の全体を問題にしないといけないというのは、誰にとっても批判の前提になってるはずだ。
そのうえで、個々の企業の対応を批判してるはずである。


それが分からないということは、そのような視点が、この経営者のような人には、ちょっと欠けてるところがある、ということだろう。
つまり、「国の政策」といっても、その不備のある政策に乗っかって派遣労働者を使うことで利益を上げてきたのは、自分たち企業の側である。また、そういう政治を行ってる政党や政治家を、きっと支持・支援もしてきたであろう。
不備のある「国の政策」を支持してそこから利益を上げてきた以上、企業(経営者)は、この「政策」の「被害者」ではなくて、加担者、遂行者なのだ。
今起きてる企業に対する批判というのは、その責任に関わってる。
そのことが理解できてないから、上のような物言いが出てくるのである。


まあ、「戦争は全て軍部のやったことで、一般国民(資本家でも)は被害者にすぎない」という感覚と同じだよなあ。
この経営者のように、国の政策に不備があったことを認めるのなら、無批判にそれに乗ることで利益を出してきた自分たちの態度を反省したうえで、そういう政策や、政治と社会のあり方を変えていくように、自ら動いていくべきだ。
「企業の社会的責任」というのは、そういう社会や政治に対する主体的な態度を取り戻すことが基盤となるはずだ。