toledさんからの批判について

TBいただいた記事に関して、とり急ぎ。

http://d.hatena.ne.jp/toled/20080407/p1

橋下徹のこの「余裕」のリアクションは、一部サヨクまでも感心させた。日頃から左派的な意見を書いているid:Arisanさんをも「大したもんだ」と言わしめたほどだ。
(中略)


しかし問題は、橋下は若手職員の問題提起を完全にスルーしているということだ。彼女は橋下を正面から撃った。だが橋下は平然としている。そのことをリベラルは「ちょっといい話」として処理しようとしている。いったいこの空気は何なのだろうか?

起立して知事に異議を唱えた若手職員の主張は、真っ向から現体制に敵対するものだ。橋下徹がバカであるという説を僕は信じない。彼はバカなのではなく、悪いのだ。橋下の主張や政策は、若干の不規則性を伴いつつも、概ねブルジョアジーを代表するものである。それに対して職員の介入は、プロレタリアートの立場からのものであった(彼女と僕とは党派的に相違があるかもしれないが、ここではそれは関係ない)。


 これは階級対立である。「自分の考えや思いを勇気を出して表明していく人たちの態度そのものへの尊敬と支持を、その発言内容への賛否や反応などに優先させるような、人として当たり前の態度を、われわれは謙虚に持つべき」などという「中立」な立場はありえない。問題は、自由闊達な議論や多種多様な意見表明の外観ではない。ブルジョアジープロレタリアートは共存共栄することはない。そしてブルジョアジーの「考えや思い」を粉砕することがプロレタリアートの歴史的使命なのだ。


 しかし彼女はあの大きなホールで一人であった。報道があったあとも、ゼネストが始まる気配はない。


 じゃあ、彼女は「空気の読めない痛い女」なのか?


ぼくの記事に対する批判として、まったく妥当なものだと思います。
あの状況で、府知事の態度を持ち上げるように書くということは、事実上「彼女」への黙殺とバッシングに加担するものであったと思います。


ぼくとしては、橋下氏の「寛容さ」を賞賛するつもりはなかったのですが、それはここでは問題でなく、彼女への批判のメールや非難の言説が横行しているという状況のなかで、まずその状況そのものを批判して、彼女の勇気を支持するというスタンスを明確にするべきだったと思う。
一応そういうつもりはあったんだけど、現実にそういう文章にはなってない。「中立」的と言われても、仕方ないなあ。
「発言内容への賛否や反応」が大事じゃないみたいな文章になってるし。


一口に言って、やはり権力の側に立って言葉を書いていた、ということはあったと思う。
そのうえで、おおむね、ぼくは今の府知事には甘いと思うけど、その理由についてもよく考えないとな。
ご批判、ありがとうございました。


追記:トラメガでもぶん投げなきゃ、いけなかったかな?